かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 222 中国⑧

2023-04-07 10:00:16 | 短歌の鑑賞
2023年版  馬場あき子の旅の歌29(2010年6月実施)
    【李将軍の杏】『飛天の道』(2000年刊)175頁
     参加者:Y・I、T・K、曽我亮子、T・H、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放

     
222 人いまも李広杏(りくわうあんず)と呼ぶ杏購ひて猛将のひと生あはれや

        (まとめ)
 李広は大変な弓の名手で、一念をもって当たれば何事も可能という「石に立つ矢」のことわざも彼から出た、というほどの人である。また若い頃は皇帝の面前で羆と戦い、拳で倒したという逸話もある勇猛な人物である。
 馬場のエッセーによると、李将軍の人となりは、戦闘の後兵が水を飲み終わるまでは自ら飲まず、食べ終わるまでは自ら食べず、人望は比べるものがなかったという。この慎み深い性格から「桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す」のことわざもできたという説もある。(ちなみに、敦煌あたりでは「李広杏」の他に「李広桃」というのも名産としてあるらしい。)しかし、文帝、景帝、武帝三代に仕えた李広は、次第に老い、若い衛青・霍去病などの活躍する前線からは遠ざかった。最後は願って前線に出たが、道に迷い衛青・霍去病らの臨んだ決戦に遅れ、自分の時代が去ったことを悟って自刎したと伝えられる。若い衛青は李広同様に謙虚な性格で、位が李広を超えても彼を敬愛していたという。勇猛ながら結果としてはあまり恵まれなかった武人李広の植えた杏が、その名をつけて今も売られており、作者は猛将をしのんでその杏を買ったという。下の句には懐かしみと深い詠嘆がある。(鹿取)


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