goo blog サービス終了のお知らせ 

'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

♪どこかに

2016年12月07日 | その他

 

 

 

♪いいことあるよ~

 

 

♪あなたと行こうよ~

 

 

 

♪荷物などいらないさな~にも

 

 

 

♪愛だけが僕たちの~荷物さ

 

 

 

♪いいことがいいことがあ~るよ

 

 

新年早々やるようで、口パクですが・・・

本編見るの22年ぶり、内容忘れた(笑)

 

 

 

 

 

 

珍しくない?85年のジュリー↓

 

 

 

時代の変わり目、当時肌で感じてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや・・・なんとなく特に意味なし(笑)、いま「サムライ」の頃を調べてて頭の中がちょうどこの頃で。

ねった記事を書くヒマないんで、ツイッターみたいにく特に意味なくお気楽に更新できるツールがなんかあればいいなー。

ツイッターはやるのはキライだから絶対やらない、バカがバレる(笑)

 

 

 

 

 

いきなりじゃじゃ~ん♪

 

いま、雑誌をスキャンスナップで読み込んで大量に処分中、裕子さん記事がたくさん出て来て80年代って裕子さんの全盛期だったんですね。

いつか裕子さん写真館やっちゃおうかな\(^o^)/

 

ほいさ

 

 

 

 

 

明日は高円寺に安田尚哉さんのバンド見に行ければいいなと思います、ハイ

 

 

 

 

 

 


●移りゆく時代の中で

2016年10月19日 | その他

 

83年6月ホーガンのアックスボンバーで
失神KO~入院、一般マスコミでも話題に

 

 

 

アントニオ猪木と沢田研二。

この2人の歩みには共通項がある、授業中そう考えてたのはずいぶん昔の話。

いつかコレについては書きたいな・・・、実際プロレス雑誌に同じこと考えてた人が記事にしたこともあったりして。

最近猪木さんの昔の試合を見たり、83年のジュリーの記事を書いてる都合上、その頃のジュリーを見てて感じるのは「疲れ」。

全盛期に比べ筋肉も落ちてしまい、「落日の闘魂」を象徴する決定的な「IWGP失神事件」が83年6月。

今ではこの事件の真相も諸説あり、いずれにしても肉体的にもリング外でも消耗し切ってたのは確かだろう。

ジュリーも同時期売り上げ不振、連日の○○報道、思えばこの頃「TOKIO」からでさえ、もう3年半も走り続けてたんだからムリもないよなぁ。

それでもリアルタイムではそれなりの盛り上がりと話題性で、いつもの猪木、いつものジュリー、だったのではないかと。

現在は映像で全盛期から冷静な視点で歴史を振り返れるから、「猪木さん胸板の厚みが落ちた」とか「ジュリーの表情が迷ってる・自信なさげ」とか、なんだかハッキリと見えちゃったりして。

1970年代を駆け抜けた男達が、ふっとひと息つきたくなったのがこの辺りだったのでは。

 

 



そういう自分も83年のジュリーTV出演記事の製作に疲れてたりして、ぶっちゃけこのまま84年夏まで、意外性もなくパッとしないまま終わります。

「こんな番組出てたんだ!」とか「こんな番組あったんだ!」とか、この時代になるともうないんだよね・・・

 

 

79年「Gアロー賞」
自信にあふれる勇姿と

 

 

 83年「日本歌謡大賞」
「俺がとちゃってもいいのかな?」みたいな
番組で持ち上げられる反面、売り上げがともなわず困惑する姿が目立つ83年ジュリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


●若者よ

2016年09月18日 | その他

 

 

まさか、きっか(24)が「勝手に」を知ってるとは・・・、どこで知ったんだろう??

この2年できっか、えっ~と20回以上見てるかも(笑)

新曲が出ると毎週土日に無料インストアライブをずーっとやるんで、ちょこちょこ行ってたらそのぐらいになりますねぇ。

ライブの時にはさんまさんからお花が届くような、今時レアな歴としたソロメジャーアイドルです。

 

 

 

 

 

ところで、こないだ液晶テレビという奴を初めて買いました、今更今頃遅すぎうひゃ~信じられない・・・


じゃあ今まで何で見てたって??

ちょっと大き目のパソコンモニターにブルーレイレコーダーから接続して見てたんですねぇ。

と言うのも前のデカいブラウン管テレビが鎮座して、捨てるのもお金と人手が必要なもんで何とな~く何年も放置していたのです。

 

だいたい今のテレビ番組自体見なくなったし。

 

 

コイツ重すぎ↓

 

 



やっと6月に高い金出してコイツを処分したんで買ってみたら、今まで画質が悪いと思ってたのも結構いけちゃうのと、映画がキレイに見れるのがビックリ。

 

 

画像にすると大きさが全然伝わらない、そこそこ大きいんだけど・・・

 

 

 

 

 

おかげで「渚のラブレター」とか

 

 

 

 

 

 

 

 「渚のラブレター」とか

 

 

 

 

 

 

 

やっぱりどうしても夏だから「渚のラブレター」とか

 

 

 

 

 

 

たまに全日とか・・

 

 

 

 

 

 

デカイテレビ付き「LOVE」とか

 

 

 

 

 

ハードディスクに入れてあるんでいつでもリモコン1つでサッと。

 

 

 

 

やっぱ音楽はステレオで、映像はテレビで、ネットはパソコンで見るのが1番かと

 

 

 

 

 


●昭和の名曲誕生秘話 78’ と はつらつ30才

2016年06月19日 | その他

 

唐突に・・・昨日録画したのさっき見て「え~そうなんだぁ」って!、知りませんでしたハッキリ言っちゃうと興味ないので(笑)

某Kさんのデビュー曲の方の「勝手に」の話、あの曲のシングル盤はいちおう他人からっもらって持ってましたが。



Kさんのコアなファンさん、たーっくさんいそうなんでヘタなこと書けないから検索防止(笑)、ファンの方見てたらゴメン。

どれどれ~?ってその頃の回をちょっと探してみたら、すぐに発見♪



この回↓

●77年9月10日(土)

TBS「8時だョ!全員集合」(PM20:00~20:55)

▼ドリフの金庫泥棒 勝手にしやがれ!
出・ちあきなおみ、浅野ゆう子、桜田淳子

※憎みきれないろくでなし 志村けんと付き人コント 会場・渋谷公会堂

 



※画像は80年に再放送した時の物(この時はこの件には触れず)

 

ひっくるめて俺が「勝手にシ〇〇〇〇〇」って作ったんだ

 

♪壁際に寝返りう~って

 

♪チャンチャ、チャチャ、チャンチャ、チャチャ(BGMピンク「渚の」)

 



♪チャンチャチャ(BGM「勝手に」エンディング)

 

 



お前もやってみろ

 

 

BGM「勝手に」

 


♪セクシ~、あなたはセクシ~(BGMピンク「渚の」)

 

 



♪チャンチャチャ(BGM「勝手に」)



 

「勝手にシ〇〇〇〇〇」発売が翌年の6月、Kさん1年近く前にコレをアマチュア時代見て書いたんですね。

 

 

 

ちなみにジュリー番組特定班(誰?)よると同番組で流れたコレ↓

 

 

 ●75年11月26日(火)

NET「あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 入賞者決定!」(PM19:30~20:52)

司会・田宮二郎、うつみ宮土里

 

75年の「あなたが選ぶ」は、例によってオープニングフェス、入賞者決定、本選と3種アリ。

 

 

 

 

 
それよか今気になってるのは、ジャガーズがGS再ブームに乗り82年にリリースした「はつらつ30才」という曲。

なにこの曲?、今の感覚で聴くと(笑)




「30年の人生に 30年の歌がある はつらつはつらつ よみがえる」って・・・




「30才」が凄ーい年寄り!、「はつらつ」なのを強調しなきゃならない程の年寄りなのか?

「30才」がよみがえらなくてはならないぐらい年寄りなのか?



「あの日も青春 これからも青春 いつまでも青春 オービバ!30」




まるで「30代賛歌」、80年代前半の「30才」・「30代」がいかにオジサン扱いだったのかよくわかって、ちょうど83年のジュリーを調べてるとこなんでコイツが参考になりました(笑)

ジュリーも段々とテレビの中で、当時風に言うとこの「オジン」枠になってったのかもなぁ、ジュリーがはつらつはつらつによみがえらなくてはならなかった1983・・・

 

 

 

注・CM用で歌詞が違います

 

 

 

 

 

 


●ジュリーとHiroshima

2016年03月06日 | その他

 


ジュリー、新作で「Hiroshima」をテーマにした曲も収録したんですね。



ジュリーと「広島」と言えば・・・

 




「ベストテン」広島球場とか

 

 




広島名店街での紅葉饅頭「サムライ」とか


 

 

 


じゃなくて(笑)

 


はたまた「広島」→「原爆」→「太陽を盗んだ男」、これはあまりに短絡的すぎる。

 

 

ここでは「広島」と言うより「Hiroshima」、真っ先に舞台にしたこのドラマが思い浮かびます。

 

 

 



「京都」も投下目標の有力候補地だったこともあり、ジュリーも思う所あるのかな?
ジュリーが「京都」生まれじゃないのは知ってます、でも3発目・4発目が「京都」に落ちてたらタイガースはなかったかもしれない。

悪いけどジュリー、「反核」「反戦」特に何か主張する気はないけど、「Hiroshima」には資料館の展示が今より濃かった小学生の頃行って見てしまったし、以来毎年夏の戦争ドキュメント番組は全部欠かさずチェック。
たまにやる深夜の戦争ドキュメントも忘れずチェック、今でも関連本も日常的に読んでるから「太平洋戦争」「Hiroshima」かな~り詳しいよ(笑)

何かを主張する気はないけど興味がある、コレが案外ネットを見たら同じコースを辿り同じスタンスの方が多いのは驚き。
それは「宗教」に入る気はないけど、「釈迦」には興味があるような物なのか?

ジュリーが「Hiroshima」をどう作品化したか興味津々です、今年も遅れて横浜行く時買おうかなぁ。

 


特に「反核」「反戦」主張はないけど↓

・原爆投下について誰も裁かれてないのはおかしい
・鳥越俊太郎さんが「原爆は犯罪ですよ」と番組で言った言葉が忘れられない
・A級戦犯はB・C級戦犯より、「悪」と勘違いして言葉を使ってる人が多すぎる
・A~Cは等級ではなく、B・C級戦犯も各国の即決裁判で日本人千人以上が極刑にされているのは知られるべき

コレだけは日々感じます。



 

 

 

 

 

★このブログの人はこんなのも今読んでます#2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








●友部さんの日記から

2016年01月15日 | その他

 

 

3月12日(火)「You Tube」

ニューヨークに着きました。
JFKからマンハッタンまで、朝の渋滞に巻き込まれて1時間半もかかりました。

You Tube に上げられたぼくのCDからの音源があまりにも多いので、おもに友部
オフィス制作のCDの音源を上げている人に、削除するようユミが直接メールをし
たら、徐々に返事がきています。
いろんな人がいて、すみやかに削除してくれるという人もいましたが、「アップ
してもらえるだけでもありがたいと思え、阿呆」と罵倒する人もいました。
こんな人もぼくの歌を聞いているのかと、ユミが思い切った行動をしたおかげ
で、思わぬファン(?)の一面を見ることになりました。
You Tubeの仕組みがまだよくわからないので、自分ではアップしていなくてぼく
の歌をお気に入りにしている人にもユミはメールしていて、現場はいまだ混乱し
ていますが。

You Tube という広大な架空のたまり場のおかげで、製作者がお金をかけて作っ
た音楽が無断で無料で匿名でやり取りされるようになったのは事実で、そのこと
を一度はっきりと口にしたほうがいいと、今回のような行動を取ってみてよかっ
たと思います。

3月2日(土)京都市「アバンギルド」

2部のLDK、今夜はけっこうのりのりでした。2日目で3人の演奏がこなれてきたか
らでしょう。
アンコールでは「Bring It On Home To Me」を初めてLDKでやりました。

デジタル・オーディオ・レコーダーでライブを録音している人がいて、ぼくとユ
ミが注意したにもかかわらず最後まで録音を続けたようです。
渕上さんも終演後に注意をしようと追いかけてくれたのですが、人違いをしたら
しく、間違えた人にほんとにすまなかった、と悔やんでいました。

ぼく個人の気持ちでは、録音している人がいると、CD化されていない未発表の曲
はできなくなります。本当はできたばかりの曲も聞いてもらいたいのに、録音さ
れているとわかると歌いたくなくなるのです。
今回LDKで取り上げた「100万回生きたねこ」の中の2曲も、まだミュージカル
の本公演で歌われただけで、ほかの場所では歌われていない、未発表に近い作品
でした。
大切な楽器を盗まれたような感じ。

ついでに言うと、you tubeにぼくの音源をアップしている大勢の見知らぬ人たち
にも、非常に困っています。小野由美子の言うには、音源の権利は製作者のもの
なので、そんなことをするのならCD製作費を全額支払ってほしい、ということで
した。
「クレーン」を発売した後、なかなかアルバムを録音しなかったのは、こういっ
た理由もあったのです。

 

 

注・小野由美子・ユミ=友部さんの奥さん

 

 

 

 

 

【感想】

・あのサイトについてはアーティスト側も寛大な人と不定的な立場を取る人がいるようだが、アーティスト自身が公式に番組を持って情報発信していたり、もはやネットに接してる以上不定出来ない存在。
・当然自分も利用はしているし今後も間違いなく利用するだろう、ただしジュリーに関してはあそこからはこのブログで静止画像1つ利用しないで来たつもり、本当はNGなんだけど静止画ならまだギリギリ許されるかなと思ってきたつもり。
自慢する気はないがネット上で見聞きでるようなのは、8~9割方ファン間を行きかうRやビデオやデータで所有してる、そもそも圧縮動画は所有した気がしない、欲しいのは「動画」じゃなく「映像」だ、元が同じ素材からUPされてるのも当然ある訳だが。
ブログもサイトもやってなくても自分以外にも持ってる人は何人も知ってる、特別なことではない、ただ彼等も自分も大人だからネット上にUPしないと言うだけのこと、今後もジュリーは自分の持ち物からしか使う気はない。

・節度があれば笑えるが、敬愛するアーティストの作品の全曲全編UPなぞファンの風上にもおけない、お宝に目が眩んで正しく見る目失ってないか?、自分は沢田研二のファンだ、「そうさ僕はいい人なんかじゃない」(95年「銀の骨」より)からね。

・友部正人さんは十代の頃からファン、「大切な楽器を盗まれたような感じ」という言葉はとにかくグサッと来た、この数年前の日記を知ってショックだった、1度UPすることで自分自身へ対しても今後の戒めとしておきたい。

と言う事で「1人国際フォーラム」、ジュリー風に緊張を走らせてみましたと(笑)






 

 










●ジュリーの等身大パネル

2016年01月04日 | その他

 

81年11月19日(木)放送 第4位「ストリッパー」

 

 

CM撮影のためメキシコへ(11月14日撮影)

 

 

 では、行ってまいりまーす

 

 

ジュリーのリクエストで作られたパネル

 

 

気軽に記念撮影に応じるジュリー

 

 

化粧しないと「ダーリング」あたりの時期と変わらない感じが

 

 

パネル裏にはテープレコーダーがありしゃべる

 

 

 

こういう物は番組終了後に処分され残ってないでしょう

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが

 

 

 

 

 

14年後突如テレビ画面に再登場

 

 

 

 

 95年秋放送の「なんでも鑑定団」

 

 

 

追っかけのファンさんが当時テレビ局で
処分寸前のとこを「捨てるならくれ」と譲り受けたとか

 

 

査定中

 

 

 

「えるえるレコード」店長さん
この年の初めお店で長話をしましたね

 

 

 

結果は予想をこえる50000円
95年当時持ってたなら今も現役ファンさんな気が

 

 

 

 

 

コレ、上と下どっちがレアかと聞かれたらズバリ「鑑定団」の方(笑)
私がたまたま録画しちゃった物で新聞にジュリーとか出てなかったハズ

 

 

 

ヤバかったら連絡を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


●78年暮れ、最大の危機。

2016年01月02日 | その他

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてと・・・何度もレンタル・再放送で何処かに録画したものの散逸してた、松田優作さんの79年「探偵物語」を年末の一挙放送でようやく1つにまとめて保存出来ました。

久々に見たら、気になるのが昭和の自販機や景色、特に最終回のこの場面・・・

 

間違いなくココ、今もこの古道具さんは営業中。

 

あとコレ。

 

ここは子供の頃の原風景、撮影時はもちろんハタチすぎまでよく通ってた場所。

 

 

ここはもう近所(笑)

 

 

おやおや?

 

 

 

おととしぐらい、優作さんの前妻であり作家の松田美智子さん著「越境者 松田優作」を読んでたら気になる話がありました。

78年暮れ、毎年恒例の自宅での関係者を集めた餅つき大会で、体格が良く喧嘩っぱやいので有名な「H監督」が殴り合いを始め、仲裁に入った優作さんに手を出したため反射的に「H監督」を殴り、あっという間に「H監督」をKOしてしまったそうです。

この時、優作さんは事件で執行猶予中、「H監督」が訴える事はないにしても目撃者は多く、何処からかマスコミに漏れでもしたら最悪の場合刑務所に収監される可能性もあったとの話。

 

 

 

「H監督」??・・・もしや

 

 

 

 「H監督」でしょ??

 

 

 

 

もしも、そうなってたら翌年公開のあの映画



あの映画に何らかの影響があったでしょう、”体格が良く喧嘩っぱやいので有名な「H監督」”

 

う~ん、誰がどう考えても(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★このブログの人はこんなのも今聴いてます#3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


●97年「ギフト」 最終回

2015年12月18日 | その他

 

97年6月25日 放送 最終回

 

 

 

 

 

 

コレ、まさかジュリー出演ドラマ(?)の中でも入手困難度の高い作品になるとはね

何かの事件で再放送しないとかDVD化されないとかなんとかで。

 

エンドロールにも出ないし何で出るって知ってたのだろうか?、たぶんTVガイドに名前が出てたんだと思う。

楽しみにしてたら最後の最後になんだコリャ~

 

 

 

でも、ネットも身近で誰もやってなかった時代、すでにテレビからジュリーが遠ざかってた時代、ちょっとした砂漠にオアシス。

 

 

放送から早18年、年のせいか今来たばっかりってぐらい最近としか思えない

しかし、亡くなられた方もパラパラと、確実に時はパピューンと流れています。

 

 

 

 

 

これはサリーかな?出てたみたいだからそうだよね、若い

最終回だからラストに総集編映像が流れる。

 

 

 

 

 

 

 

でも、なぜジュリーが?

 

 

 

いま気がついた、この放送日がジュリーの誕生日だから選ばれたんじゃあ??

それともサリーとか出てるしスタッフの趣味か?、謎

 

 

 

 

悪いけどこのテープ捨てます

ちゃんとテープこじあけてジュリーんとこは切って別のロールにつないでと、デジタルにもしたし(だからキャプ出来んだけど)念には念さらに念、ご心配なく\(^o^)/

処分ビデオNO818(旧NO1338)にたまたま入ってたんで、整理ついでに又ちょっと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★このブログの人はこんなのも今聴いてます#2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


●ジュリーと矢野顕子

2015年12月12日 | その他

 

 

チケットが・・・

 

 

 

 

 

 

 

アレ、違った??(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨人の柳田投手を歌にした矢野さんの「行け柳田」(77年)について語る、ジュリー野球の話になると熱くなる。

 

 

この番組名知ってるそこのアナタ相当なマニア、今度お茶でも

 

日時知ってるけど、調べても載ってなかったという

 

 

 

 

 

やっぱりこの頃のジュリーを前にすると

 

 

 

 取り乱すようで

 

 

 

 

先日ナマで「行け柳田」聴いた記念に、ちょっと

 

 

 

 

 

矢野さんも明日、NHKホールでTINPAN(細野&鈴木&林)とライブ。

01年ヒロシとNHKホールにて番組収録、ジュ「いやぁNHKホール、何年か前の紅白以来久しぶり」  だって\(^o^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★このブログの人はこんなのも今聴いてます#1