2025年度版 渡辺松男研究2の10(2018年4月実施)
『泡宇宙の蛙』(1999年) 【邑】P50~
参加者:泉真帆、K・O、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取未放
72 木を否定することは木の本意とぞ針金のごとき若木が伸びる
(レポート)
「木を否定することは木の本意とぞ」という哲学的なこの上句をどのように捉えたらよいだろう。若木のするどく伸びるさまを強調しているようにも思えるし、自己否定しつつ伸びる若さの特徴をいっているようにも思える。もっと深遠な意味があるのだろうか。「針金」の語の斡旋は、無機質でつるつるで真っ直ぐな形状をイメージした。(真帆)
(当日発言)
★「木を否定することは木の本意とぞ」というのは木の声なのでしょうか?否定しているところも肯定しているというか、木のエネルギーの濃さを感じます。「針金のごとき」という硬質の感じはやっぱり立ってくるというか、われわれに出された課題のようで、考えさせる歌の一つなのではないか。難しい歌だと思いました。(K・O)
★難しいですよね、直観的には分かる気がするけど。他のものに置き換えたら怒られるでしょうが、例えば伝統の継承には一旦伝統を否定して新しいものを出していかないとダメになってしまう、こんなアナロジーで考えてみました。「針金のごとき」は、若さの持つ鋭さとか直情の事かなと。あと、レポートの「自己否定しつつ伸びる」というところは私はちょっと違って、「木を否定することは木の本意とぞ」に沿うならむしろ親を否定する方が近いかなあと思います。親 を否定しながら成長する思春期。(鹿取)
★自分のルーツとかを否定している若者と重ねて最初書いていたのですが。分からなかったのは若木が伸びている様子を針金を強調したいために、自分は木ではないんだ、針金のように伸びていくんだと言っているのか。針金を言いたいために上を持ってきたのか、上の句を言いたいの か。(真帆)
★もちろん言いたいのは上句で、そこが一つのテーゼ。針金はあくまで比喩だし、針金は伸びないです。「木を否定することは木の本意」なんだけど否定することが結果的には大肯定に繋がるのでしょう。より豊かな生を生きるための一つの過程なんでしょうか。でも、あんまり人生に沿わせて読むと歌がつまらなくなりますね。(鹿取)
★「とぞ」は伝聞ですよね。これは作者が木そのものから聞いた、あるいは宇宙的なところから聞いたとか考えられるけど、誰から聞いたんだろうと思ったんですね。この「とぞ」の置き方が難しくて、作者がそのように断定しているわけではない。やっぱり宇宙的な、世界から聞いたというイメージなんでしょうか。ある本質をついている歌だと思うのですが、これを散文で説明するってすごく難しいですね。(K・O)
★そうか、私は木自身から聞いたと思いこんでいましたが、宇宙的な、何か大いなるものから聞いたとも考えられますよね。どちらにせよ以心伝心で。若木が言ったとしても宇宙が言わせているのかもしれないし、結局同じ事なんでしょう。(鹿取)
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