Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

応援の力。

2013-07-21 14:02:07 | その他の応援団関連
我が母校である、埼玉県立春日部高校の「夏」が、昨日終わりました。
母校に勝った浦和学院高校には、「絶対に」甲子園出場を決めて頂き、「春夏連覇」に是非とも挑戦して欲しいと思います。

さて、昨日の母校の応援風景、「速攻」でYouTubeにアップされていました。

20130720春日部VS浦和学院・応援風景


私は、母校側のスタンドで、今日つぶれてしまっている程声を出して応援していて、「もっと出さないと、ダメかな?」なんて、半分自信がない中で「今できる限界」まで応援していました。
この動画は、浦和学院さんの一塁側スタンドからの映像なので、見て知りましたが、県内でも広いとされる県営大宮球場全体にこれだけの声を響かせることができるのか…、母校にこんな「応援の力」があったのか…と思うと、正直嬉しかったし、春日部高校を卒業できたこと、もちろん、応援指導部を卒業するまで続けたことを誇りに思いました。恐らく、「ノーヒットノーランを達成されての、敗戦濃厚」から逃れ、意地を見せられたのも、この応援の力が少なからずあったと思います。

それを実感できた事が、浦和学院さんとの試合からのみでは、実はありません。



この夏の初戦、妻沼高校さんとの試合で、ノーヒットノーランを達成して勝ちましたが、史上43回目、41人目、夏の大会に限っては20人目のノーヒットノーラン達成投手として、埼玉県の球史にその名を刻んだ、橋本 龍之介 投手のエピソードが、翌日の朝日新聞に掲載されました。それがこの写真。
噂によれば、橋本投手は、県内の野球エリート校から誘いを受けていたそうですが、この記事にある通り、小学校6年生の時に、大会の始球式で登場した際に、我が母校からエールを贈られたことを「喜び」としてずっと覚えていて、「春日部高校で、野球がやりたい」という自らの意志で、これらの誘いを断って母校へ入学したと聞きます。応援指導部としては「至極当然のこと」をしただけではありますが、当時の橋本少年にはこの事が印象深い「喜び」として記憶され、自らの意思を貫き叶え、そしてノーヒットノーランを達成した…ここにも「応援の力」は確実に及んでおり、「肉声が伴った応援」は、確実に「何か」を動かすのだということを、改めて橋本投手のエピソードからも学べた気がします。

世間的には「夏本番」ですが、「母校の夏」は静かに終わりました。
しかし、言えることは「応援の力」を改めて知ることができた「熱い夏」だった事も確かです。私の胸も「熱く」なりました。

そんな「熱い夏」を齎して下さった全ての方、とりわけ母校の「背番号9」の投手・橋本君に、ありがとうの感謝を意を示したいな…と思います。

「応援の力」。

「真に実力がある高校が、勝ち進む」という見方もあるけれど、実際にプレーしている選手は、人間であり高校生。味方(自校)から応援されることで普段発揮できる以上の力が湧いたり、勇気が出たり、勇敢に戦えることがあれば、それが対戦相手校の応援であれば、その圧倒力に飲まれてしまい、逆に普段の力を発揮できずに敗退していくことだって現にあります。

そう考えると、改めて「凄い力」だと感じました。

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2 Comments

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ありがとうございます (♯9の父)
2013-07-22 19:04:02
Dancho様。はじめまして。
春日部高校野球部、♯9の父です。
以前からこのブログを拝読し
楽しませていただいております。

今年も夏の大会が始まり
貴ブログで愚息の話題を取り上げていただき
御礼を申し上げようと思っておりました。

春日部高校のあの素晴らしい応援をバックに
グランドに立てる選手たちは幸せモノです。
愚息もあの応援の雰囲気に憧れ入学し
その「応援の力」を借りてマウンドに立てました。

浦和学院戦の最後の最後にヒットを放った酒井選手は、
大会直前までレギュラーのショートストップでしたが
精神的なスランプからこの大会スタメン落ちしました。
あのヒットは彼の意地と
「応援の力」が打たせたヒットだと思います。

多分あの日あの球場で観戦していた小中学生の野球小僧たちには
あの応援をバックに野球をやりたいと思った選手が
少なくなかったと思います。
たしかに「応援の力」は人を動かします。
実力以上の力を与えてくれます。
愚息を見ていてそう実感させられた今大会でした。

これからも貴ブログを楽しみに拝読させていただきます。
熱い応援メッセージをよろしくお願いいたします。
私は春日部高校のOBではありませんが
今後OBの父として春日部高校野球部を応援していきます。
いつか甲子園のアルプススタンドでお会いしましょう。






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御礼を申し上げるのは、私の方です。 (Dancho)
2013-07-22 21:29:49
#9の父様、こんばんは。

こんな拙い内容のブログを閲覧してくださり、誠にありがとうございます。

毎回夏の大会が終わってしまうと思うことですが、野球部の選手の皆様にお礼を申し上げるのは、こちらの方です。今年はとりわけ#9の父様のご子息が大記録を達成したこともあって、私の方が一方的に楽しませて頂いたという思いが大変強く、記事に取り上げられるたびに、まるで少年に戻ったかのように喜んでいた自分がいました。
そんな良い思い出を下さった事に対し、こちらこそ御礼を申し上げます。誠にありがとうございます。

「応援の力」が一人の野球少年の心にずっと残り、その応援の下でプレーしたい…応援指導部を3年間続けたOBとしては、これほど嬉しいことはありません。
ただ、そんな彼らにもエールを贈るのが、春日部高校応援指導部としては「至極当たり前の事」であり、それが自然にできるかどうか…が、その資質に関わると考えています。その点で、それができた後輩達を、私は誇りに思います。

「応援の力」は、プレーしている選手たちにどれだけ届いているのか…決して「定量的」ではないために、これが永遠の課題です。逆にそれができなければ、もはや応援指導部ではありません。とりわけ我が母校が「応援団」ではなく「応援指導部」であるからこそ、尚のことです。
基本は「肉声が伴う声援を、プレーしている選手達に届ける事」ですが、その観点で「日本一」かどうかは、プレーする選手諸君が感じることであると思っています。ですので、応援指導部としては、その「日本一」の評価を頂いたことに甘んじた瞬間に、「ダメ」になります。これは私が2年前、母校の勝利を見届け、次の試合が決まったその日のうちに、「バンカラ」と言われる応援団が今でも数多く残る文化にある岩手県の野球を見て参りました。そこで見た「バンカラ」の筆頭格で、いわば「岩手の応援団の横綱」的な存在の盛岡第一高校の応援を目の当たりにして感じたことで、埼玉の応援は、我が母校も含めてまだまだだと痛感しました。盛岡第一高校のそれは、先程触れた「肉声の伴った声援を届ける」という点で、全校生徒がしっかり応援の練習がされており、その声量も他を圧倒する力がありました。埼玉に帰って、これを何とかして伝えたいと思ったのも事実です。吹奏楽に一切頼らず(いや、岩手のバンカラ校に吹奏楽という概念がありません)、応援パターンは至ってシンプルながら、他を圧倒する応援ができるという意味では、残念ながら我が母校は「日本一」と決して誇れないと感じております。
しかしながら、それにかなり近づいたのが、相手校が春のセンバツ全国優勝校だった、一昨日の試合だったと思ってます。反対側の動画で見ていて「ここまでの力があったのか」と思ったのですから、ライブではもっと凄かったはずで、ほんの少し自分自身も含めて、応援という意味では褒めたいと思いました。ですが、これからも応援活動は続きます。春日部高校が存続するまでずっと…。

その「日本一」の評価を真に得るには、一度母校が甲子園に出場する事…これに尽きます。そのためなら、私にできることはやりたいと思っていますし、その一つが自分の経験を語る拙ブログで記事をエントリーすることにあると思っています。
色々なことに感けて、更新が進みませんが、この夏はどうも「#9」とそのご尊父様に背中を押して頂いた夏の様ですね。気持ちも新たに頑張りたいと存じます。

私は理科系の人間で、読書も「苦手」なため、国語の成績も現役当時から悪く、語彙力がありません。ですので書く文章はどうしても拙いことはご容赦下さい。ですが、楽しみにしてくださっている方の中に、#9の父様も含まれていたことは、驚愕的事実です。びっくりしましたが、これは続けるうえで「応援の力」になりました。

阪神甲子園球場のアルプススタンドで、必ずお目にかかりたいと存じます。
そして高らかに「校歌」、第一応援歌「秩父の嶺」、「春高健児」を歌いましょう。

コメントを頂いたことに対しても、重ねてお礼を申し上げます。

末筆ながら、拙文でありますこと、お詫び申し上げます。
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