かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞  113

2022-08-11 10:45:56 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の15(2018年9月実施)
    【〈ぼく〉】『泡宇宙の蛙』(1999年)P75~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


113 休日はピアスして木の上にいる気体のようなぼくのときめき

         (レポート)
 休日にピアスして木の上にいることは、気体のようなぼくのときめきなんだよと、いう。レポーターは見える存在、見えない存在という対象への分別をしてしまっている。111番歌(ぼくはもう居ないんでしょうおかあさん試験管立てに試験管がない)の非在者の声には胸を打たれて、存在、非在ということに囚われず鑑賞できたが、113番歌は少し困ってしまった。(慧子)


       (当日意見)
★高校生くらいの男の子、平日はピアスしちゃいけないけど休日なら出来る。それで木の上
 にいるととってもきもちがいい。歌を台無しにする解釈ですけど。(真帆)
★「気体のような」は「ぼく」に掛かるんですか?「ときめき」に掛かるんですか?
   (鹿取)
★「ぼく」です。(慧子)
★でも気体のようなぼくだとピアスはしにくそう(笑)なるほどね、高校生くらいかも。私
 はサラリーマンになったぼくかと思っていたけど、それだとすごい屈折があるのですが。
 というのは昔、懇意にしていた医師が勤務先の高校に女装して講演に来られたことがあっ
 たのを思い出したのです。この歌のぼくとこの医師はベクトルは反対だけど、ある種の精
 神の解放のかたちなのかなと思って。女装に比べるとピアスはずいぶんささやかな変身で
 すけれど。(鹿取)
★ほとんどつかみ所のないぼく、自然と繋がっていないぼく。ある時は休日にピアスをする
 ような現代的な生活をしている、明確な私というものは無い人。だから気体のようなぼ
 く。(A・K)
★そう読めば「気体のような」が「ぼく」に掛かっても読める。よい解釈だと思います。
   (鹿取)
★渡辺さんって人は、世の中を批判的に見ている人ですか?(A・K)
★あまりダイレクトにはうたっていませんけど、おおむね批判的だと思いますよ。『寒気
 氾濫』のみなとみらいの一連の歌なんか強くそれを感じました。(鹿取)

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