ブログ版 清見糺の短歌鑑賞 14 白峰 鎌倉なぎさの会
96 振りむけば男山女山は手弱女の乳房のように触れがたく見ゆ
「かりん」96年11月号
誰も通らないアスファルトの道に疲れて振り返ると、なだらかな四国の街の風景が広がっていた。男山女山はお椀を伏せたようにこんもりと盛り上がり二つ並んでみえた。地図を見ると雄山雌山という表記になっており、雄山の方は讃岐富士と称されているそうだ。
白峯(「かりん」96年11月号)
夏草のしげき参道蛇ぎらいの連れのひるめば自動車道ゆく
涼をとる風の道なく喉しめす自販機もなきアスファルト道
振りむけば男山女山は手弱女の乳房のように触れがたく見ゆ
存在のつかれのように瀬戸かすみ橋のかげさえこころもとなし
白峯は札所なれどもエンドレステープの御詠歌かなりうるさい
西行は思いのほかにちいさくて松ならぬ杉の根かたに坐る
西行の像の縁起を寺おとこに問えばつれなくわからぬという
側頭部欠けたる石の西行にならびて汗のひくまでをおり
この白峯行は、西行が好きな清見糺にとってたいへん思い入れのあった旅で、その一端は馬場あき子によるところ大である。馬場は第12歌集『南島』(1991年刊)で白峰を歌っているが、その馬場自身もなみなみならぬ思いでこの地を訪ねたことが後書きにみえる。すなわち、『鬼の研究』を書いた頃から白峰参詣のことは気に掛かっていたというのである。清見は馬場の思い入れの濃い一連の歌をかなり意識していた節があるのでぜひ『南島』を参照されたい。精神の高揚した馬場の30首の大作「白峰」より少し抄出する。
流され王崇徳のきみが見し海を彼方へ彼方へ伸びる大橋
真葛はも白峰に生ひて陽に太し腕(かひな)に纏(ま)きてかなしみにける
血の宮の跡どころなる昼顔の花みれば心ゆきがてぬかも
崇徳陵に蜜柑の花の香は満ちて和(な)ぐしともさびしとも思ひがけなく
稚児の滝ほろびてゐるも忘れずよ山藤の花夢かと白し
崇徳陵にいまも侍ふ為義と為朝をみれば涙ぐましも
烏の子生(あ)れたる山の椎の花天のさびしき香をふりこぼす
崇徳院の怨みのこころ和魂(にぎたま)となりて去りぬときけばかなしも
西行の白峰の歌つれなきを草生下りになりて思へり
陵に侍従のごとく立てりしが貝多羅葉(ばいたらえふ)はかすかにそよぐ
さて96の歌は、四国の札所八一番に数えあげられている白峯寺への道である。ここには保元の乱に敗れて讃岐に流されていた崇徳上皇の御陵があるのだ。しかし参道はびっしりと夏草が生い茂ってしばらく人間が通った形跡はなかった。われわれは麓からアスファルトの道を4時間余歩いて寺にたどり着いたが、巡礼の人達は寺の門前にバスで乗り付けていた。それで参道は誰も利用しないのであろう。蛇うんぬんはのぼりかけた道端に小さな池があって手を洗おうとしたら白い蛇が池を泳いで渡っていった。それで草ぼうぼうの参道を恐れたのである。(鹿取)
96 振りむけば男山女山は手弱女の乳房のように触れがたく見ゆ
「かりん」96年11月号
誰も通らないアスファルトの道に疲れて振り返ると、なだらかな四国の街の風景が広がっていた。男山女山はお椀を伏せたようにこんもりと盛り上がり二つ並んでみえた。地図を見ると雄山雌山という表記になっており、雄山の方は讃岐富士と称されているそうだ。
白峯(「かりん」96年11月号)
夏草のしげき参道蛇ぎらいの連れのひるめば自動車道ゆく
涼をとる風の道なく喉しめす自販機もなきアスファルト道
振りむけば男山女山は手弱女の乳房のように触れがたく見ゆ
存在のつかれのように瀬戸かすみ橋のかげさえこころもとなし
白峯は札所なれどもエンドレステープの御詠歌かなりうるさい
西行は思いのほかにちいさくて松ならぬ杉の根かたに坐る
西行の像の縁起を寺おとこに問えばつれなくわからぬという
側頭部欠けたる石の西行にならびて汗のひくまでをおり
この白峯行は、西行が好きな清見糺にとってたいへん思い入れのあった旅で、その一端は馬場あき子によるところ大である。馬場は第12歌集『南島』(1991年刊)で白峰を歌っているが、その馬場自身もなみなみならぬ思いでこの地を訪ねたことが後書きにみえる。すなわち、『鬼の研究』を書いた頃から白峰参詣のことは気に掛かっていたというのである。清見は馬場の思い入れの濃い一連の歌をかなり意識していた節があるのでぜひ『南島』を参照されたい。精神の高揚した馬場の30首の大作「白峰」より少し抄出する。
流され王崇徳のきみが見し海を彼方へ彼方へ伸びる大橋
真葛はも白峰に生ひて陽に太し腕(かひな)に纏(ま)きてかなしみにける
血の宮の跡どころなる昼顔の花みれば心ゆきがてぬかも
崇徳陵に蜜柑の花の香は満ちて和(な)ぐしともさびしとも思ひがけなく
稚児の滝ほろびてゐるも忘れずよ山藤の花夢かと白し
崇徳陵にいまも侍ふ為義と為朝をみれば涙ぐましも
烏の子生(あ)れたる山の椎の花天のさびしき香をふりこぼす
崇徳院の怨みのこころ和魂(にぎたま)となりて去りぬときけばかなしも
西行の白峰の歌つれなきを草生下りになりて思へり
陵に侍従のごとく立てりしが貝多羅葉(ばいたらえふ)はかすかにそよぐ
さて96の歌は、四国の札所八一番に数えあげられている白峯寺への道である。ここには保元の乱に敗れて讃岐に流されていた崇徳上皇の御陵があるのだ。しかし参道はびっしりと夏草が生い茂ってしばらく人間が通った形跡はなかった。われわれは麓からアスファルトの道を4時間余歩いて寺にたどり着いたが、巡礼の人達は寺の門前にバスで乗り付けていた。それで参道は誰も利用しないのであろう。蛇うんぬんはのぼりかけた道端に小さな池があって手を洗おうとしたら白い蛇が池を泳いで渡っていった。それで草ぼうぼうの参道を恐れたのである。(鹿取)
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