かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 242

2023-01-25 11:58:50 | 短歌の鑑賞
  2023年度版渡辺松男研究2の31(2020年1月実施)
     Ⅳ〈夕日〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P156~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


242 まっさかさまにビルから落ちてゆくわたし 夢のさなかにのみ覚めている

     (レポート)
 崖の上の木の影が、さかさまに崖下の家に届こうとしている歌(191)を思い
起させる一首である。しかし、この歌で落ちていくのは「わたし」である。しかも、崖からではなくビルからなのだ。そして一文字空けて、下句がくる。夢はおぼろな状態で見ることが多いけれど、時として登場人物などがはっきりした夢を見ることがある。そのような時は、眠りから覚めた後も、夢と現実の区別をつけるのに時間がかかってしまう。この歌で空けてある一文字分は、「わたし」を覚醒させるためにあるともとれる。そうすると、下句は何を意味するのであろう。作者は、現実では無く夢のさなかにのみ覚めているというのだ。異空間に旅することができる人のみが、到達できる境地なのだろうか。(岡東)


       (紙上参加)
  わかる。夢というのは、時に凡々とした現実より、本当にリアルな実感を伴っていて、必死であがいたり、心臓バクバクになって、めざめるとほっとしたりする。フロイト的な感覚を表現したのか。作者はそこまで言っていないが、私は夢の中にこそ自分の本音の世界があると感じることがしばしばある。(菅原)


     (レポート)
★ものすごく体感的な歌だと思います。風切って落ちていくときのあの感じ、まざ
 まざと、ありありと夢って感じ取る、それを「夢のさなかにのみ覚めている」っ
 て言っている。肉体のピュアな感じ。(A・K)
★夢の中では落ちるときの感覚があるけど、現実ではその感覚が無いんです。子供
 の時海に落ちたことがあるけど、落ちるときの感覚はなかった。助けられてから
 気がついた。上の句はどうであろうと「夢のさなかにのみ覚めている」は真実だ
 と思います。(慧子)
★夢ではないですが、蝉丸神社の石段を転がり落ちた時は意識はきちんとありまし
 たね。下まで転げ落ちないようにどこかで立ち直らないといけないとか、サスペ
 ンスでは石段から転げ落ちて死ぬ場面が多いがそれは困るとか、落ちながらいろ
 いろ考えましたから。夢については、ビルから落ちる夢は見たこと無いけど、ビ
 ルから飛び立つとか空を飛ぶ夢はよく見ました。手をはためかせていないといけ
 なくて、空気の抵抗もあって、夢の中ではけっこう苦しくて、その体感なら今で
 も思い出せます。(鹿取)


     (後日意見)
 岡東さんのレポートの191番歌は次の一首目。(鹿取)
  崖上の冬木の影がさかしまに崖下の家へ届こうとする 『泡宇宙の蛙』
  伸びるだけわが影伸びてゆきたれば頭が夕の屋上より落つ『泡宇宙の蛙』

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