'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

★鶴ヶ島で噂のベーシストヲ見る

2016年01月24日 | 追っかけ

 


ま、ソレがメインではないんだけど・・・


この3年ばかり、ポンタさんのドラムを1度小さいハコで見たいと常々思ってて、たまーに公式のスケジュールをチェックしてました。

そしたら元ゴダイゴ~Mの名ギタリスト浅野さん、キーボードの稲垣さん、ベースの依知川さんで「MAPS」というユニットのライブが都内近郊4ヶ所であるのを発見。

埼玉の鶴ヶ島という場所も98年の1月、クソ寒い中暗い道走って2回もチャリンコで行ったよなぁ、なんだったんだろアレとかふと思い出してたりで、見るには色々とちょうどイイッ!

と、いうワケで行って来ました。

依知川さんって家の近所のビックリするような場所で「書」の個展とか、浅野さんとライブしたり一時期気になってましたが、あんな誰も通らない裏道みたいな場所でなぜ?

 

依知川さん曰く「全国まわってるけど、関東のこの辺りは良い意味で田舎、感じいい」
わかる、私もソレに惹かれ鶴ヶ島を選びました(笑)

 

 

この昭和の雑居ビル感がたまらん

 

 

 

アレ、真上まで来て入り口どこだ??

 

と、思ったら下の居酒屋みたいなとこが正解( ̄▽ ̄)

 

 

客入りも中もいい感じでした

 

 

 

大体こういうとこは写真も動画も野放しなんだけど
今回は演奏中はダメダメダメってことでソレ以外、休憩の追加オーダー待ち中後ろ向いてステージをパチリ



座った場所も依知川さん側、壁に寄りかかってたから壁伝いに思い切りベース音が響き、おかげで新ベーシストのお姿・音共々満喫出来ました、髪の毛の量が多くていいですね、私も別にハゲてないけど(笑)

 

肝心の曲目はキング・クリムゾンだジェフ・ベックだコロシアムだ、どうもよくわからない。
そう言いながら「あっ、ピンク・フロイドの「クレイジーダイヤモンド」だ」とか、フュージョン期のジェフ・ベックの奴だとか、「エピタフ」だとかいちおう聴いてたり持ってるんで知ってはいるんだけど、白人ロックは苦手どころ聴きこみも浅く・・・

ボーカル曲は全て依知川さんが担当、他に「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」や「ホワイト・ルーム」とか、最後のインストもどーっかで聴いたような、何だっけかな?(笑)

 

終演後はCD購入者にサイン、ジュリー復帰のいきさつとか直接聞けたかもしれませんねぇ、ポンタさんも又新しい本を出したとかで、今日は持ってきてないとの事で残念、ただこちらは70年代までの話だからジュリーのことは特に書いてないんじゃないかな。

浅野さんも比叡山とかでジュリーとやってたし、4人中3人がジュリーズなバンド\(^o^)/、キーボードの稲垣さんもキャロルのEちゃんとやってたぐらいだから相当腕の立つプレイヤーでしょう。

 

外に出ると近くのカラオケ屋からザ・ピーナッツの「ウナセラディ東京」が流れ、思わずいっしょに口ずさむ、こんなこと作って書ける話じゃない。

1年も経ったら思い出すのは目の前の日々の嫌な事なんかより、昨日の鶴ヶ島での1夜といくつか印象に残ることだけで全部忘れちゃうんだろうなぁ、去年の1月だって行ったライブ以外記憶ナシ、さてと仕事せねば。

 

あぁそうそう、ジュリー見に行かないよ(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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●友部さんの日記から

2016年01月15日 | その他

 

 

3月12日(火)「You Tube」

ニューヨークに着きました。
JFKからマンハッタンまで、朝の渋滞に巻き込まれて1時間半もかかりました。

You Tube に上げられたぼくのCDからの音源があまりにも多いので、おもに友部
オフィス制作のCDの音源を上げている人に、削除するようユミが直接メールをし
たら、徐々に返事がきています。
いろんな人がいて、すみやかに削除してくれるという人もいましたが、「アップ
してもらえるだけでもありがたいと思え、阿呆」と罵倒する人もいました。
こんな人もぼくの歌を聞いているのかと、ユミが思い切った行動をしたおかげ
で、思わぬファン(?)の一面を見ることになりました。
You Tubeの仕組みがまだよくわからないので、自分ではアップしていなくてぼく
の歌をお気に入りにしている人にもユミはメールしていて、現場はいまだ混乱し
ていますが。

You Tube という広大な架空のたまり場のおかげで、製作者がお金をかけて作っ
た音楽が無断で無料で匿名でやり取りされるようになったのは事実で、そのこと
を一度はっきりと口にしたほうがいいと、今回のような行動を取ってみてよかっ
たと思います。

3月2日(土)京都市「アバンギルド」

2部のLDK、今夜はけっこうのりのりでした。2日目で3人の演奏がこなれてきたか
らでしょう。
アンコールでは「Bring It On Home To Me」を初めてLDKでやりました。

デジタル・オーディオ・レコーダーでライブを録音している人がいて、ぼくとユ
ミが注意したにもかかわらず最後まで録音を続けたようです。
渕上さんも終演後に注意をしようと追いかけてくれたのですが、人違いをしたら
しく、間違えた人にほんとにすまなかった、と悔やんでいました。

ぼく個人の気持ちでは、録音している人がいると、CD化されていない未発表の曲
はできなくなります。本当はできたばかりの曲も聞いてもらいたいのに、録音さ
れているとわかると歌いたくなくなるのです。
今回LDKで取り上げた「100万回生きたねこ」の中の2曲も、まだミュージカル
の本公演で歌われただけで、ほかの場所では歌われていない、未発表に近い作品
でした。
大切な楽器を盗まれたような感じ。

ついでに言うと、you tubeにぼくの音源をアップしている大勢の見知らぬ人たち
にも、非常に困っています。小野由美子の言うには、音源の権利は製作者のもの
なので、そんなことをするのならCD製作費を全額支払ってほしい、ということで
した。
「クレーン」を発売した後、なかなかアルバムを録音しなかったのは、こういっ
た理由もあったのです。

 

 

注・小野由美子・ユミ=友部さんの奥さん

 

 

 

 

 

【感想】

・あのサイトについてはアーティスト側も寛大な人と不定的な立場を取る人がいるようだが、アーティスト自身が公式に番組を持って情報発信していたり、もはやネットに接してる以上不定出来ない存在。
・当然自分も利用はしているし今後も間違いなく利用するだろう、ただしジュリーに関してはあそこからはこのブログで静止画像1つ利用しないで来たつもり、本当はNGなんだけど静止画ならまだギリギリ許されるかなと思ってきたつもり。
自慢する気はないがネット上で見聞きでるようなのは、8~9割方ファン間を行きかうRやビデオやデータで所有してる、そもそも圧縮動画は所有した気がしない、欲しいのは「動画」じゃなく「映像」だ、元が同じ素材からUPされてるのも当然ある訳だが。
ブログもサイトもやってなくても自分以外にも持ってる人は何人も知ってる、特別なことではない、ただ彼等も自分も大人だからネット上にUPしないと言うだけのこと、今後もジュリーは自分の持ち物からしか使う気はない。

・節度があれば笑えるが、敬愛するアーティストの作品の全曲全編UPなぞファンの風上にもおけない、お宝に目が眩んで正しく見る目失ってないか?、自分は沢田研二のファンだ、「そうさ僕はいい人なんかじゃない」(95年「銀の骨」より)からね。

・友部正人さんは十代の頃からファン、「大切な楽器を盗まれたような感じ」という言葉はとにかくグサッと来た、この数年前の日記を知ってショックだった、1度UPすることで自分自身へ対しても今後の戒めとしておきたい。

と言う事で「1人国際フォーラム」、ジュリー風に緊張を走らせてみましたと(笑)






 

 










●ジュリーの等身大パネル

2016年01月04日 | その他

 

81年11月19日(木)放送 第4位「ストリッパー」

 

 

CM撮影のためメキシコへ(11月14日撮影)

 

 

 では、行ってまいりまーす

 

 

ジュリーのリクエストで作られたパネル

 

 

気軽に記念撮影に応じるジュリー

 

 

化粧しないと「ダーリング」あたりの時期と変わらない感じが

 

 

パネル裏にはテープレコーダーがありしゃべる

 

 

 

こういう物は番組終了後に処分され残ってないでしょう

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが

 

 

 

 

 

14年後突如テレビ画面に再登場

 

 

 

 

 95年秋放送の「なんでも鑑定団」

 

 

 

追っかけのファンさんが当時テレビ局で
処分寸前のとこを「捨てるならくれ」と譲り受けたとか

 

 

査定中

 

 

 

「えるえるレコード」店長さん
この年の初めお店で長話をしましたね

 

 

 

結果は予想をこえる50000円
95年当時持ってたなら今も現役ファンさんな気が

 

 

 

 

 

コレ、上と下どっちがレアかと聞かれたらズバリ「鑑定団」の方(笑)
私がたまたま録画しちゃった物で新聞にジュリーとか出てなかったハズ

 

 

 

ヤバかったら連絡を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


●78年暮れ、最大の危機。

2016年01月02日 | その他

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてと・・・何度もレンタル・再放送で何処かに録画したものの散逸してた、松田優作さんの79年「探偵物語」を年末の一挙放送でようやく1つにまとめて保存出来ました。

久々に見たら、気になるのが昭和の自販機や景色、特に最終回のこの場面・・・

 

間違いなくココ、今もこの古道具さんは営業中。

 

あとコレ。

 

ここは子供の頃の原風景、撮影時はもちろんハタチすぎまでよく通ってた場所。

 

 

ここはもう近所(笑)

 

 

おやおや?

 

 

 

おととしぐらい、優作さんの前妻であり作家の松田美智子さん著「越境者 松田優作」を読んでたら気になる話がありました。

78年暮れ、毎年恒例の自宅での関係者を集めた餅つき大会で、体格が良く喧嘩っぱやいので有名な「H監督」が殴り合いを始め、仲裁に入った優作さんに手を出したため反射的に「H監督」を殴り、あっという間に「H監督」をKOしてしまったそうです。

この時、優作さんは事件で執行猶予中、「H監督」が訴える事はないにしても目撃者は多く、何処からかマスコミに漏れでもしたら最悪の場合刑務所に収監される可能性もあったとの話。

 

 

 

「H監督」??・・・もしや

 

 

 

 「H監督」でしょ??

 

 

 

 

もしも、そうなってたら翌年公開のあの映画



あの映画に何らかの影響があったでしょう、”体格が良く喧嘩っぱやいので有名な「H監督」”

 

う~ん、誰がどう考えても(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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