今週の表紙は大場久美子と広岡瞬、「なぜか初恋・南風」というドラマみたいです、う~ん全然知らない(笑)
この週の出演情報も「ザ・ベストテン」と「夜ヒット」の2つだけ。
とはいえ、80年に入りジュリーが出てない週は1度もないワケで、おそらく79年の後半からずっと続いてるんでしょう、ソレ以外にもレギュラーのラジオ番組、新曲リリース時のプロモーションでの各種ラジオ番組への出演も加えたら、これはやはりもの凄い露出量。
ついでに1980年当時の自分自身の日常、住んでた場所に思いを巡らせ懐かしいな~と1つ1つ考えてみたら、当時よく行ってたなじみの店ってほとんど残ってない事に気がつき、googleのストリートビューを使って確認、やっぱり思い出のあの店この店、中には公園までもほぼ全部がすでになくなってました。
特に商売というのは時代状況の変化の影響が大きいせいでしょうか、30年という時間の流れを感じます、そんな中現在も全国各地で営業中のジュリーはやはり凄い事なのかもしれない。
さて、17日(月)「夜のヒットスタジオ」は「TOKIO」で4回目の登場、こちらも衣装など特に目立つ変化はなく、DVD未収録場面としては新バンド「オールウェイズ」の紹介と歌前に芳村真理が写真集「水の皮膚」をパラパラとめくり宣伝。
ファンにとっては結構大事な場面が何事もなかったようにさりげなくカット、オールウェイズの部分のカットは後ろのシャネルズとバッチリ絵がかぶるというひょっとして大人の事情?
歌前の宣伝
この「水の皮膚」、正直なとこ男の私には価値がわからず1部分程度しか見たことないです、なんでも都内のフツーの某図書館で見れるとか。
おそらく10数年前までは古書店に出てもさほどプレミア的価値もなかったでしょう、タイガース関連や海外発売物あたりは以前から高かったといえ、ジュリー関連がやたら高騰したのはネット時代以降、ネットオークションの影響ですね。
ちなみにジュリーの有名写真集、書籍類もリアルで買った物以外ほとんど読んだこともないし、ポスター、パンフ類、まったく持っておりません、全然ジュリーマニアではないのであしからず(^^ゞ
いや~、ホントのマニアやコレクターってでどの世界の人も、1つ1つのコンディションから拘りがハンパないですからねぇ、自分には憧れるけどなれないし、ちょっと易々と使えない言葉です。
「水の皮膚」ワイドショー
見れるのは4秒・・・
20日(木)、「ザ・ベストテン」の方はついに3位にランキングがダウン、番組開始以来今回が985人目の出演者、再来週の8位にランクされ順調に行けばちょうど記念すべき1000人になるとの問いに、「8位にさせたいんでしょう」と答えるジュリー。
セットは間奏でパラシュートが閉じ、バックに7つのパラシュート型の穴が現れ中でダンサーが踊り、真ん中が前にも登場した「TOKIO」衣装の子供といった感じ。
3位にダウン
当時は都内で1回目のライブ、移動してホテルで新年会、その後戻って2回目のライブ、終わって「ザ・ベストテン」に出演という脅威のスケジュールがあったとか、常人ではちょっと考えられない日常。
そういえば、この週は毎週のように出てた「ヤンヤン歌うスタジオ」への出演情報がありません、欄外「メモ」には”1週間スプリングツアーのけいこです。”とあり、新バンド「オールウェイズ」と連日リハーサルでもしてたのかな?
他に気になった記事は山口百恵と三浦友和が婚約発表、ピンクレディーがアメリカのTV番組に出演、アニメ「あしたのジョー」再ブームなど
「あしたのジョー」はついこの間、CSでこの再ブームにより作られたパート2が全話一挙放送されてたので連日録画して見たばかり、名作は何度見てもおもしろい、やっぱり世代的にもリアルで記憶してるのもあり、再ブーム時のパート2の方がシリアスでかっこいい、パート1は後半ドサ回りとか原作から大幅なズレが(笑)
「東京音楽祭」の国内大会もこの週放送、私の世代では記憶になくジュリー関連で後年その存在を知りました、ジュリーは70年代は毎年のように出てたのが前年の79年以降は出てないようです。
この時の出演者は宮本典子、桑江知子、小柳ルミ子、松崎しげる、岩崎宏美、シーナ&ザ・ロケッツなど、92年まで開催されてたのに全く記憶にない、というより最後の頃は話題性も低く放送されても気がつかなかったのかも。
その他の話題↓
3月10日付けオリコンでは、「TOKIO」はすでに10位内より転落、有線チャートでは9位、8位が元オックスの真木ひでと「雨の東京」が久々に小ヒット、ランクされています。
同じ元GS出身者としては、GS時代からトップを走り続けるジュリーを当然意識してたでしょう、88年に放送された確か「素敵にドキュメント~グループサウンズそれぞれの20年」で、キャバレーや営業などの地味な地方巡業をこなし、大晦日の日にTVに映る「紅白歌合戦」でのジュリーの「チャンス」を自宅の部屋で1人見ながら、インタビュアーに「コレに出るのが夢ですね」みたいに語る真木ひでとの姿を思い出しました。
ちょっと見ててわびしい場面でしたが当時真木ひでとも40手前くらい、自分が同じくらいの年齢になってみるとまだまだ・・・とビックウェーブねらってるのは当然かな(笑)
先日、今度は作家であり、「11PM」の司会で知られる藤本義一さんが亡くなられてしまいました、次々と昭和の方々が去ってゆき、小林旭の「昭和恋歌」が胸にしみます(詞・阿久悠、曲・谷村新司)。
当時は「11PM」を親に隠れ苦労して見ていたという方が多いそうですが、親に隠れて見てたというよりうちは親と結構いっしょに見てた記憶が(笑)
ジュリーと「11PM」と言うと、「太陽を盗んだ男」ULTIMATE PREMIUM EDITION DVDにも番組の1部(20分のみ)が収録されてる、映画宣伝を兼ねた特集がファンには知られると思います。
藤本×沢田対談
ところが実は当時、有線大賞の打ち上げのような形の内容が「11PM」内で放送され、有線大賞ノミネート時毎年1回くらいの率でジュリーは出演してたらしく、藤本さんとはその前後も番組では顔を合わせてたようです。
司会者が違う時も76年の「パリの哀愁」宣伝時の出演や、インクスティック芝浦のライブ特集もありました、76年以前もおそらく「11PM」には出演があったのかもしれません。
それにしても放送終了してはや22年も経つんですねぇ、私が高校生の頃まで放送してたせいか、何かつい最近までやってたような錯覚さえ感じます、なんだか”私の時代”90年代さえもがすっかり遠くなりました。