'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●80年2月9日(土)~2月15日(金)

2012年03月20日 | 80年のじゅりー



この週は10日の日曜日が凄い、「クイズドレミファドン」「TVジョッキー」「レッツゴーヤング」「ヤンヤン歌うスタジオ」の1日ジュリー4連発\(^o^)/
私が見てた頃でも1日2回は結構まだありました、でもさすがに1日4回は記憶にないです。

まず「ドレミファドン」は日付からみてDVD「怪傑ジュリーの冒険」収録の回、あの番組も歌以外のコーナーにも出ているのでそこらへんも全て見たい所、ただ内容は特におもしろいほどの物ではない感じです・・・

「TVジョッキー」の方は「TOKIO」で2回目の出演、おそらくヘルメット姿のが初回の方かと、ないと思ったら2回目のも歌部分だけありました、ただやはり同じ衣装で特に特質するポイントはなし。



「レッツゴーヤング」
は近年、CSで再放送されたのでよく知られてるかと思われます。
「TOKIO」以外に平尾昌晃、山本とおるらと「ハートブレイク・ホテル」~「ハウンド・ドッグ」などの「ロックンロールメドレー」、衣装が81年の「夜ヒット」の「バイバイジェラシー」で着てた物と同じ(ですね?)、ギターの山本とおるはなじみがありませんでしたが、調べたらスウィング・ウエストのメンバーの方でしたか、旧名梁瀬トオルと同一人物だと思います、歌の方もかなりイケる方で、すでに亡くなられたようで元GS出身の方は早くに亡くなられた方が妙に多い気がしてGSファンとしては大変残念。

おそらく同じ衣装




もはやレギュラー状態の「ヤンヤン」は今週も、また今後もおそらくほとんどの回が、ハッキリした内容は不明。

前にも書きましたが「ビッグベストテン」に関してもこの時期3月いっぱいまで毎週放送、このあたりは毎週「TOKIO」がランクインしてた可能性が高いかと。
番組は79年11月よりスタート、ジュリーは「ロンリー・ウルフ」はヒットしなかったのでそう多くはこの番組に出演してないと考えられます。
ここで貴重な資料となる物が出てきました、前に動画サイトにあった「TOKIO」の動画に”第2位”と出るのがあり、これは間違いなく「ビッグベストテン」のだと思います、冒頭MCで「4週間ぶりにスタジオから1等賞を」とありました、と言う事は・・・「ザ・ベストテン」に比べひょっとしてジュリーサイドもこの番組を軽く見てたのか、毎週ランキングされたてたんでしょうが「ビッグベストテン」への出演回数はやはりそう多くないのか?、それとも中継があったのか??
もう1つ”第3位”との表示のある物がマイビデオから(笑)見つけました、冒頭で「先週金曜日”ビッグベストテン”終了後に録画」みたいな事を話しています。
驚いたのが番組テーマ曲が引退したプロレスの木戸修(最近娘さんがちょっと話題に)の入場テーマと同じだったとは!、昔はかなりプロレス好きだったのでこれは即座にメロディーが思い浮かびました。

第3位と司会の丘みつ子と誰?


さらに翌日の11日月曜日には「夜ヒット」に「TOKIO」で早くも3回目の出演。
こちらもDVD化のみならず、番組フルでCS再放送、冒頭の都はるみが次のバトンタッチ相手のジュリーの曲「危険なふたり」の歌詞をまちがい、それを巡ってのやりとりなどはビデオがあまり普及してないから良かったものの「またかよっ」て感じ(笑)
衣装も「TOKIO」に関してはほぼ全てがおなじみのあの衣装で変化が乏しいと言えば乏しい、髪型がある時はオールバックだったり、ある時はサラサラヘアーだったりというくらいで。


14日木曜日は夜7時からTBSの「ミラクルTV大出動!!」に出演、これは他の有名歌番組に比べるとマイナーな印象、「UFOセブン大冒険」「マジカル7大冒険」「少女探偵スーパーW」と続くシリーズだったようで、私世代は記憶にありません。
ただ確かにこんな感じの番組あったなぁと、このあたりの番組シリーズにもジュリーは結構出てたようです。
断片的ながらもズバリこの日の物がありました、内容は30分番組で歌のパートはないので不明、井上順や榊原郁恵との1930年代を舞台にしたコント、まぁそんな「コント+歌のコーナー」的な番組が多かったんでしょう、関根勤も少し出ています。

「ミラクルTV大出動!!」


こんなマイナーどこまで残ってるというのは、この頃になるとかなり詳細に録画してたファンさんがいらっしゃるようで、実際にはまだまだ音声だけをラジカセなどで残すのが一般的な時代だけにスゴイ、私も子供ながら必死にラジカセをTVに近づけて録音してたこの頃の「ドラえもん」のカセットならお部屋に(^^ゞ

あくまでも1例で当時のデッキがこの週の「TVガイド」広告掲載のVHS「ビクタービデオカセッターHR-3750」で26万6800円(@_@;)、ちょっと誰もが買える価格ではありません、もっと安いのもこのあたりになるとあったと思います。


ビクタービデオカセッターHR-3750
当時価格26万6800円



しかし、実は我が家の初号機は翌年の81年の確か中頃にはありました、父親が電気関係の仕事をしてたのも関係してたんでしょう、クラスで持ってるのはまだ3人程度、チューナーと別々の2段重ねの標準モードしかない奴で、当時のテープで残ってるのは誕生日に買ってもらった60分テープわずか1本だけ、後年上書きされ81年の番組はもう入ってないでしょう、それ以外の当時テープも全部上書きされて85年より前のはほぼないです。
子供ってバカなのかなんなのか、そのテープにアニメとか録画して全部セリフおぼえるまで、ある1話を本当に100回とかカウントしてくり返し何度も見ました、あの能力というか集中力が今あればなぁ・・・なんて(笑)、完全に失われた能力。

話を戻して、木曜日といえば9時からは今週もTBS「ザ・ベストテン」、今週は2位にUPしてのランクイン、この2位がしばらく続きます。
この時の2位は、「3年B組金八先生」の生徒役の人達が多数出演、ジュリーを取り囲み前回と同じく衣装装着までの時間測定、今週は「32秒170」、セットは下に鉄道のミニュチュア模型がありバンッと背中のあたりが破裂したりそんな感じです、最後に大きなチョコを持って「金八」の大勢の生徒と記念撮影、このチョコがポイントでバレンタインデーなので内容と一致して判断出来ました。

デカイチョコと


他の記事では先週号掲載の泉谷しげるインタビューのコーナー、今週は武田鉄矢でこちらもご丁寧にもご家族の年齢・氏名が掲載、お住まいは杉並区!、金八先生までこの頃結構近所に住んでたんですねぇ。
私も杉並とおとなりの区の境界あたりに当時住んでいて、さらに生徒役のS澤くんの弟と友達で家に遊びに行ったことがあります、学校では有名でした、そういえばもう1人TV出てた子役が学校にいました。

あと、12日放送の「ミュージックフェア」が竹内まりや、久保田早紀になんと五木ひろし、メチャクチャな組み合わせ!
火曜日の夜9時半放送というのも私世代にはかなり違和感あり、「ミュージックフェア」といえば、日曜日の夜11時という印象が強いんですが・・・
現在の土曜夕方6時になって早くも10年以上が経過、この番組は世代によってだいぶ印象が違うかも、やはり放送時間帯の空気ってのがあります。

さてこの時点で「TOKIO」発売から1ヶ月半が経過、だいたい3月いっぱいくらいまで色々な番組で「TOKIO」を歌ったと考えても、半分の地点ですでに何回歌ったんでしょうか?
すでに30回弱はいってると思うんですが、これではジュリー=パラシュートが人々の記憶に強烈に印象づけられるのも当然かと。







●80年2月2日(土)~2月8日(金)

2012年03月11日 | 80年のじゅりー



さて80年も2月に入り、この週もTV欄は切り取られてないのに加えて、表紙さえもなし。

ジュリーの出演情報は、3日の日曜日が今週もおなじみ「ヤンヤン歌うスタジオ」、間違いがなければ早くも80年に入り6回目の出演。



日時不明「ヤンヤン」
今日の7曲目め



5日の火曜日夜7時半よりフジの「ドリフ大爆笑」、私の記憶にある「大爆笑」も火曜日の「サザエさん」の後という印象で、長年時間帯は同じだったようです。
しかし、なつかし~ですね火曜日の「サザエさん」、いつの間にやら終わってました・・・
この回はCS放送でファンにはもはやおなじみ、くり返しくり返しずーっとやってます(笑)
アレは本来は98年に再放送がスタート、当時ジュリーは過去映像を完全封印してたので、ジュリーの過去映像、しかも歌のカットなしで見れる本当に貴重な再放送でした。
DVD「怪傑ジュリーの冒険」さえ発売前、ネットもまだまだ誰でもやってるような頃ではありません、当然動画サイトなどというのも今のようになかったでしょう、何度もやるとは思わずジュリーの過去VTRがカットなしで見れるから楽しみに見てました。
この「大爆笑」の再放送ですが、特徴的なのは曲のテロップが後年の物以外は一切残ってないのか出てきません。
「ウルトラQ」が最初にビデオ化された時も、当時のテロップがなく新しく作った物でした、後年発掘されたようですがテロップってなんか色々あるみたいです。
当時録画物の「大爆笑」にはちゃんと曲のテロップは表示されています、私的には全部テロップ入りで欲しい(笑)、再放送飛ばされてる回もあるとか。


7日は午後8時NHKの「花のステージ」に出演、これも内容等不明。
「メモ」に”4日「レッツゴーヤング」、5日「花のステージ」収録”とあるので、コレが正しければ収録2日後にはもう放送されていた模様。
NHKアーカイブスで検索したらヒットしませんでした(←台本しか残ってない番組もヒットするらしいので注意)、80年くらいのゴールデンの番組だと保存率は70年代に比べると高いハズながら、NHKの番組保存率は他局に比べ低く、自局の看板番組79年の大河ドラマ「草燃える」さえ全話残ってなくて視聴者録画のビデオが近年発掘されてるような状況からもそれがうかがえます。
美空ひばりが出た81年の「ひるのプレゼント」もNHKには残ってなくて、視聴者のビデオで発掘されました、ジュリーが出た78年の「ひるのプレゼント」もこうなるともう局には残ってる可能性はかなり低そう(´д`)
ただ、こちらもかなり状態の良い視聴者のビデオがありそうです。

78年「ひるのプレゼント」



「花のステージ」、ウィキによると「1980年1月24日の放送を最後に植木等が病気療養のため急遽降板。以降はゲスト歌手の一人が宇崎竜童とペアで司会」とあるので、どうも司会は宇崎さんだったようですね。
宇崎さんとは77年の「沢田研二VS宇崎竜童」、79年「ロックでフィーバー」、81年「ファイティング80’」、82年「そこが知りたい」とこの時期番組での共演も多く、この年のアルバム「バッドチューニング」で「プリテンダー」を楽曲提供もしてもらっているのはファンにはよく知られてる所。
ひょっとしてコレかな??という同時期の映像で、それは山口百恵、研ナオコ、高田みづえら女性歌手8人にかこまれて唯一の男性ゲストのジュリーがイスに座って横から登場するんですが、セットの雰囲気がなんとなくNHKっぽいので、もしかしてコレかもしれませんが、その女性歌手にかこまれてトークする場面しかないのでハッキリしません。

「花のステージ」??


同日9時からはこちらも今週も「ザ・ベストテン」、この週は3位でランクインしています、3位も2回あったようです。
「3位にUP」と久米さんが言ってるので、間違いなくこの回のだろうと思われます、この週は「TOKIO」のパラシュート装着までの時間が計測され”36秒825”が記録されました、この計測は他の週でも行われたようです、背中のランドセルはストロボをチャージする機械だとか、セットはスモークがたかれ床はパラシュートと同じような模様の電飾、最後に小さなパラシュートが落ちてくるといった感じで「ベストテン」にしては比較的地味目?

「ベストテン」3位


で・・・、ここで書いてて気がついたんですが、上記の女性歌手8人にかこまれてる映像の次にコレが入ってるので、やっぱり流れから見て上記の女性8人にかこまれてるのが「花のステージ」からの映像の可能性が高いのと、最後のタレント別出演情報の山口百恵と石川さゆりの所にも、「花のステージ」と書いてあり映像と顔ぶれが一致してます、おそらく間違いないと考えられます。

他ページには小さく”井上尭之バンド”解散の記事もあります、尭之さんは引退しプロデュース業に専念と、大野さんは第一線を退き”とあり、この時点ではそういうことだったのかもしれません。
井上バンドは尭之さんと大野さんという、単なる1プレイヤーに留まらない優れたコンポーザーがバンド内に2人もいたというのがスゴイですね。

あと驚いたのが泉谷しげるの記事、内容は当時話題になった犯人役のドラマについてで、プロフィールになんと!”東京・高井戸在住”と書いてありました、実は私も当時”高井戸在住”(^^ゞ
まぁ高井戸といっても下高井戸・上高井戸・高井戸と確かあってビミョーに位置はズレてますがどれもかなり近いです、近くに住んでたんですねぇ泉谷、まぁ小学生じゃ泉谷なんかもちろん知らなかったけど(笑)
一般人の奥さんや子供さんの名前・年齢まで書いてあるし、プライバシーなんてこの時代はムシなのか?、確かRCサクセションの仲井戸麗市も当時高井戸に住んでたと思いました。

この時期の泉谷のバックバンド”BANANA”にいたのが柴山和彦と吉田建、ジュリーの新バンド”オールウェイズ”はこの2月か3月くらいにはプロジェクトが始まってたんでしょう、2人は泉谷の方も平行してやってたようです、確かその後の泉谷のアルバム82年の「NEWS」や83年の「リアル・タイム」あたりにも柴山&吉田の両氏は参加してたと思いました?
ずいぶん前に売っちゃって現物がありません、泉谷の自伝「わが奔走」にも2人がジュリーも同時にやってた話が確か載ってました、書いてたら「都会のランナー」なんかもまた聴ききたくなったなぁ・・・





自伝といえば最近読んだ、村上”ポンタ”秀一の自伝は中々おもしろかった、ポンタさんはちょうどこの頃に1回ジュリーのライブで代打でドラムを叩いたらしく、そのまま誘われたのをあっさり断ったとか(笑)


1月28日付けオリコンによると、この週「TOKIO」は第9位にランクイン、有線では6位、ちなみにオリコン1位はクリスタル・キング「大都会」、2位久保田早紀「異邦人」、3位五木ひろし「おまえとふたり」、ニューミュージック系が6組も10位内にランクインしています。









●80年1月26日(土)~2月1日(金)

2012年03月05日 | 80年のじゅりー





早くも80年1月も最終週の26日土曜日、おなじみTBSの「8時だヨ!全員集合」に登場。
コレもおそらくこの時のだろう・・・?と思われる回の「TOKIO」があります、「全員集合」も同じ曲で何度も出る頻度が高くこの日の物かは特定出来ません。
ちなみに前曲のあまり売れ行きのよくなかった「ロンリー・ウルフ」でさえも3回は出てるのが確認されています。
私は当時小学生ながら「全員集合」に関しては特に毎週楽しみにして見てたという感じではなく、ただTVは1日中つけっぱなしでも誰も文句言わないような家庭だったので、自然に意識してなくても見てた記憶はもちろんあります、好きじゃなくても周りの子供はとにかくこの番組の何らかのマネをやたらしてましたね。

おなじみ学校コント




翌日27日はまたまた今週も「ヤンヤン歌うスタジオ」に出演、コレが3月まで毎週続くようです。
駅員のかっこで寝台車みたいな場面でのコントやテニス部のキャプテンかなにかの設定のコントなどがこの時期の「ヤンヤン」の映像で断片的にありますが、こんな感じのノリだったんだろ~なぁというのはわかるといえ日付がとにかく特定不能、他出演者に山口百恵、ヒデキ、五郎などまだ”たのきん”登場前で70年代の延長な感じの顔ぶれ。



「ヤンヤン」のコント


28日月曜日、こちらもおなじみ「夜のヒットスタジオ」に「TOKIO」での2回目の出演。
オープニングは例のピンクのスーツ、DVD収録の通り歌前のトークはなし、DVDに収録されなかったパートとしては、また歌詞を間違えたジュリーをかばう順さんに「いや、こうも多いともうごまかせない」とジュリー、「今度は1位狙えそう?」と順さん、「いや、現実は難しいところで」とジュリー、そんなやり取りなどがあります、ちなみにこの回は芳村真理さんがいませんでした。





31日木曜日、これもおなじみ「ザ・ベストテン」に第4位にランクイン、もう「ヤンヤン」「全員集合」「夜ヒット」「ベストテン」「ドレミファドン」あたりはこの頃年に10数回は出演、ちょっとしたレギュラー並。
「TOKIO」の4位は2回あったようですが手元にある4位の「TOKIO」はMCで”今日のライブの後”と話してるので、こちらは3月末に最後にランクインした時の4位の映像の模様、日劇でのライブが終わった直後に、まして井上バンド解散直後にまたどこかでライブやったとはちょっと考えられませんからねぇ・・・、なのでこの時の「TOKIO」は内容不明。

他の記事ではニューミュージック系の番組紹介がたくさん、日テレ日曜昼12時15分からの「コッキー・ポップ」2月はチャゲアス、石川優子、ツイスト、NSP、クリスタルキング、フジ土曜夕方5時半からの「ザ・ポップ」に桑名正博、テレ朝日曜深夜11時20分から「ジャム・ジャム80’」は岡林信康、TBS日曜夕方4時半「ザ・コンサート」が岸田智史と山口百恵がジョイント、東京12チャン日曜夜10時半「サウンズ・クリエーション」2月はラリー・カールトン、ショーグン、BORO,高中正義、プラスティックス、月~金夕方6時からの「ステレオ音楽館」にもラリー・カールトン、庄野真代、松岡直也といかにもこの時代を感じさせる面々たちですが、今や中古レコード屋の安売りコーナーの常連といった感じも(笑)

他に、”東京12チャンネル「おはようスタジオ」の司会者・志賀正浩がレコーディングした「わんぱく宣言」が7万枚の大ヒット”、との記事がありました。
コレはホントによく見てました、私世代の多くの方が朝必ず見てたと思います、現在の「おはスタ」のルーツ番組、B級アイドルの出演が多く連日同じ曲を聴かされるので、なんとなくおぼえさせられた曲が結構あります。
直江 喜一の「悲しきティーンエイジャー」やスターボー、ミルクパンなんか特に印象的。
志賀ちゃんの「わんぱく宣言」と次の「おんどピコピコ」も毎朝聴かされたせいかジュリーより記憶にベッタリ(笑)、しかし今回調べたら志賀ちゃんって「小さな日記」で知られるフォー・セインツのメンバーだったと知りビックリ、ジュリーとは同世代だったんですねぇ。

この頃1月16日にウィングスと共にビートルズ以来、14年ぶりに来日したポール・マッカートニーが日本で逮捕という事件もありました。
ジュリーも来日公演を見に行く予定だったんでしょうかね?、タイガース時代からTVやライブも含めると実に数多くのビートルズナンバーをカバーしています、76年のツアーでは井上バンドとビートルズコーナーがあったり、73年には「アビー・ロード」B面メドレーなんて驚きのも。

意外とポールやジョンがソロになってからの曲はさほどカバーしてない感じがします、ポールだと82年の「ミュージックフェア」でチラリ歌った「ヴィーナス・アンド・マース」がパッと思い浮かび、あとは・・・と考えてたら前年の夏ツアーの1曲目がウィングスの曲、これはテープのみで製品化されてました、やっぱり来日公演は見に行く予定があったかもしれません。