'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●20年前、元旦。

2015年01月11日 | 日記

 

 

1995年、我が人生において最も忘れ得ぬ年の1つ。

あれは遅れてきた世代にとっての「1969」だったか、ネットも金も何もなかったのに本気度は今の100倍は軽くあったと思う。

あの時間はいったい何だったのだろう?、いつか決着をつけたいと思いながら早20年、答えのないまま時間だけが過ぎた。

これが、案外同じように「1995」が忘れられないという人がいたり、「1995」について書かれた本が出てたり、「1995」への特別な思いは自分だけではないのだろうか?

そういえばジュリーも「ルーシュ」(95年作)の曲を今もよく歌うよねぇ・・・

 

 



あの年の元旦、その後の何も知らず夕方録画した番組がコレ。

アレレ?、見返したらOPが欠けてる・・・

 

 

ソーラン節

 

時代を感じるFAXのCM

 

センスの位置が

 

 

 

みごと今年は優勝

 

商品は行くハズのないハワイ旅行

 

お歌のコ-ナー、ここで3倍→標準切り替え

おしまい

 

 

 

 

 ※以下「昭和90年」ネタバレに注意

 

 

確か「YOKOHAMA BAY BLUES」はCDの出る前に「ZUZU SONGS」の群馬公演で初めて聴いて、「HELLO」のシングルもアルバムも前年中に持ってたけど、この95年元旦「ドレミファ」の映像がどうしても真っ先に思い浮かぶ。

この後、ジュリーはまたしばらくTVで歌う姿が見れなくなってしまったのと、あの忘れ得ぬ1995年の元旦に流れたという事でとても印象深い曲。

 

今年は1995年から20年、何が起こるでも起こす気も特にないけど、個人的に前々から20周年は意識してて、まさかこんなタイミングで「YOKOHAMA BAY BLUES」を歌ってくれるなんて、いや~うれしかった

07年のツアーで歌ってくれた時は、さすがに高音がキツそうだなぁ・・・って感じで見てたのが今回はバッチリ。



それから、先日ホントになんとなく98年のtea for threeのラジオ「Just A New Day」をランダムに聴いてると、曲のタイトルと映画のタイトルが同じでどうこう・・・という話で、「嘆きの天使」が亡くなったマンガ家の山田花子さんのどうこう・・・という話になって、「へぇ~ジュリー、山田花子さん知ってんだ」、ところで「嘆きの天使」ってどんな曲だっけ?、「あぁ、あの曲かぁいい曲だよねぇ」。

なーんて思ってたとこへ、怖いぐらいのシンクロニシティ

この曲が今回のライブの個人的ベストテイクの1つ、素晴らしい名唱でした。
翌日にはtea for threeの3人が揃ったと聞きさらにビックリ、もちろんラジオでそんな話したの誰もおぼえてないでしょうが。

 

 

 

 

 

 

ただ、最後のジュリーの三本締めが遠くから見てたら、つい「パタリロ」の「パパンがパン!」とダブって見えてしまった・・・( ̄▽ ̄)
(↑ちなみに「パタリロ」は70数巻持ってる83年以来のファン)

 

 

 

 

 

 

 

★粗品です。

35年前の正月「ドレミファ」

 

 

 

 

 


●21年前、元旦。

2015年01月03日 | 日記

 

2015年おめでとうございます、ジュリー歴もうじき30年の中堅です(笑)

 

22インチモニターが本日届き、あまりに見やすくて見やすくて(いまさら何を・・・)、処分中のDVDRをハードディスクに取り込んでたら、たまたま前にDVD化した94年元旦の「ドレミファドン」を発見。

Rも増えると見ない・聴かないのにホントじゃま、おまけに増えすぎて欲しいのが出てこない・見つからない、ハードディスクに入れ捨てましょう、ただしハードディスク管理は必ず2コピが基本、壊れたら一瞬で全部パー。

1回だけホントに2TB(2000GB)が3ヶ月で壊れ、同じのもう1台作ってたからデータが助かった経験があります。

 

それと・・・、デカイモニターで見たらブログの表示感覚が今までと違う!
もし、画面や文字が小さいと感じたらキーボードの「Ctrl」を押しながら、マウスのホイールと呼ばれるダイヤル部を回してみましょう、簡単にズームUP出来ます、コレ案外知らない人が多いけど私はいつもそうやってネット見てます。

 

 

 

こん時超久しぶりにTV出て、痩せて若返っててうれしかったなぁ。

 

 

 

 CM

高島さん「ドレミファドンと言えばジュリー!」

「る」で「ルー・リード」と答える、さすがロッカー

乱れてきました

 

 

「想い出の渚」のイントロを超高速でピンポン

 

最後はお歌のコーナー

ベースの後藤さん

 おしまい

 

 

 

おまけ・その3年前の方がおじさ・・・

 

 

 

 

 

いや~、なんとなくそんだけ、モニター記念に画像もそのままデカイ(笑)

 

 

 

「日本映画専門チャンネル」によると、今年やるようですね↓

 

 ダビングでモコモコの「日本一のヤクザ男」

 

私的には、なかなか見れなかった後期クレイジー映画が流れるのが楽しみ。

コレ、ジュリー自身も当時見てなくて、後年TV放送録画したら自分の場面がカットされて見れなかったと70年代のライブMCで話してて、その後見れたのだろうか??

 

 

 

 

 

 

 

 


ふっと一息

2014年09月12日 | 日記

 

明日の土曜は野音でシナロケ35周年ライブ、翌日は浅草で斉藤哲夫&白井良明両氏、偶然にも1980年話題の2組を見に、今秋は他にも続々はずせないライブがありすぎる。



で、サイフの中身と今ジュリーツアーのセトリを見て相談した結果・・・

今年はジュリー見るのあきらめた\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/

ムリにおかしなのが行かんでもジュリー・ワールドは周り続けるでしょう、またどっかで~

 



最近、文字でどうこう語るのもめんどくなっちゃたな、明日のシナロケみたく1、2、3、4!ズドドドッって「沢田研二」ってのをわかりやすく語れよって↓




 



あ、9月末の堯之さんの「団塊スタイル」。
たぶん「時過ぎ」の合唱シーンが流れると思います、探さないで下さい

あくまで局側のそういう”絵”が欲しいというリクエストによる物、本人は「ホントはイヤなんだけど」・・・、「いつもこんなことやってると思われると困る」との話ですが、「時過ぎ」オリジナルギタリストのプレイをまじかで見れたのは光栄でした。



「時の過ぎゆくままに」渋公、新宿厚生年金と来て、中野サンプラの解体も決まり、古参ジュリーファンには思い出の史跡がまた1つ消える。

 

 

 

「旅に来て思うのは どこに来ても同じ 最初だけはいいけれど すぐに飽きてしまうのさ
何処にいけばいいのかな 心の中にあるのかな」
    (井上堯之「JOURNEY OF LIFE」1980年)

 

*諸事情により当分更新はないと思います、いずれまた。

 

 

 

 







はじめに

2012年02月01日 | 日記

このブログは高校生の時に個人情報誌で入手した1980年からの「TVガイド」を元に、ジュリーのTV出演の記録を紐解いてゆくブログです。

基本的に完全な物は目指していません、たぶんそれは続かないし、私ではムリだと思います。

当然、ワイドショーなんかはまったく掲載されてないのと、ベストテン番組なども出演予定とだけ掲載されて実際は出てなかったり、ランクインはされても欠席した回など後追いではわからない部分も多すぎます。

”あの頃どんだけジュリーはTVに出ていたのだろうか?”という、全盛期を見逃した世代の昔からの個人的こだわりなので間違ってても気楽に行きたいと思っています。
そもそも80年からの「TVガイド」を大量購入したのも昔のジュリーのTV出演記録を知りたいという理由でしたが、そんなことスッカリ忘れて押入れで20数年死蔵されたままでした。

正直、80年代ってどちらかというとキライな方です、なにか年々70年代から遠ざかるにつれ薄っぺらな時代になってたような感じがします、中学生入った80年代中盤くらいからそれはリアルで感じていました、だいぶ客観的に見れるようになりましたが特に後半くらいの時代になる程、80年代という時代が今でもあまり好きじゃない・・・
自分の世代より前の時代の音楽を知ってから猛烈に好きになりました、自分にとって60年代・70年代はリアルに体験出来なかった時代なので、懐古主義ではなく今も新しい発見に満ちあふれています。

なので本当はジュリーの全盛期である70年代こそ追求したい所ですが、コレも資料が手元にないのと70年代のガイド誌になるとヴィンテージ価値もグーンと高まり、特撮関係が掲載されてると中には1冊で万単位する号などもあり、大きい図書館で新聞のラテ欄をコピーしてもらうなどの方法もありますが現時点では私には出来そうにありません。

それから1986年9月からはリアルタイムで購入してたのでそれ以後はほぼ全号手元にありますが、83・84・85年あたりの号は手元にないのが多いのでそこらへんも今後このブログが続いて気分がノッてくれば集めようかな??といった感じです。
まぁ85年の独立以降はTV出演もガクンと減り逆に私的にはリアルで熱心に見ていたので、どちらかというと知ってる世界の部分なので、特に追求したいのは84年くらいまでの自分の知らない世界の部分までになりそうです。

現物を残してくれた全てのジュリーファンに感謝しますm(__)m