押しても駄目なら

風が吹けば、と共に非線型現象の第二例でしょう。

第三の男とカサブランカ

2005-02-27 21:05:39 | おもいつき
余丁町散人の隠居小屋に第三の男の面白い解釈があった。『「第三の男」……正義のために自分の親友を殺すのが人間の道なのか?』
  http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1310380191/E2104406103/index.html
と言うものである。

こういう見方もあるのか、と感心した。クリックすれば簡単に余丁町散人の考え方は読めるので引用はしない。

私はこの作品を映画で五回くらい、ビデオで二三回、DVDでも二三回見たと記憶する。後になる方が新しい発見があったりして、面白いなァ、と感じていた。DVDを見た時に感想をある演出家にしたら、ヨーロッパ向けとアメリカ向けがあるらしいよ、とのコメントを述べられた。

私が最後に面白いと思ったのは、ジョセフコットンの西部劇三流作家?がある文化サークルに招かれて、散々馬鹿にされる行があり、そのシーンに長々と時間を割いていたと感じた。ウイーンを管理する連合軍のイギリス将校、トレバー・ハワード、のアメリカ作家に対する苛立ちなども連合軍内での齟齬が感じられた。そうしたことが欧州文化とアメリカ文化とのある種の対立として捉えられ、最後に墓場からの長い道でのシーンに結実するのだと私はその時初めて感じた。

原作はグレアム・グリーンで結末は良く知られているようにハッピーエンドであるそうだ、読んでいない。しかし、脚色もグレアム・グリーンだそうな。キャロル・リード監督が撮影現場で結論を変え、グレアム。グリーンも説得され、納得したのだろうか。これはイギリス映画。

そんなことを思いながら、その後、カサブランカをDVDで借りて見た。バーグマンの亭主、ポール・ヘンリード、はクーデンホーフ・カレルギーがモデルだと聞いたことがある。また、彼こそ今日のEUの基礎となる欧州統合を初めて唱えた人物とも聞く。どちらも曖昧であるが、今は論旨とは直接関係はないので、ここままにしていおく。

これはアメリカ映画でやっぱり底が浅くて、ただただボギーを格好良い人物に仕立てているだけの映画なのである。年をとってから見たら、バーグマンの役なんて二人の男の間で悩んでいる風では全くなくて、ただアメリカ風に男の言いなりになっているだけなのである。ここにもアメリカ映画のアメリカ文化の浅さが如実に見えるのである。

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