主人への忠誠か、ナチへの忠誠か 『サウンド・オブ・ミュージック』

本日の召使 : ハンス・シュワイガー(フォン・トラップ一家の執事)

『サウンド・オブ・ミュージック』


想像してみてください。

もし、あなたが執事で、
長い年月、さる貴族に仕えていたとする。

立派で、包容力のあるご主人さまと、素朴で快活な奥さま。
愛くるしい7人の子どもたち。
居間は音楽にあふれ、おだやかで、幸せな毎日。

ところが。

戦争が、すべてを、変えた。
窓の外、街の景色が、みるみる真っ赤なかぎ十字の旗で覆われてゆく。
邸だけが、街の色に染まらなかった。
ご主人さまは言った。「この色がきらいなんだ」

ご主人さまが忠誠を誓った旗は、美しい朱色と白色の、かつての国旗だった。

一家は息をひそめて、窓の外を眺めていた。

もし、あなたが執事で、
長い年月、愛する家族に仕えていて、
自分が、ナチ党員であることを告白せねばならないとしたら――


執事の名はハンス・シュワイガー
ナチ党員でありながら、反ナチスであるトラップ一家の亡命を手助けした、執事です。

 「やさしいハンス、大好きだった」

2007年12月21日に放送されたNHK・HV特集「サウンド・オブ・ミュージック マリアが語る物語」をご覧になった方はいらっしゃるでしょうか?

92歳になった次女マリア(偶然にも母マリアと同名)のインタビューをもとに、トラップ一家がどう生き抜いてきたのかを描いたドキュメンタリー番組です。

マリアはインタビューの中でハンスの話に触れて、こう呟きました。
「やさしいハンス、大好きだった」
母のマリア・フォン・トラップが書いた『サウンド・オブ・ミュージック』
(原題:The Story of the Trapp Family Singers )では、こう述べられています。

「わたしたちが彼をたよりにしているのと同じように、彼もわたしたちにすっかりなじんでいたようだった。子どもたちもみんな彼が大好きだった。彼はみんなの打ち明け話のきき役だったのだ。」


この母娘の証言だけみても、ハンスがどれだけ家族から信頼されていたか、愛されていたかが分かります。

子どもたちが幼かった頃、とくにマリアが家庭教師としてトラップ家に来る以前は、家庭内の状況からしても、ハンスは大きな役割を担っていたことでしょう。
当時、一家の主であるゲオルグ・フォン・トラップ少佐は、邸を空けることが多かったのです。

トラップ少佐は、かつてはオーストリア帝国海軍の潜水艦艦長でした。
しかし敗戦により海軍は壊滅。
「船のない艦長」となってしまった。

ぽっかりと空いた心の穴を埋めてくれたのは、妻のアガーテでした。しかしその愛する妻は、流行り病で若くして死んでしまう。
そばには7人の子どもたちが残されたが、子どもたちの愛らしい顔を見ると、亡き妻を思い出す。それが、つらい。
トラップ少佐は思い出から逃れるように、たびたび長い独り旅に出ようになった。邸に残した子どもたちには、多くの使用人や乳母、家庭教師をあてがい、それで良しとした。

めったに家に居ない父親に代わって、邸を取り仕切り、子どもたちに目を配ったのは、使用人のトップである執事のハンスでしょう。
頼りになるハンスに、子どもたちが愛情をよせるのも、もっともです。

のちにトラップ家は家庭教師にマリアを迎え、やがてマリアとトラップ少佐は結婚し、一家はふただび家族の絆を取り戻します。そのあいだもハンスはずっと一家を見守ってきました。
幸福な、良い時期だけではありません。
トラップ家の銀行が破産し、一夜にして財産を失ってしまった後も、ハンスは一家のもとにとどまり、苦難の日々をともにしたのです。

 「私はナチ党員です」

ハンスがトラップ家の家族に告白したのは、1938年3月11日。夕食の後でした。
翌日の長女アガーテの誕生日を祝おうと、家族は図書室に集まった。
誰かがラジオをつけた。すると、首相の降伏宣言がきこえ、国歌が流れてきた。
わけがわからず、家族たちがぽかんと顔を見あわせていると――

ドアがあいた。執事のハンスがはいってきた。彼はまっすぐに夫のところへきて、青ざめた表情で言った。
「少佐、オーストリアがドイツに侵略されました。実はわたしは、ドイツのナチ党員です。しばらく前から党員でした」

(前掲書より同引用)


トラップ一家が衝撃を受けたのは言うまでもありません。トラップ少佐はこれまでに再三、ナチスへの協力要請を断ってきた。娘が新しい「わが国歌」を歌わないのでマリア学校から呼び出されたこともある。
だがそれらの脅威はまだ「家の外」にあった。それが、知らぬうちに「家の内」に忍び込んでいたのだ。

ハンスが告白した次の日、街は、赤い大きなかぎ十字で埋めつくされた。

昼食。夕食。外側はいつもとなんの変わりもなかった。みんないつもの席につき、ハンスがお皿や料理を運び、音もなく給仕してくれる。非常に従順な執事そのものだ。うちの銀行が破産してからも、彼はかなりの減給にもかかわらずとどまってくれた。
―(略)―
けれども、いま、テーブルの間を歩いている彼の顔には、こわばった表情がうかんでいた。
食事が始まって、ゲオルグがことさら次のような話をはじめたとき、ハンスにはその理由がちゃんとわかっていた。ゲオルグはこういったのだ。
「今年の春はどうも遅いようだね。庭には花の芽がもうでているだろうか?」
そして、ゲオルグは花や天気の話をつづけた。ハンスは、わたしたちがもう彼をもはや信頼しておらず、むしろ、恐れているのだと知っていた。彼はもうわたしたちの仲間ではなかった。ナチ党員なのだから。

(前掲書より同引用)


先に挙げたNHKのドキュメンタリーによると、ハンスはトラップ少佐に「食事のときは政治の話は避けてください」とお願いしたそうです。ハンスはトラップ家を監視するようナチ党から命ぜられていたので、もし家族のだれかが反ナチスの発言をすれば、そのことを本部に知らせなければならなかったです。

さらに、アメリカからの公演依頼があるのを知ると、主人に強く勧めました。
「アメリカに行けるチャンスがあるなら、早く逃げてください」
ハンスの助け舟によって、トラップ一家はオーストリアを脱出したのです。

 その後、ハンスは…

マリア著の『サウンド・オブ・ミュージック』は、オーストリア脱出の話までで終わっています。続編の「アメリカ編」も読みましたが、「ハンス」の名が挙がることはありませんでした。(いちおう断っておきますが、ハンスが出てこないからといって「アメリカ編」がつまらないわけじゃありません。はなしの「面白さ」ではこちら続編の方に私は軍配を上げます)

その後、ハンスはどうなったのでしょうか。

NHKのドキュメンタリーでも、ハンスのその後については語られませんでした。

事実詳細が分からないと、想像が先走ってしまう。

ひょっとしたら、不名誉な死で生涯を終えたのかもしれない。
元ナチ党員。戦犯の過去。
それらの刻印をひた隠し、国外逃亡、誰にも知られず、ひっそりと孤独に暮らす。
それとも、戦争が終わる前に、トラップ家を逃した件でナチスから処罰を受けたかもしれない。
もし、故意に逃したのがバレたら、「裏切り者」としてもっと酷い処罰が――

いやいや、想像だけで語ってはいかん。

ドキュメンタリーで、一瞬だけハンスの肖像写真が映されました。
印象は、「なかなか、端正なお顔立ちなのねぇ」

ハンスの顔の残像を眼の裏で追いながら、本の中でマリアが記した、クリスマスも近いある晩のエピソードを思い返しました。

1926年の12月5日の晩。
聖ニコラウスは地上に降りてきて、小さな子どもたちを訪れる。
執事はその端正な顔に、腰の下までのびる白いあごひげと、借りものの眼鏡を着けて、邸の入口に立った。主人と奥方にうやうやしく迎えられ、神妙な顔つきの子どもたちを前に、分厚い魔法の本 (本当は、表紙を包装紙でおおった百科事典) を広げる。

その魔法の本には、この家の子どもたちが犯したいたずらや失敗が、ぜんぶ書かれているのだ。こっそりタバコを吸った、妹をつねった、ギリシャ語の授業を3回さぼった…エトセトラ、エトセトラ。
聖者はそれらをひとつひとつ読み上げる。聖者はみんな、お見通しなのだ。
うなだれた子どもたちは「もうしません」と熱っぽく誓う。
聖者はそれを聞くと、子どもたちにあげるお菓子や果物がたくさんつまった袋を邸に運び込ませた――

ナチ党員、聖ニコラウス、執事。

ハンスは戦後、どんな役割を引き受けて、生き抜いたのだろうか。 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 召使語録7 ... 漫画化、ジー... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。