'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●80年3月15日(土)~3月21日(金)

2012年11月11日 | 80年のじゅりー



今週の表紙は大場久美子と広岡瞬、「なぜか初恋・南風」というドラマみたいです、う~ん全然知らない(笑)

この週の出演情報も「ザ・ベストテン」「夜ヒット」の2つだけ。

とはいえ、80年に入りジュリーが出てない週は1度もないワケで、おそらく79年の後半からずっと続いてるんでしょう、ソレ以外にもレギュラーのラジオ番組、新曲リリース時のプロモーションでの各種ラジオ番組への出演も加えたら、これはやはりもの凄い露出量。

ついでに1980年当時の自分自身の日常、住んでた場所に思いを巡らせ懐かしいな~と1つ1つ考えてみたら、当時よく行ってたなじみの店ってほとんど残ってない事に気がつき、googleのストリートビューを使って確認、やっぱり思い出のあの店この店、中には公園までもほぼ全部がすでになくなってました。
特に商売というのは時代状況の変化の影響が大きいせいでしょうか、30年という時間の流れを感じます、そんな中現在も全国各地で営業中のジュリーはやはり凄い事なのかもしれない。

さて、17日(月)「夜のヒットスタジオ」は「TOKIO」で4回目の登場、こちらも衣装など特に目立つ変化はなく、DVD未収録場面としては新バンド「オールウェイズ」の紹介と歌前に芳村真理が写真集「水の皮膚」をパラパラとめくり宣伝。
ファンにとっては結構大事な場面が何事もなかったようにさりげなくカット、オールウェイズの部分のカットは後ろのシャネルズとバッチリ絵がかぶるというひょっとして大人の事情?

歌前の宣伝



この「水の皮膚」、正直なとこ男の私には価値がわからず1部分程度しか見たことないです、なんでも都内のフツーの某図書館で見れるとか。
おそらく10数年前までは古書店に出てもさほどプレミア的価値もなかったでしょう、タイガース関連や海外発売物あたりは以前から高かったといえ、ジュリー関連がやたら高騰したのはネット時代以降、ネットオークションの影響ですね。

ちなみにジュリーの有名写真集、書籍類もリアルで買った物以外ほとんど読んだこともないし、ポスター、パンフ類、まったく持っておりません、全然ジュリーマニアではないのであしからず(^^ゞ
いや~、ホントのマニアやコレクターってでどの世界の人も、1つ1つのコンディションから拘りがハンパないですからねぇ、自分には憧れるけどなれないし、ちょっと易々と使えない言葉です。

「水の皮膚」ワイドショー
見れるのは4秒・・・



20日(木)、「ザ・ベストテン」の方はついに3位にランキングがダウン、番組開始以来今回が985人目の出演者、再来週の8位にランクされ順調に行けばちょうど記念すべき1000人になるとの問いに、「8位にさせたいんでしょう」と答えるジュリー。
セットは間奏でパラシュートが閉じ、バックに7つのパラシュート型の穴が現れ中でダンサーが踊り、真ん中が前にも登場した「TOKIO」衣装の子供といった感じ。

3位にダウン

当時は都内で1回目のライブ、移動してホテルで新年会、その後戻って2回目のライブ、終わって「ザ・ベストテン」に出演という脅威のスケジュールがあったとか、常人ではちょっと考えられない日常。
そういえば、この週は毎週のように出てた「ヤンヤン歌うスタジオ」への出演情報がありません、欄外「メモ」には”1週間スプリングツアーのけいこです。”とあり、新バンド「オールウェイズ」と連日リハーサルでもしてたのかな?



他に気になった記事は山口百恵と三浦友和が婚約発表、ピンクレディーがアメリカのTV番組に出演、アニメ「あしたのジョー」再ブームなど

「あしたのジョー」はついこの間、CSでこの再ブームにより作られたパート2が全話一挙放送されてたので連日録画して見たばかり、名作は何度見てもおもしろい、やっぱり世代的にもリアルで記憶してるのもあり、再ブーム時のパート2の方がシリアスでかっこいい、パート1は後半ドサ回りとか原作から大幅なズレが(笑)
「東京音楽祭」の国内大会もこの週放送、私の世代では記憶になくジュリー関連で後年その存在を知りました、ジュリーは70年代は毎年のように出てたのが前年の79年以降は出てないようです。
この時の出演者は宮本典子、桑江知子、小柳ルミ子、松崎しげる、岩崎宏美、シーナ&ザ・ロケッツなど、92年まで開催されてたのに全く記憶にない、というより最後の頃は話題性も低く放送されても気がつかなかったのかも。

その他の話題↓




3月10日付けオリコンでは、「TOKIO」はすでに10位内より転落、有線チャートでは9位、8位が元オックスの真木ひでと「雨の東京」が久々に小ヒット、ランクされています。
同じ元GS出身者としては、GS時代からトップを走り続けるジュリーを当然意識してたでしょう、88年に放送された確か「素敵にドキュメント~グループサウンズそれぞれの20年」で、キャバレーや営業などの地味な地方巡業をこなし、大晦日の日にTVに映る「紅白歌合戦」でのジュリーの「チャンス」を自宅の部屋で1人見ながら、インタビュアーに「コレに出るのが夢ですね」みたいに語る真木ひでとの姿を思い出しました。
ちょっと見ててわびしい場面でしたが当時真木ひでとも40手前くらい、自分が同じくらいの年齢になってみるとまだまだ・・・とビックウェーブねらってるのは当然かな(笑)



先日、今度は作家であり、「11PM」の司会で知られる藤本義一さんが亡くなられてしまいました、次々と昭和の方々が去ってゆき、小林旭の「昭和恋歌」が胸にしみます(詞・阿久悠、曲・谷村新司)。
当時は「11PM」を親に隠れ苦労して見ていたという方が多いそうですが、親に隠れて見てたというよりうちは親と結構いっしょに見てた記憶が(笑)
ジュリーと「11PM」と言うと、「太陽を盗んだ男」ULTIMATE PREMIUM EDITION DVDにも番組の1部(20分のみ)が収録されてる、映画宣伝を兼ねた特集がファンには知られると思います。

藤本×沢田対談


ところが実は当時、有線大賞の打ち上げのような形の内容が「11PM」内で放送され、有線大賞ノミネート時毎年1回くらいの率でジュリーは出演してたらしく、藤本さんとはその前後も番組では顔を合わせてたようです。
司会者が違う時も76年の「パリの哀愁」宣伝時の出演や、インクスティック芝浦のライブ特集もありました、76年以前もおそらく「11PM」には出演があったのかもしれません。
それにしても放送終了してはや22年も経つんですねぇ、私が高校生の頃まで放送してたせいか、何かつい最近までやってたような錯覚さえ感じます、なんだか”私の時代”90年代さえもがすっかり遠くなりました。

















●80年3月8日(土)~3月14日(金)

2012年11月02日 | 80年のじゅりー



いや~、すっかり間があいてしまいましたが、気長にかまえてるので又パッタリ更新が途絶えることもあるかと、他にも興味のある事柄も多いので時々により温度差もあります、ただジュリーの存在を3日以上忘れたことは好きになって以降ないかも(笑)

空いた理由の1つがこの週の号が探しても見つからず、あったと思ったけど持ってないのかなぁ?と思って、なんとなく保留してたら2ヶ月くらい前にひょっこりと、やっぱりありました。

最初に書いたように図書館でラテ欄のコピーを取るとかの意欲もヒマもなく(昔ならやったかな?)、抜けてる号を古書店やオークションで探すにもムリがあるので、ない号は取り合えず飛ばして行くつもり、基本的にこの手の雑誌って終わったら捨てちゃうもんですからねぇ、とっとく方が異常(笑)、今後ネットで閲覧とか出来るようにならないかな・・・

表紙の「額田女王」って、「がくたじょおう」??って読むのかと最初思ったら、「ぬかたのおおきみ」( ̄▽ ̄)
これもなんだか古~い昭和感たっぷりな感じ、テクノがニューウェーブがどうこうと言ったって掲載広告とか見てもまだまだやぼったい時代。


こんな時計が
6800円


リリースから2ヶ月が経過、ヒット曲としてはピークも過ぎたせいかこの週も情報誌に掲載されてるジュリー出演情報は2つだけ。

1つはしつこくも3月9日(日)、東京12チャンネルの「ヤンヤン歌うスタジオ」、こちらとにかくわかりません。
本当にそんなに出て、毎回「TOKIO」を歌ったのかと言われると、もしかして短いVTRのみの出演とかもありえます、ただこの日も確かに「ヤンヤン」の情報サイトにも名前があり、何らかの形で出演してたと考えられます。

もう1つは3月13日(木)、TBS「ザ・ベストテン」で、この週も変わらず第2位にランクイン。
内容は不明、こちらも全部が全部ランクインしてたから出演もしてたかと言われると、出ない人もかなりいたワケでビミョーながら、ジュリーの場合はVTRで流したり本人も「出れるのに出ないのはイヤ」と話してる通り、ランクインした時は高確立で出演。
「ダーリング」なんか13週ランクイン中、1つ2つ・・と思い当たる映像を数えてくと、確認してないけどおそらく全部出てますね、「ダンディ」も11週ランクイン中全部に出てます。

「TVガイド」独自のチャートでは、この週歌手部門の「ヤング」18位、「おとな」10位、ブルーバードのCMが「ヤング」16位、「おとな」13位にランクイン。

情報誌「メモ」には、8・9日お休み、10~14日はスプリングツアーのけいこ とありました。
ジュリーのお休みって何気に気になりました、この頃はご長男が誕生したばかりなので自宅にいたとか?

他記事には、4月から「池中玄太80キロ」、「1年B組新八先生」が放送スタート、欽ちゃん「スタ誕」にサヨナラ、キャンディーズの伊藤蘭「日曜劇場」でカムバック、「第22回グラミー賞」決定、この回で初めてロック部門が設けられボブ・ディランが最優秀性歌手に選出、女性部門はドナ・サマー、ジュリーの元ネタとなったジュリー・アンドリュースが2年半ぶり2度目の来日など。




この週はあまり出演情報がないので最近CS放送を見てて気がついた話を少し。

76年の高倉健主演の映画「君よ憤怒の河を渡れ」、これは前にも見た記憶があり久々に見たくて見てたら、田舎の写真屋の場面でなんと!
入り口の上部にジュリーがイメージキャラだった、あの「ポケットフジカ」の垂れ幕がヒラヒラと(笑)

健さんとジュリー
夢の??

しかもこの場面が案外長くて1分くらいヒラヒラと、当時を偲ばせる映像と同時にあの高倉健との共演?と思うと、これは貴重な1シーン。
おもしろかったからついでに75年の映画「新幹線大爆破」もレンタル、しかし高倉健が爆弾魔で脅迫って今ではありえない役どころ、「君よ憤怒の・・」も新宿を健さんが馬に乗って走ったりのムチャな内容。
でもやっぱりあの時代の物って洗練しきった時代以降失くした、エネルギーみたいなものがあるなぁ。


ポケットフジカCM


もう1つ今度は「太陽にほえろ」、これも75~6年の回、水沢アキがゲストの回で殿下がレコード店を渡り歩く場面。
あるレコード店の入り口にジュリーのポスターが!、これも雰囲気共々当時を偲ばせる1シーン、しかもその場所が世田谷の経堂という、当時の私の地元だったりして。

入り口にジュリーが


おそらく高校生の頃に行ってた「ライオン堂」と思われる店内も少し映り、「ミッキー・カーチスが昔はよく来てた」なんて話をしてたから、かなり古くからある店だったみたいで、あそこのおばちゃんにカタログ見せてもらってイスに座って長居、「ロックン・ジュリー whit タイガース」や「田園コロシアム LIVE ’78」「Julie ロックン・ツアー ’79」のカセットの存在を知りました、発売よりちょうど10年前後、注文したらすでに廃盤、以後聞けるまで15年以上の歳月が・・・

世田谷には東宝ビルドとかあったせいなのか、東宝系の特撮やドラマではロケ地に使われる機会が多く、たまに古い作品を見てるとたまらなく懐かしい景色が映ります。
「百窓」という四方が窓だらけの、特撮ファンには有名な奇妙な建物が当時世田谷南部にありました、何度か親と見に行った記憶があるんですが、「百窓」が出てくる場面だけ集めた特撮ファン製作のDVDがある程で、そういえばジュリーも世田谷の南部某所に住んでたみたいだから、絶対「百窓」の存在は知ってるでしょう、地図みてもかなり両者の距離は近い(笑)

探せばまだまだ思わぬ作品にジュリー発見!があるかと、さすがは70年代の大スター、”売れてる”ということは日常風景の1部なのかもしれません。





最後に、先日亡くなられた桑名正博とアン・ルイスが結婚されたのが、この1980年の3月6日でした。
私は正直、ソロ時代の事などよく知りません、ただファニーカンパニー時代の「廃墟」という曲がとにかく大好きで、桑名と言えば「セクシャル・バイオレット」よりもこの曲でした。
歌詞カードには3番まで歌詞が掲載されてながら、レコードではなぜかフェードアウトされてしまいます、いつかライブででもいいから、フルコーラスでこの曲を聴いてみたかっただけに大変残念です。

こちらの↓2曲目「廃墟」