'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●80年3月1日(土)~3月7日(金)

2012年04月27日 | 80年のじゅりー





この年はうるう年だったらしく、2月29日があったので3月1日は土曜日からスタート。
情報覧掲載の「メモ」によるとこの時期ジュリーはアメリカに続き、3月2日までヨーロッパへ行ってた模様、目的は不明。

この週も出演情報はジミ目、3月1日土曜日の昼12時フジの「スター家族スタジオ」、昼1時からはTBS「笑って!笑って!!60分」の2番組に続けて出演。
これはまた超マニアックな番組、もちろん内容詳細不明、個人的には「夜ヒット」よりも実はこういうのが見たい。
”ジュリーがTVに出る”というのが、年に数回の特別行事になって久しいですが、元々は特別なものじゃなくごくフツーに朝のワイドショーから夜中の番組に至るまで日々出てたワケで、そういう時代の日常がよみがえってくる物にグッときます、お昼の時刻テロップ入りとかたまりません(笑)
この時代はTVつければどこかでジュリーを見かけて、「またコイツ出てる」とファンでない方からはイヤがられ、まさにそんな感じだったんでしょう。

ひょっとしてコレかな~?という断片的な映像があります、それは同時期のテープで伊東四郎がヨロイ着てジュリーとコントをやってるのから推測しています、さてさて??
他に榊原郁恵などが出ています、もしかしてコレが「笑って笑って60分」かもしれません、ジュリーはアラビア人の役までやっています。

「笑って笑って60分」?


「ヤンヤン歌うスタジオ」への出演はどうやらこの週は「ヤンヤン」の情報サイト、「TVガイド」誌のどちらにも掲載がないのでようやくここへ来て、80年が明けてから初めて「ヤンヤン」には出てないと考えられます。

6日木曜日は「ザ・ベストテン」、今週もまた変わらず第2位にランクイン、この週はデスバレーより帰国してデスバレーのおみやげの岩塩をふろしきに包んでスタジオへ、残念ながらここでバッサリカット、逆に歌の部分がないのでどんなセットだったのかわかりません。

おみやげの岩塩


2月25日付けのオリコンでは第9位、ベスト5が上からクリスタルキング「大都会」、オフコース「さよなら」、財津和夫「WAKEUP」、アリス「秋止符」、五木ひろし「おまえとふたり」、この時期ドラマでは松田優作の「探偵物語」が毎週火曜日夜9時から4月まで放送中、アントニオ猪木の「異種格闘技戦」の中でも特に話題性の高かった”熊殺し”ウィリー・ウィリアムス戦が2月27日に行われました、このわずかな期間内だけでもどれも30年以上経過した現在でも、それぞれのジャンルで歌いつがれ語りつがれる事柄が多いと感じます、もちろん「TOKIO」のパラシュートもその1つかと。



この週は話題が少ないので、ここで同時期のアルバム「TOKIO」を久々に聴いてて思ったこと・・・

最近レコードプレイヤーの針を交換したのもありアナログ盤ばかり聴いてます、ついでに久々にアナログ盤の「TOKIO」を取り出してみました。
確か高校生の頃に今はなき銀座「ハンター」でジュリーのアルバムを大量購入した時に買った1枚、あの頃はジュリーのコーナーだけでアナログのエサ箱がズラーッと埋まるくらい毎回大量にありましたね、1枚500~1000円程度で高校生のおこづかいでも簡単に集まりました、ちょうどリアルタイムでは「TRUEBLUE」が出たような時期、今みたく「ココロ時代のアルバムが高い」や「数があまりに多すぎる」などの壁は当然なく思えば幸せでした(笑)

聴きながら歌詞カードなどながめ、意外だったのが「ミュータント」の作詞が門谷憲二だったこと。
彼の名前は泉谷しげるの初期の名曲「白雪姫の毒リンゴ」、それから同じ79年のフォーク・グループ古井戸のヴォーカル加奈崎芳太郎の2NDソロアルバム「風の生き方」収録の、加奈崎ファンには人気の名曲「陽炎」の作詞が印象的で知っていました。
泉谷&古井戸とは彼らの無名時代から「サイクル・ギズ」という団体を作り行動を共にしてたとかで、どちらかというと完全にフォーク系の人脈の人という印象だったのでこんな所で名前を見つけてビックリ、思わず調べてみると79年は布施さんの大ヒット曲「君は薔薇より美しい」の作詞もされてたようです。
それからその古井戸の加奈崎芳太郎の79年のソロアルバム「風の生き方」には、ジュリーの「TOKIO」収録の「DEAR」「捨てぜりふ」の2曲を書いてる作詞家の康珍化も数曲を書いてるのと、翌年にジュリーの「酒場でダバダ」やアルバム「バッドチューニング」でも多くの曲を手がける鈴木キサブローが5曲も書いてるのも、何かここら辺ジュリーサイドとの人脈的なつながりでもあったのかなと思わせました、レコードはワーナパイオニアからなのでジュリーとは別々です。





裏ジャケのクレジットを見ると、まずどう見てもパーカッションの表記だけでドラムのクレジットが抜けてるのと(ですよね?)、ギターに「Takeshi Kon」とあります、おそらくこれは「今剛(こん つよし)」の誤りでは??
今ではセッションギタリストとして有名な方です、最近もTVで誰かのバックで見かけしました、寺尾聡の「ルビーの指環」の印象的なギターを弾いてる人といえばわかると思います。
79年は頭脳警察のPANTAひきいるPANTA&HALの傑作「マラッカ」にも参加、翌80年になりソロ作や「パラシュート」での作品を発表するなど、当時はまだ有名になる直前くらいだったのかもしれません、鈴木茂なんかもクレジットがあり、どの曲で弾いてるのか知りたい所。




他に最近、大野さんのソロ作収録の「サミー・ボウ」とか聴いてて改めて大野さんっていい曲書くなーと思ってたら、最後の「夢を語れる相手がいれば」は大野さんの曲だったんですねぇ、これも完全に忘れてました。
大野さんの歌もヴォーカリストじゃないから上手くないけどいいです、楽曲にも重みがあります、大野さんのデモテープ集「幻のメロディー」は名作です、なにやらVOL5までいつの間に出てるとか。










●80年2月23日(土)~2月29日(金)

2012年04月12日 | 80年のじゅりー





80年2月の最終週の今回は24日の日曜日に「TOKIO」で2回目の「クイズ!ドレミファドン」へ出演、この回はDVDにも未収録で内容不明。
前に紹介した高速道路の「TOKIO」は最後に見切れ程度にお正月な雰囲気の衣装の高島さん達が一瞬映るので、2月のこの時の物ではなく、やはり正月番組からの物と考えられます。

同日の昼1時45分からテレ朝の「笑アップ歌謡大作戦」にも登場、コレは夜の番組の印象が強く、調べたら78年に放送スタート、この年の4月から夜の放送に時間帯が変わったみたいです。
この番組は私世代でも記憶にありました、それでも82年にはすでに放送が終わってとは、もう少し後まで放送してたような印象なんですがそんなに前とは・・・
この時のジュリーもどんなだったかまったく不明、歌のコーナーはあったのかな??、「歌謡大作戦」だからおそらくあったのでしょう。

夜7時から今週も東京12チャン「ヤンヤン歌うスタジオ」、この週は”西部劇でお猿のスター郁恵・ナオコ・五郎を爆笑KO”出・ツイスト、岩崎宏美、ジュリー他、こちらも詳細不明。

今週の日曜日も先々週日曜日の「1日4回出演」に続き「1日3回出演」、これだけ出てれば当時普通にTVを見る生活してた人なら老若男女どこかで1度はあのパラシュートを見てたでしょう(笑)

25日火曜日は夜8時からNHKの永六輔司会「テレビファソラシド」に出演、これもNHKアーカイヴスで検索すると残念ながら出てきません、残ってないのでしょうか?
内容は「TOKIO」と永六輔とのトーク、オープニングの番組テーマ曲、歌詞のない中村八大作曲の番組オリジナル曲「シング・フリー」をジャズのスキャット唱法みたいに歌います。

永六輔さんと



28日の「ザ・ベストテン」は今週も2位にランクイン、この週が有名な「砂漠のTOKIO」だと思います、残念ながらこれも当時録画を持ってないので詳細は不明、当時のフル映像は見たことがありません。
「ベストテン」は放送終了の後半2年半くらいはほぼ毎週録画してました、その頃にもこの場面は総集編で何度か出てきたくらい「ベストテン」名場面の1つで、その時の奴は探せば我が家にもあると思います、しかしやはり放送当時のMC場面ありのフルで映像をぜひとも見てみたい所。

【追記】
で・・・、また書いてて気がついたんですが、上に書いた「テレビファソラシド」の映像が終わって見切れの部分にほんのわずか一瞬だけ、この「砂漠のTOKIO」の当時録画が!↓


う~ん、どうしてここでカットしちゃうんだか・・・、同時に日付はこの流れで見ても正しいようです。




この時はおそらく「ベストテン」でなくブルーバードCMの撮影のための渡米が本来の目的、そのCMとはラスベガスのような場面の奴だと思われます、数あるジュリーCMの中でもこれは最高傑作の1つでは?

この時の渡米時に撮影か?


ブルーバードCMも何やら細かい違いまであげてくと、かなり種類があるようで80年ので海外撮影された物となると、ラスベガスのがとりあえずまっ先に思い浮かびました、今度時間があれば他にもあったか調べて見ようかな。
ちなみに白い衣装で画面を指差し、BGMが「TOKIO」のB面の「IamI俺は俺」が流れるブルーバードのCMは、発表展示会の日付が「11月」になってるのがあり、おそらくこれは80年11月でなく、79年の後半には流れてたのでしょう。

79年の11月??

【追記】

ありましたデスバレーのCM、たぶんコレ?↓


あともう1つこの時の海外ロケでは?というブルーバードCMありました、最後に「カモーン!」と吠えるジュリー↓



細かい違いまであげてくとジュリーCMの世界も相当に深い、この2年後の82年のラジオで「ジュリーのCMを録画したいけど急いで録画すると頭が切れる」とのハガキに、親切にもジュリーが放送時間をわざわざ教える内容のがあります。








●80年2月16日(土)~2月22日(金)

2012年04月01日 | 80年のじゅりー



この週の出演記録はわりと地味な印象、今週も17日の日曜日に「ヤンヤン歌うスタジオ」に登場、「ヤンヤン」の記録サイトによると”爆笑再登場ジュリーの光源氏が美女また美女と恋絵巻”とありましたが、この回でしょうか?
「TOKIO」は”今日の5曲目”、このあたりの「ヤンヤン」でこの回だけコントと歌の部分がだいたい見れます、お客さんを入れての観覧形式、他に楽屋でコーヒーカップのとってをジュリーが持つとポロッと取れて「ジュリーが壊した」と騒ぐ”どっきり”など。

「源氏」のパロディと”今日の5曲目”



21日木曜日はこちらもまた「ザ・ベストテン」に登場、今週も第2位にランクイン、2月11日付けオリコンでは第8位、有線は7位にランクイン、この曲あたりが「ベストテン」で1位を取るラストチャンスだったのかも。
意外と他のチャートの伸びは悪かったみたいで、本人も「ハガキにたよってる状況」と話しています、調べてみると「TOKIO」のオリコン最高位がこの8位、ヒット曲として人々の心に残ってるのは確かながら、実数は絶頂期に比べあまり伸びなかったのが現実、ジュリーとしては前回の「ロンリーウルフ」といい、この後のシングル曲の伸び悩みといい徐々にあせりは感じてたんだろうなと思います。
ちなみにジュリーの「1等賞」という言葉は、すでに72年くらいのライブ音源から早くも聞くことが出来ます、ひょっとしてもっと前かもしれません、そんなにも前から「1等賞、1等賞」って言ってたんですね。
この週はものもらいを切ったとかでサングラス姿で登場、CM撮影のためアメリカのデスバレーへの出発予定を1日伸ばしたとか、今回のパラシュート装着タイムは吊り方を変えたせいか遅く「42秒896」、歌では確かにパラシュートを頭上真上に吊って変えてあります。
最後にデスバレー行きのジュリーのため、五木さんが音頭をとって出演者全員で水杯をかわし、すでに「ベストテン」からは先発隊が出発、次週が有名な「砂漠のTOKIO」。

サングラスで登場


22日金曜日の夜7時半からは日テレ「カックラキン大放送」、この番組は70年代から放送スタート、日テレとプロダクションの確執があったせいか、どうもこの時が「カックラキン」ジュリー初登場。
こちらも近年CSで再放送されたので内容は知られてると思います、ずいぶん前にダビングビデオの切れ端にこの時の冒頭部分がチラッとだけ入ってて、「何の番組だろう?いいな~見たい」などと思っていました、今思えばコレでした(^^)


「カックラキン」より



しかし「夜ヒット」などもついに製品化され色々見れる状況になったといえ、当時録画してた方は30数年も前からご自宅で取り出して見れる状況にあったワケでそれはホントにうらやましい限り、やはりあの時代の中でこれらを見たかった、そこらへん遅れてきた世代には越えられない永遠の壁を感じます。

ネタバレしてしまうと、「カックラキン」への出演回数はそう多くはなく82年で終了とか、CS再放送でジュリー出演回を見れるのも残念ながら残りわずか。
「夜ヒット」CS再放送も80年に入り休止状態、最近意外なとこで「七人の刑事」が放送されましたが、CS再放送であと放送の可能性が高そうなのは現在放送中のTBSチャンネル「キラリ熱々CLUBE」、89年のクラブチッタでのライブ映像でしょうか?、アレもなぜかずいぶん前からやってるのにジュリーの回は一向に放送されません。

この号には久米宏のトーク番組「おしゃれ」の特集があり、その中でジュリーについて久米さんがコメントしています、「沢田さんぐらい、人前とプライベートで変わる人はいない、ふだんはブレスレット1つしない人ですよ。この番組出たときも、メークはしない、やぶけたジーンズで、髪をとかした感じすらなかったですからね。そこに彼なりのおしゃれがあるということですね。」と、こんな感じで書かれています。
そのラフな感じがもしかして現在のお姿につながってるのかな~と思うと複雑・・・、私が見てた頃でもどこかのスタジオからリハ中にヒゲ面でヌボっと、そのままラフにTVに登場というのが何度かありアリャリャいいの?とは思ってましたが(笑)