■メイン写真
忍頂寺交差点から石段を登ったところにある石鳥居。
■今回のコース
車作バス停→清水廃寺→岩屋→瀧不動明王→竜王山→宝池寺→忍頂寺交差点→
(キリシタン自然歩道)→キリシタン史料館→千提寺バス停
子ども時代から青春時代、新婚時代までを過ごした茨木市。
このほど縁あって、茨木市立生涯学習センターで自然体験教室「はじめての登山」の
講師を担当させていただいた。参加の対象は茨木市にお住いの方となる。
1回目は11月8日(日)、茨木市立生涯学習センターの教室での座学。
初級登山に必要な装備のお話をメインに登山業界の現状、安全登山への心得などについて
2時間の講義をした。PowerPointのプレゼンを50枚ほど作ったのは久しぶりだった。
それを踏まえ、翌15日に茨木市の竜王山へ。晴天に恵まれ、ぽかぽか陽気の中、スタート。
車作の集落を見下ろしながら高度を稼ぐ。
あと2年で安威川ダムが完成する見通しだ。この景色も大きく変わるのだろうか。
深山水路(権内水路)に沿って、細いコンクリート舗装の道を進む。そこそこの傾斜だ。
ちなみに、この水路は江戸時代後期、車作の庄屋・畑中権内が、村の農地への
水の安定供給を図るため、安威川の支流から水路を引いたもの。
下流の他の村の妨害に耐えながら作り上げたものだ。
清水廃寺。立派な経塚が残る。戦国時代、キリシタン大名の高山右近が、
領内の寺や神社を焼き払ったり没収したのだが、清水寺も燃やされた。
僧侶たちが経典をここに埋めたという。
弾圧の中、キリスト教に殉じたという一途なイメージがある右近だが、
やることはやっている。
歩き進めていくと、コジイの実がいっぱい落ちていた。
木の葉の色づきは、徐々に低い標高の場所に下りてきている。
竹林から林道に出て、しばらく山腹を北上する。林道終点から80mで、
桓武天皇の異母兄・開成皇子が修行したと伝わる岩屋に着く。
雰囲気が一転し、凛とした厳しさがみなぎる空間だ。
瀧不動明王、水垢離ができるようになっている。
竜王山は雨乞いの山であることは間違いないが、どことなく修験の匂いもする。
山道を上りきると、竜王山の山頂部に立つ木製展望台に着く。
展望台の高さは13m。平成13年、大阪府が北摂自然公園を制定した時に建設された。
柱や梁にベイマツ集成材を、デッキ、階段、手摺などに府内産ヒノキを使用している。
参加者全員で、展望台に上って絶景を楽しんだ。
金剛山、生駒山、大阪以内のビル街…おなじみの場所も多い。
晴天ながらも、薄もやがかかっていて、遠くの景色は霞んでいた。
それでもハルカスはしっかり見えた。
三角点で、全員、吐息が拡散しないよう息を殺しながら、登頂記念!
ちなみに茨木市の最高点は、石堂ヶ岡(680m)で、茨木高原GCの敷地内にある。
茨木市立野外活動センター(銭原キャンプ場)の最高点は、約550mとなる。
宝池寺に下りると、ちょうど山伏さんがいらっしゃって、法螺貝を吹いて下さった。
なんとラッキーなタイミング。ここでランチとした。
境内にある八大竜王宮。
宝亀年間(715年-716年)に起きた大干ばつの時、開成皇子が池を掘り、八大竜王を
召請した。これが竜王山の山名の由来でもある。
よく整備された参道を下り、忍頂寺交差点へ向かう。
キリシタン自然歩道に入ると、路傍に草花がいろいろ見られた。
素朴な野菊。
リンドウ。
竹林を抜けていく。台場クヌギの奇妙な形は、往年の炭焼きやシイタケ栽培などで
幹を切った跡だ。
茨木市立キリシタン遺物史料館に到着。
この付近は、高山右近の庇護を受けた隠れキリシタンの里だった。
社会の教科書などによく出てくるフランシスコ・ザビエルの肖像画も
このすぐ近くの民家で見つかった。
コロナ対策で、半分ずつの人数に分けて、順次、見学した。
開成皇子ゆかりの地と、キリシタンの"覇権争い"の歴史をめぐる、
秋晴れの暖かい一日だった。
忍頂寺交差点から石段を登ったところにある石鳥居。
■今回のコース
車作バス停→清水廃寺→岩屋→瀧不動明王→竜王山→宝池寺→忍頂寺交差点→
(キリシタン自然歩道)→キリシタン史料館→千提寺バス停
子ども時代から青春時代、新婚時代までを過ごした茨木市。
このほど縁あって、茨木市立生涯学習センターで自然体験教室「はじめての登山」の
講師を担当させていただいた。参加の対象は茨木市にお住いの方となる。
1回目は11月8日(日)、茨木市立生涯学習センターの教室での座学。
初級登山に必要な装備のお話をメインに登山業界の現状、安全登山への心得などについて
2時間の講義をした。PowerPointのプレゼンを50枚ほど作ったのは久しぶりだった。
それを踏まえ、翌15日に茨木市の竜王山へ。晴天に恵まれ、ぽかぽか陽気の中、スタート。
車作の集落を見下ろしながら高度を稼ぐ。
あと2年で安威川ダムが完成する見通しだ。この景色も大きく変わるのだろうか。
深山水路(権内水路)に沿って、細いコンクリート舗装の道を進む。そこそこの傾斜だ。
ちなみに、この水路は江戸時代後期、車作の庄屋・畑中権内が、村の農地への
水の安定供給を図るため、安威川の支流から水路を引いたもの。
下流の他の村の妨害に耐えながら作り上げたものだ。
清水廃寺。立派な経塚が残る。戦国時代、キリシタン大名の高山右近が、
領内の寺や神社を焼き払ったり没収したのだが、清水寺も燃やされた。
僧侶たちが経典をここに埋めたという。
弾圧の中、キリスト教に殉じたという一途なイメージがある右近だが、
やることはやっている。
歩き進めていくと、コジイの実がいっぱい落ちていた。
木の葉の色づきは、徐々に低い標高の場所に下りてきている。
竹林から林道に出て、しばらく山腹を北上する。林道終点から80mで、
桓武天皇の異母兄・開成皇子が修行したと伝わる岩屋に着く。
雰囲気が一転し、凛とした厳しさがみなぎる空間だ。
瀧不動明王、水垢離ができるようになっている。
竜王山は雨乞いの山であることは間違いないが、どことなく修験の匂いもする。
山道を上りきると、竜王山の山頂部に立つ木製展望台に着く。
展望台の高さは13m。平成13年、大阪府が北摂自然公園を制定した時に建設された。
柱や梁にベイマツ集成材を、デッキ、階段、手摺などに府内産ヒノキを使用している。
参加者全員で、展望台に上って絶景を楽しんだ。
金剛山、生駒山、大阪以内のビル街…おなじみの場所も多い。
晴天ながらも、薄もやがかかっていて、遠くの景色は霞んでいた。
それでもハルカスはしっかり見えた。
三角点で、全員、吐息が拡散しないよう息を殺しながら、登頂記念!
ちなみに茨木市の最高点は、石堂ヶ岡(680m)で、茨木高原GCの敷地内にある。
茨木市立野外活動センター(銭原キャンプ場)の最高点は、約550mとなる。
宝池寺に下りると、ちょうど山伏さんがいらっしゃって、法螺貝を吹いて下さった。
なんとラッキーなタイミング。ここでランチとした。
境内にある八大竜王宮。
宝亀年間(715年-716年)に起きた大干ばつの時、開成皇子が池を掘り、八大竜王を
召請した。これが竜王山の山名の由来でもある。
よく整備された参道を下り、忍頂寺交差点へ向かう。
キリシタン自然歩道に入ると、路傍に草花がいろいろ見られた。
素朴な野菊。
リンドウ。
竹林を抜けていく。台場クヌギの奇妙な形は、往年の炭焼きやシイタケ栽培などで
幹を切った跡だ。
茨木市立キリシタン遺物史料館に到着。
この付近は、高山右近の庇護を受けた隠れキリシタンの里だった。
社会の教科書などによく出てくるフランシスコ・ザビエルの肖像画も
このすぐ近くの民家で見つかった。
コロナ対策で、半分ずつの人数に分けて、順次、見学した。
開成皇子ゆかりの地と、キリシタンの"覇権争い"の歴史をめぐる、
秋晴れの暖かい一日だった。