Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2017年11月3日(金)[山城三十山]桟敷ヶ岳、錦秋&絶景の、あったかい一日を楽しむ!

2017年11月04日 | 山登りの記録
■メイン写真
カエデの紅葉は三分目といったところ。まだ当分、見ごろは続く。


■今回のコース
駐車地→志明院(岩屋不動)→薬師峠→岩茸山→桟敷ヶ岳→(関電巡視路)→
祖父谷林道出合→岩屋橋バス停

桟敷ヶ岳に初めて登ったのは、中学の冬、部活動で。
積雪があり、滑りやすくなっていた下山路は尻セードで下り、安物のレインコートの
ズボンの裾を木の枝で破いてしまったのを憶えている。
あの頃は岩屋橋まで京都バスの路線バスが走り、登山客ですし詰め状態になったものだ。

その後バスは廃止され、今は京都市で初めての定時定路線型乗合タクシー「もくもく号」が
走る。車両はハイエースコミューターで、本数も少ない。

今回の登山教室は、マイカーでアプローチ。岩屋橋バス停を志明院方面へさらに奥へ。
途中の路肩にクルマをデポした。



志明院の手前右手が登山口だ。



志明院の山門をズームで撮る。この寺、シャクナゲで有名だが、境内は撮影禁止だ。
余談だが、若き日の司馬遼太郎が、志明院で怪奇体験をしている。



谷沿いにしばらく進むと、大岩のところで沢が二手に分かれる。
まっすぐ行くと、岩屋山の方に誘導されてしまうので、ここは右の枝沢をとる。
大岩の根元にある標識が目印だ。

谷筋を登りきったところが薬師峠だ。暑くて、みんな薄着になっている。



六体地蔵がお出迎え。それぞれ、少しずつ違うポーズをとり、手に異なるものを持つ。
というのは、六体にはそれぞれ別々の意味があるからだ。
そもそも六体地蔵は、地蔵菩薩の6分身。
ある辞書には「地獄道を救う檀陀、餓鬼道を救う宝珠、畜生道を救う宝印、
修羅道を救う持地、人道を救う除蓋障、天道を救う日光の各地蔵の総称。
また、延命・宝処・宝手・持地・宝印手・堅固意の六地蔵とする説もある」
とある。



尾根に入ってすぐのところに、志明院の歴代高僧の墓がある。
消えかけの年号を見るに、かなり古いものもあるようだ。



台風の影響はないとはいえないが、概ね、平穏な尾根道を歩いていると、
岩茸山が見えてきた。おお、樹々の色づきは、かなりよさそうだ!



この稜線では、数種類のカエデ、コナラ、リョウブ、コシアブラ、タカノツメなど
雑木林の定番である落葉広葉樹が多い。
ミヤコザサは今回の道中、全く見かけなかった。かつてはこの山も、ヤブコギ
必須だったはずなのに。


キノコの季節でもある。うーん、これはエノキタケかなぁ?



青空に、赤が引き立つ。



風もないので、木の葉がなびくこともなく、写真も撮りやすい。



これだけ綺麗だと、みなさん撮影に忙しく、なかなか前に進めないが、
こうした「のんびり、寄り道」がウチのスタイルだ。

後方から、「Sさーん」と、ウチのメンバーの名を呼ぶ声がする。
数人のベテランパーティが追いついてきたが、その中でひときわ元気で陽気な女性が、
Sさんのご友人だったのだ。あとでSさんから、この女性が80歳だと聞かされて
かなり驚いた。20は若く見えた。
山では「年功序列」はなく、ひたすら「健康序列」なのである。あやかりたい。

ベテランパーティは、桟敷ヶ岳から北西に抜け、飯盛山へと縦走するという。
いやー、すごい。



我々、のんびり隊のほうは、岩茸山に寄り道していく。



鳥の巣が地面に落ちていた。台風で飛ばされたのかな?



尾根上に建つ電波反射板の東側直下を巻くように進み、なだらかな場所に出る。
倒木で、少しルートが分かりにくくなっているが、とにかく尾根筋をキープすればよい。



そして出たところに待っていたのは、京都市街方面の大パノラマだった!!



すぐ横にあるのは、「都ながめの石」。
帝位につけず都を追われた惟喬親王が、ここに桟敷をつくらせ、都を眺めて
懐かしんだといわれるスポットだが、枯葉が積もり、なんとも目立たない。。。
なお、「桟敷ヶ岳」の名は、これに由来する。



送電線の鉄塔をくぐる。



ここからも眺めが広がる。これは北西の眺め。
天童山、飯盛山が見える。



ちょうど正午に着く予定だったが、ゆったり紅葉を楽しんだこともあり、
20分遅れで桟敷ヶ岳の山頂に到着。
もちろん、先ほどのベテランパーティーの姿はもうない。
山頂も無風状態で、長袖のシャツ1枚でいても、全然寒くない。

下山は、最近、使われるようになっている関電巡視路ルートを使う。
なだらかな尾根をしばらく南東に下り、さっきとは別の送電線鉄塔のところで
尾根を外れ、右へ下る。植林に入って谷筋を下る。



この谷筋が、なかなかの急坂なのである。



大岩の通過は、ちょっとドキドキするが、皆さん、慣れたものだ。



傾斜が急な地形ゆえに、水と黄葉の立体的な光景ができあがる。

祖父谷林道に下り立って、プチ冒険の下山路も終わる。



あとは祖父谷林道を、おしゃべりしながら下るだけだ。
途中、「祖父谷」の名の由来を記した石碑を見つけた。
祖父谷は、もともとは「素風谷」であり、惟喬親王の家来の小野素風によるもの。
小野素風がこの谷から木材を切り出し、都に出荷したらしい。
木材を運んだ場所が、あの「丸太町」だそうで、意外なルーツに驚いた。



洛雲荘に着いた。ちょうど調理中のようで、松茸の香りが立ち込めていた。
岩屋橋バス停はすぐそこだ。
皆さんにはしばらくここで待機して頂き、クルマを回送しにいく。



順番が逆になるようだが、惟喬神社の前を通る。
こぢんまりとした、ささやかなお社だ。ちらっと親王の心情を思いやる。


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