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クレアクレイス 大森店 店長ブログです!

大森のタウン情報、横浜DeNAベイスターズネタ、全く個人的な発信、などなど身近であった出来事を綴ります!!

椿山荘

2010-01-21 | 日記
こんばんは。

先日、上司の結婚式にお呼ばれしまして、
あの有名な『椿山荘』に行って参りました!

写真とったけど、なんか画像がおかしくて載せられない。。。

歴史を感じる雄大な庭園に、おもわず見とれ~

待合室の鏡台の引き出しに、椿山荘パンフレット発見、
目を通してみる。

ふむふむ、

椿山荘の周辺(東京都西北部目白台)は、南北朝のころ
から椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれていました。
山縣有朋が明治11年(1878年)に私財を投じて
「つばきやま」を購入し「椿山荘」と命名します。
山縣は明治天皇をはじめとする当時の政財界の重鎮を招き、
椿山荘で国政を動かす重要な会議を開いていたようです。
大正7年には、当時関西財界で主導的地位を占めていた藤田組の
二代目当主「藤田平太郎男爵」が、名園をありのまま残したいと言う
山縣有朋の意志を受け継ぎました。
しかし、昭和20年の空襲で、山縣公爵の記念館や一千坪の大邸宅、
樹木の大半が殆ど灰燼に帰してしまいました。
幸い丘の木立に囲まれた三重塔は焼失を免れ、今もその曲線を空に映しています。
昭和23年(1948年)、藤田鉱業(旧藤田組)から藤田興業の所有となります。
藤田興業の創業者となった小川栄一は「戦後の荒廃した東京に緑のオアシスを」
の思想の下に、一万有余の樹木を移植し、名園椿山荘の復興に着手します。
昭和27年11月11日、ようやく完成した椿山荘は、以来結婚式場の名門として
たくさんのご利用をいただいております。

へぇ~。

しかも東京都区内で現存する古塔は、空襲を免れたこの椿山荘の三重塔と、
上野公園の五重塔、そして我らが大田区を代表するお寺、池上本門寺にあります
五重塔の3つだけで、かなり貴重な文化財のようです!
本門寺ファイッ!

ちなみに私の結婚式は半蔵門で皇居を眺めながらでした。