Mr.Dashのぶろぐ館

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2024年4月17日(水) [水口]戦国時代の山城跡・岡山城跡、水口城址をそぞろ歩く!

2024年04月18日 | 山登りの記録

■メイン写真
古城山(水口岡山城跡)から見た鈴鹿山系。黄砂で霞んでいる。


■今回のコース
水口駅→古城山登り口→古城山(水口岡山城跡)→水口宿東見附跡→高札場跡→
京町側からくり時計→石橋側からくり時計→水口教会→美冨久酒造・蔵カフェ薫蔵→
力石→五十鈴神社→水口城址(資料館)→水口歴史民俗資料館→水口城南駅


滋賀県甲賀市の水口町には、二つの城跡が残る。水口岡山城跡と、水口城址である。
今回、この二つを結び、途中に旧東海道を歩き、造り酒屋が営むカフェレストランで
ランチを楽しんできた。

近江鉄道の水口駅から、しばらく車道歩き。道端にシロハナタンポポが咲いていた。

古城山登り口には、甲賀忍者をあしらった説明看板がある。

忠魂碑の広場を経て、穂徳稲荷神社へ。年中、赤い葉のカエデが植えられている。

古城山への「大手道」を行く。

キランソウが咲いていた。

さしたる苦もなく、標高283mの古城山山頂に到着。
山頂部は水口岡山城跡で、伝本丸跡をはじめ平坦に削られたところが多い。
水口は、もともと甲賀衆が支配していたが、豊臣秀吉が甲賀衆を改易し、家来の中村一氏が
水口岡山城を築いた。
城があったのは、わずか15年間というが、城主は増田長盛、長束正家と移り、
長束が関ケ原の戦いで敗れ、廃城となった。

山頂部は、あたり一面、タンポポの群生。

ツバキは大半が落花していたが、花を上にして落ちるので、それがまた美しい。
この様子から、「椿は二度咲く」という。

本丸跡から、地元の名山・飯道山を見る。十二坊など、なじみの山も見える。

本丸跡の北側直下には、当時の石垣が残る。
本丸の周囲などは、石垣で囲まれていたようだが、ほとんどは解体された。

伝西の丸に咲いていたヤエザクラ。

伝西の丸には、天翔の櫓が建ち、狭間がついた城壁も再現されていて、ちょっぴり
当時にタイムスリップしたような感覚になる。

東へ下り、配水池から続くまっすぐな階段道を下りると、旧東海道に出る。
水口宿東見附跡。当時はここに門番がいたようで、いわば簡単な関所のようなものが
あったようだ。

東海道第50番次の宿場町だった水口。古い建造物が残る。

からくり時計は、街道に2か所ある。
京町側のからくり時計は、毎時0分に曳山が回る。
ちょうど正午に通りかがったので、ラッキーにもその動きを見物できた。

石橋側のからくり時計は、9時から3時間おきに動くそうだ。

明治時代のお雇い外国人、ヴォーリズが設計した水口教会。
現在も、幼稚園として使われている。
滋賀県では、近江兄弟社の設立者としても知られ、近江八幡などに多くの建造物が
残っている。

宿場町エリアの西のはずれに、美冨久酒造・蔵カフェ薫蔵がある。
料理の隠し味として、酒粕や甘酒を使っていて美味。粕汁が最高だった。
山廃の純米酒を買って帰った。

午後は水口城址へ。
こちらは平城(ひらじろ)で、もとは3代将軍徳川家光の上洛の際に御宿所として
建てられた。実際に家光が泊ったのは1回だけだったというからビックリ。
再建された櫓が、資料館になっている。
もとはまっすぐだった旧東海道のルートが、宿場町の一部で迂回するような
ルートに変わってしまった理由もわかった。

水口城南駅のすぐ南に、水口歴史民俗資料館がある。
電車は1時間に1本なので、電車待ちの間に資料館を見学した。
中には、実物の曳山が展示されている。
じつは今週末(4/19~20)が、今年の水口曳山まつりの開催日である。

水口城南駅の小さなホームに、ローカル色漂う2両編成の電車が滑り込んできた。

 


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