ごぶさたでした。

皆さま、おひさしぶりでございます。
「執事たちの足音」再開です。

とつぜんブログ更新を止めてしまいまして…

国書刊行会ジーヴス本の訳者、森村たまき様からは年賀状にて
「心配しております」と書かれてしまったりして、いやはや、恐縮です。

更新がストップしていたのは、身体を壊していたのでも何でもありません。
引越しで、2ヶ月ほどネットがつながらない環境にいたのです。
で、今回やっとつながったワケですな。

引越しを終えて、NTTのネット接続工事が入るまで、年末年始をはさんでかなり長い日数を過ごしたのですが、その間はわが家に新しく迎えた猫と、のんびり過ごしておりました。

猫。そう、猫ですよ。あこがれの。
初めての経験です。猫と一緒に暮らすの。

いや、正確にいうと、初めてじゃない。
「預かって」いたことはある。小さな捨て猫(ネズミくらい小さかった)を、里親を探すまでの間、6ヶ月くらいまで育てたことはあります。

でも「うちの猫」は初めて。

もぉ~オ自分の好きなように触っていいんだ。
気に入った名前を付けて、心ゆくまで呼ばわっていいんだ。
この温かい生き物を。ふっふっふ…

「再開したと思ったら、猫ブログかよ~?」と思われた方、
だいじょうぶ。ちゃんと執事につながります。


さて、こうして猫と暮らすようになると、「猫」がキーワードの本が読みたくなってきます。

猫を新居に迎えた、その日の晩。
猫語の教科書 (ちくま文庫)を本箱の奥から引っぱり出して再び読みはじめました。



表紙の写真は、猫がタイプを打って執筆しているところ。

むかし読んだ時は、さほど印象に残らなかった(ような気がする)。
しかしいま「うちの猫」を迎えて、改めて読んでみると、そこに描かれている猫の行動が映像をともなって目の前に浮かんでくる。毛を撫でる手触りまで感じる。

以前、印象に残らなかったのは、わたしのほうに猫を感じる受信機が備わっていなかったんだなぁ。

「猫語の教科書」は、語り手である猫「私」が全国の猫に向けて記した「猫のための快適生活マニュアル本」です。
一貫したテーマは「どうやって人間をしつけるか?」

いかに猫が人間をいいよ~に操っているか、策略をめぐらし術中にハメているかをユーモアたっぷりに、猫が上から目線で描いています。(「声を出さないニャーオ」は最高です)

一方の手で「猫語の教科書」を広げて、空いているもう一方の手で膝の上の丸まった我が猫の背中を撫でる…という夢のような環境で、第15章「別宅をもってしまったら」まで読み進めました。

「別宅をもってしまったら」とは、猫が複数の家に出入りすること。つまりふたまたをかける。この二重生活(あるいは三重、四重)を上手くこなすコツは、どの家の人間にも「ウチの猫」と思わせることなんだとか…。

なかには「ウチの猫」と思わせる必要がない場合さえあります。私の知ってるある猫は、ごく平均的な中流家庭の猫でしたが、大金持ちのお屋敷に、おやつをもらいに定期的に通ってました。その家の執事から食べ物をもらっていたのです。執事は孤独な境遇の人でした。この人の自由時間は午後三時から六時まででしたが、猫はその時間を彼の部屋で彼といっしょにすごしてあげていました。そして執事はそれで満足だったのです。お返しに猫はびっくりするほど豪華なおやつをもらっていました。だってその家の食べ物は、ひとつ残らずよりぬきの特選品ばかりでしたからね。


執事と猫。
ああ、イメージが浮かびます。きらきらと。
暖かい執事室。磨き上げられた窓は趣味の良いカーテンに縁取られ、日光が部屋の奥まで差し込んでいる午後3時。
執事はそっと窓の扉を「猫が通れる」ように細く開けて、温めておいたミルクを小皿にそそぎ「いつもの場所」に置く。
それから椅子に腰かけて自分用のお茶をすすりながら「あれ」が来るのを静かに待つ…。

きっとお屋敷の主には内緒で迎えていたんだろう。
雨の日は「今日は来ないかもな…」なんて気を揉んだりして。(猫は濡れるのが嫌い)
だからこそ、この執事にとって、一緒に過ごせる猫とのわずかな時間は、幸福に満たされていたんじゃないだろうか。

膝の上の、丸く、このあったかい生き物を撫でながら、わたしくは執事に強く共感するのです。


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コメント
 
 
 
はじめまして。 (yuki)
2009-01-22 17:11:35
こんにちは。「エドワード朝 紳士」でググっていたたところこのブログに出会いました。
どの記事も興味深く、早速「猫語の教科書」、「もてなしの事典」図書館で予約してしまいました!
これからもブログ楽しみにしてます☆
 
 
 
良かった! (雨意里亜夢)
2009-01-22 21:15:58
countsheep99さんはご病気でもなく、まして天に召されたのでもなく、ネコちゃんと楽しく過ごされてたんですね。安心しました
はじめまして、昨年12月にこちらのブログにたどり着きました。
昔、『ニューヨーク・パパ』(The Family Affair)というアメリカのTVドラマがあって、子供だった私はそのドラマが大好きだったんです。飛行機事故で両親を亡くした3人の子供達がマンハッタンの高級マンションで暮らす独身の叔父さんに引き取られて来るというドラマなんですが、なんとその叔父さんはフレンチさんという執事(セバスチャン・キャボットhttp://www.superdramatv.com/line/yonimo/index.html)と2人で住んでいたんです。
思えば、その時「執事」に出会ってしまったんですねぇ・・・
それから「執事」とはいろいろあって(?)、現在は敬愛して私淑して兄事している丸谷才一氏つながりでジーヴスに巡り合い、平穏に暮らしております。
それにしても、森村たまきさんからお年賀状が届くなんて、素晴らしいというか羨ましい。『比類なきジーブス』の訳者あとがきに森村さんが「配偶者の博識と・・・」と書かれていて、その部分に感動した私はさっそく我が配偶者に「ねぇねぇ、森村さんのご主人は奥さんにどう言われているか聞きたい?」と尋ねたところ「聞きたないっ!」というにべもない返事。
「アンタねぇ、そんなことでは100年修行しても一人前の執事には、なられへんよ」と言ってやったら「そんなもん、なりたないっ!」
これですもんねぇ、現実は厳しいです
とにかく、これからもブログ一生懸命読ませていただきます。
この歳になって初めて、自分が「執事好き」だったのだと気付かせてくださったcountsheep99さん、心から感謝いたします。
 
 
 
どうも、どうもです。 (countsheep99)
2009-02-01 23:14:04
>yukiさま。

はじめまして!

「ヴィクトリア朝 紳士」でクグらずに「エドワード朝」を選ぶところが、何とな~く「通」らしき? 匂いを感じます。ふっふ。どうでしょう。

また時間に余裕がある時にでも、のぞきに下さいね。


>雨意里亜夢さま。

生きてましたよ~(笑)

『ニューヨーク・パパ』、面白そうなドラマですね。観たいなぁ。レンタルDVDになってないかな。執事役の役者さんも「いかにも」って雰囲気で素敵! いい執事との出会いを経験してますね。

>ジーヴスに巡り合い、平穏に暮らしております。

これ読んで、私も嬉しい。

わたしも森村たまきさん訳のジーヴスに巡り合った時は「(私の理想の執事が)ここにいたのかー!」と至福&安堵を味わいました。

森村さん訳のジーヴスの台詞、大好きなんです。わたくし。
実際の、リアル執事はこんな言い回し(漢語のような、畏まり過ぎの、仰々しい)は、しないかもしれない。
「でもジーヴスなら言いそう…」なところが。
かといって「やりすぎ」まではいかない、ギリギリのところで、ひょうひょうと述べているのが(私の想像する)ジーヴス像とピッタリなんですよねぇ。

また、気軽に遊びに来てください。

追伸
素敵なご主人じゃないですか!
このまま「ご主人さま」でいさせてあげて(笑)
 
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