執事・メイド・従僕・使用人について。あらゆる作品が対象。出版元の詳細は記事中の作品名をクリック。amazonに行けます。
執事たちの足音
グルメな主人に仕えたら――澁澤龍彦「グリモの午餐会」
仕える主人が料理にこだわるグルメだったら、使用人はどんなハメに陥るか?
それも、ものすごく突飛なアイデアで食卓の演出を司る「美食のエンターテイナー」だったら―
そんな夢想に応えてくれる人物がいます。
グリモ・ド・ラ・レニエール。
18世紀後半、奇想天外なる午餐会でパリの人々を仰天させたフランス人です。
澁澤龍彦「グリモの午餐会」を読んで、この奇人を知りました。
どんな奇想天外な午餐会だったかというと、例えば1783年のそれは、まず招待状が変わっています。
なんせ「死亡通知状」にそっくりなのです。
わざわざ「下僕を連れてくるな」と断りを入れている所に、グリモの策略を感じさせます。事情を知らない外部の召使いが入り込んで、邪魔されたくない―
それもそのはず、その午餐会はかつて例のない大スペクタクルだったのだから。
午餐会に招待された客人は、まず大広間で待たされる。
そこは暗く、不気味な髑髏の上に立てられた四本のろうそくだけが辺りを照らしている。聞こえるのは、気の滅入るような悲しい音楽。
食卓の準備がととのった合図の鐘は「教会で葬式のときに打ち鳴らす鐘」で、通された食堂の壁紙は黒一色、明かりはここでも数本のろうそくだけ。
急にろうそくの火が消えた。
あたりは真っ暗闇。
花火が破裂して、壁の上にお化けのような影がうつしだされる。
客人たちはゾッとした。もうまっぴら、いい加減にしてくれ!
そう思い始めた次の瞬間、
パッと明かりが輝いた。
すると、食卓は一変して、華やかな景色へと変貌していた。
壁紙には鮮やかでめずらしい花々や植物が描かれ、テーブルの上では籠の鳥がさえずっている――。
葬儀人夫になったり、羊飼いに変装したり、給仕人は大忙しだコリャ。
闇から光へと世界を逆転させるこの見事なグリモの演出には、助手としてコメディ・フランセーズの俳優デュガゾンという人が当日の会場演出を受け持っていたそうです。
つまり、プロデューサー&演出がグリモ、
演出助手&舞台監督がデュガゾン、
そして扮装して給仕に当たった使用人たちが俳優、といった役回りでしょうか。
わたしは芝居の舞台裏の仕事をしていた時期がありまして、こういう大がかりな演出を施したグリモの午餐会の様子を読むと、「きっと香盤表(俳優全員の役割や出場・退場きっかけ等がシーンごとに表記されている)が作られたんだろうなぁ」と想像してしまいます。
ゲネプロ(本番通りの稽古。初日の前日に行う)だってしたに違いない。
「いいかお前たち、暗転中は花火をバンバン鳴らして、お化けの影で恐がらせて、お客人の耳と眼をふさがせろ。壁紙の黒幕を外しているのがバレないようにな。それが終わったら葬儀人夫の衣装をすぐ脱いで、10秒で羊飼いに着替えろ。つぎに一斉にろうそくの明かりを点けろ。誰一人、タイミングずれるなよ!」
主賓席からダメ出しの檄を飛ばすグリモ。テーブルの周りでいま言われた注意を香盤表に書き込む使用人たち。ランドリー・メイドは衣装係りに借り出され、手の空いたフットマンは照明のチェックに余念なく…
とまあ、本物の芝居の舞台裏さながらに、使用人たちは大わらわだったんではなかろうか。
この時、使用人たちはこの大饗宴の舞台に立たされている自分たちを、どう思っていたんでしょうか?
グリモの午餐会が催されたのは1783年。そろそろ世間が物騒になってきている時代です。(この年にパリ条約締結、2年後にマリー・アントワネットの首飾り事件、6年後にフランス革命勃発)
使用人たちは、正真正銘の「民衆」です。
主人のグリモは、貴族ぎらいの急進主義者でしたが、
(豚肉屋出身で成金趣味の父親や、貴族出身の鼻持ちならない母親を軽蔑し反抗していた)
やってることは放蕩貴族の余興とおんなじです。
親兄弟はもう明日のパンを買うことさえ難しくなってきているのに、仕事とはいえ葬儀人夫や羊飼いの格好させられて…キテレツな余興の一員に加わって…。
(オレ、何やってんだ?)
そう、思っただろうか?
フランス革命後、グリモは「食通年鑑」という料理・食糧品店の案内書を出版し、また同時に「味の審査会」なるものを組織して、美食の権威として栄華を極めました。
しかしある一件をきっかけに、いっぺんに名声を失墜します。
12人の委員によって組織されているはずの「味の審査会」が、じつはグリモだけであったのが、バレてしまったのです。(品評のために持ち込まれた珍味佳肴を、グリモは1人でむしゃむしゃ食べ尽くしていた)
商人たちに訴えられてパリを去り、晩年はひっそり城館にこもって暮らしたそうです。ともに食事を楽しむ友も訪れず、お相伴にあずかったのは、城館に飼われていた一匹の巨大な豚だったという。
給仕人は豚の首にナプキンをかけながら、この時、どう思っただろう。
(オレ、何やってんだ…?)
それも、ものすごく突飛なアイデアで食卓の演出を司る「美食のエンターテイナー」だったら―
そんな夢想に応えてくれる人物がいます。
グリモ・ド・ラ・レニエール。
18世紀後半、奇想天外なる午餐会でパリの人々を仰天させたフランス人です。
澁澤龍彦「グリモの午餐会」を読んで、この奇人を知りました。
どんな奇想天外な午餐会だったかというと、例えば1783年のそれは、まず招待状が変わっています。
なんせ「死亡通知状」にそっくりなのです。
来たる二月一日にバルタザール・グリモ・ド・ラ・レニエール氏によって行われる饗宴の野辺送りにぜひ御参列をお願いしたく存じます。―(略)― 当方にて召使は十分に揃えてお待ちいたしますゆえ、下僕をお連れにならぬよう願いあげます。(後略) (『もの食う話』収録「グリモの午餐会」より。以下、同引用。) |
わざわざ「下僕を連れてくるな」と断りを入れている所に、グリモの策略を感じさせます。事情を知らない外部の召使いが入り込んで、邪魔されたくない―
それもそのはず、その午餐会はかつて例のない大スペクタクルだったのだから。
午餐会に招待された客人は、まず大広間で待たされる。
そこは暗く、不気味な髑髏の上に立てられた四本のろうそくだけが辺りを照らしている。聞こえるのは、気の滅入るような悲しい音楽。
食卓の準備がととのった合図の鐘は「教会で葬式のときに打ち鳴らす鐘」で、通された食堂の壁紙は黒一色、明かりはここでも数本のろうそくだけ。
まるでお通夜の席そっくりだった。しかもテーブルは柩(ひつぎ)をのせるための霊柩台(れいきゅうだい)であり、テーブルの上のコップは骨壷なのである。―略― 食事のサービスをしていたのは、肌もあらわなニンフの扮装をした少女たちだった。ところがデザートになると、給仕人は葬儀人夫に変った。 (※注 カッコ内読み仮名はブログ筆者による) |
急にろうそくの火が消えた。
あたりは真っ暗闇。
花火が破裂して、壁の上にお化けのような影がうつしだされる。
客人たちはゾッとした。もうまっぴら、いい加減にしてくれ!
そう思い始めた次の瞬間、
パッと明かりが輝いた。
すると、食卓は一変して、華やかな景色へと変貌していた。
壁紙には鮮やかでめずらしい花々や植物が描かれ、テーブルの上では籠の鳥がさえずっている――。
会食者たちにアイスクリームをサービスして歩く給仕人も、羊飼いの扮装をした若い男女に変っていた。 |
葬儀人夫になったり、羊飼いに変装したり、給仕人は大忙しだコリャ。
闇から光へと世界を逆転させるこの見事なグリモの演出には、助手としてコメディ・フランセーズの俳優デュガゾンという人が当日の会場演出を受け持っていたそうです。
つまり、プロデューサー&演出がグリモ、
演出助手&舞台監督がデュガゾン、
そして扮装して給仕に当たった使用人たちが俳優、といった役回りでしょうか。
わたしは芝居の舞台裏の仕事をしていた時期がありまして、こういう大がかりな演出を施したグリモの午餐会の様子を読むと、「きっと香盤表(俳優全員の役割や出場・退場きっかけ等がシーンごとに表記されている)が作られたんだろうなぁ」と想像してしまいます。
ゲネプロ(本番通りの稽古。初日の前日に行う)だってしたに違いない。
「いいかお前たち、暗転中は花火をバンバン鳴らして、お化けの影で恐がらせて、お客人の耳と眼をふさがせろ。壁紙の黒幕を外しているのがバレないようにな。それが終わったら葬儀人夫の衣装をすぐ脱いで、10秒で羊飼いに着替えろ。つぎに一斉にろうそくの明かりを点けろ。誰一人、タイミングずれるなよ!」
主賓席からダメ出しの檄を飛ばすグリモ。テーブルの周りでいま言われた注意を香盤表に書き込む使用人たち。ランドリー・メイドは衣装係りに借り出され、手の空いたフットマンは照明のチェックに余念なく…
とまあ、本物の芝居の舞台裏さながらに、使用人たちは大わらわだったんではなかろうか。
この時、使用人たちはこの大饗宴の舞台に立たされている自分たちを、どう思っていたんでしょうか?
グリモの午餐会が催されたのは1783年。そろそろ世間が物騒になってきている時代です。(この年にパリ条約締結、2年後にマリー・アントワネットの首飾り事件、6年後にフランス革命勃発)
使用人たちは、正真正銘の「民衆」です。
主人のグリモは、貴族ぎらいの急進主義者でしたが、
(豚肉屋出身で成金趣味の父親や、貴族出身の鼻持ちならない母親を軽蔑し反抗していた)
やってることは放蕩貴族の余興とおんなじです。
親兄弟はもう明日のパンを買うことさえ難しくなってきているのに、仕事とはいえ葬儀人夫や羊飼いの格好させられて…キテレツな余興の一員に加わって…。
(オレ、何やってんだ?)
そう、思っただろうか?
フランス革命後、グリモは「食通年鑑」という料理・食糧品店の案内書を出版し、また同時に「味の審査会」なるものを組織して、美食の権威として栄華を極めました。
しかしある一件をきっかけに、いっぺんに名声を失墜します。
12人の委員によって組織されているはずの「味の審査会」が、じつはグリモだけであったのが、バレてしまったのです。(品評のために持ち込まれた珍味佳肴を、グリモは1人でむしゃむしゃ食べ尽くしていた)
商人たちに訴えられてパリを去り、晩年はひっそり城館にこもって暮らしたそうです。ともに食事を楽しむ友も訪れず、お相伴にあずかったのは、城館に飼われていた一匹の巨大な豚だったという。
彼はこの豚を愛し、いつも一緒に食事をしていた。もう彼には、一緒に食卓をかこむ相手は豚しかいなかったのだ。 豚は上席にすわり、首のまわりにナプキンをかけ、黄金の皿から食っていた。 |
給仕人は豚の首にナプキンをかけながら、この時、どう思っただろう。
(オレ、何やってんだ…?)
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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ひつじの執事が可愛いです☆
https://www.seemee.jp/top.html
にゃははは。可愛いですねぇ~。
ご紹介くださったサイトの「フォトスタンド」で、初恋の相手に、
「自分の羊毛でマフラーを編んで差し上げる」
って、アンパンマン並みの自己犠牲エピソードが、さらに執事度をアップさせておるように思いまする(笑)
教えてくださって、ありがとう!
‥‥という訳で、今日も御近所の野良ちゃん達と仲好く「猫まんま」を頂くことしよう‥‥。(笑)