'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●80年10月4日(土)~10月10日(金)

2014年04月29日 | 80年のじゅりー

 

今週の表紙はついに引退の時を迎えた山口百恵、歌謡曲に興味のない当時小学生の私には、世間のモモエ引退フィーバーぶりの記憶も皆無・・・
おぼえてないせいかモモエと言えば神格化され、一時「モモエカムバック」とやたら叫ばれ、同じ頃TVから段々遠ざかるジュリーの姿をダブって見てたもんだから、トラウマ気味な反発感を今も感じる。

「なんでやめた人ばかり持ち上げるんだ」と、若い分今の10倍くらい怒りに近い感情で思ってました。

ただしシングル盤全部持ってるし「赤いシリーズ」が再放送されれば全部録画、キライじゃないんであしからず、マスコミが悪い。

モモエ引退フィーバー
も佳境に

 



●この週のジュリー情報は少なめ、5日(日)昼12時からフジ「クイズ!ドレミファドン」へ出演。
「ドレミファ」は歌部分だけが早くにDVD化され、何事もなかったように済まされてるけど、日付からしてこの回はDVD収録とは別の回。
「バッドチューニング」も2回出演記録があったし、この調子だと相当数の未収録回がありそう、サブタイトルにある「沢田研二の曲芸料理博士」というのもちゃんと見てみたいぞ

同時刻、裏の東京12チャンネル「タモリの突撃生放送」に野口五郎、1時から日テレ「TVジョッキー」はヒデキ&ひろみが出演スターそろい踏み、今の時代なら果たして誰?、ソレに当てはまる歌手の姿すら思い浮かばず、TVスターも不在の時代となりました。

「ダバダ」記事



同日、夜7時から東京12チャンネル「ヤンヤン歌うスタジオ」へも出演。
しかし・・・、裏がTBSで7時半から「特別企画独占生中継!山口百恵最後のステージ」では相手が悪すぎる。

この日の「ヤンヤン」を見てたのはかなりのジュリーファンやアンチ・モモエだけかもしれない、、まぁでも我が家にも当時すでに3台くらいTVだけはありました、両方つけてれば見るぐらいは出来たでしょう。

ってワケでこの週のジュリーTV出演は早くもこれで終り、次週11日から秋ツアーが始まります。

 

新番組「アップルハウス」
司会は加藤和彦&竹内まりや

 

岡本太郎宅の正統派・80年のTV前風景

 

 

 

●他ネタより、処分中のビデオテープの山(数は多すぎてザザッと引かれるから言えない)から結構忘れてたジュリーや、狙って録ったワケじゃないのに入ってたジュリーネタが出てきます。

CMとかも「廃墟の鳩」が誰かのカバーで使われてたり、99年夏の「シーサイドバウンド」(オリジナル音源)が使われてるCM、「めざましTV」での98年正月コンサート・レポ他、完全に忘れてる。

そんな中96年のテープから「紅白舞台裏」みたいな番組を発見、NHKはかなり古くから「紅白」の舞台裏を保存してるようで、各年代から司会者と出演歌手の面接、出し物のリハーサル風景等々。
96年といえばジュリーの過去映像封印時代、どうせジュリーは出てないだろうと見てると、アレレ~出てる

1つは84年、出演者への説明会みたいな場面でヒロミ&ヒデキの後ろの席に五木ひろしとご一緒の場面がチラリ。

ヒロシのとなり



もう1つは83年、「レコ大」から「紅白」のNHKホールへの毎年恒例の出演者の移動風景、ここではNHKホール入り、ダッシュする「きめ今」ジュリーがハッキリと。


10年近く毎年大晦日は「レコ大」~「紅白」の早移動をしてきたジュリー、残念ながらこれが最後の姿・・・

 

 

 



●3月から4月にかけてジュリーの舞台はパスして、布施さん、陽水、ムッシュに浮気(笑)

布施さんは2列目中央の神席、高音域の衰えのなさは66歳の年齢を考えると脅威、目もキラキラ、意外や往年のヒット曲も控えめで昭和の大スター健在ぶりを目の前で見せ付けられた、2010年に自主制作で出した布施さん自作の「1万回のありがとう」、コレはホント名曲。

 

ムッシュは関西ブルース界の大物、永井”ホトケ”隆のバンド「ブルーズ・ザ・ブッチャー」とジョイント。
こちらも75歳の高齢にもかかわず立ってギターを弾いての2時間、ジュリーなら軽くあと10年は行けそうな予感が・・・、還暦前後のミュージシャンの訃報続きの中で一抹の光明を見ました。
20数年ぶりに見る永井隆も昔とまったく変わらぬ長髪とスタイル、この人も還暦越えてるハズなのにどうなってるの??



陽水は一時期に比べると話題にならないから、今どうしてるかふと気になり調べたらちょうどツアー開始前で、後日NHKの特番も流れてな~んだ全然元気じゃない、特別ファンじゃない限り活動してても案外その程度の認識。

音楽を聴き始めた頃に陽水はよく聴いてて人生2枚目に買ったCDが有名な日本初のミリオン・アルバム「氷の世界」、定価で3500円もしたCDを学校帰りに学ランで買ったのを鮮明に憶えてます、CDと言ってもまだLPが新品で並んでたような昔の話。

この作品で”名盤”の意味を教えられたような物、ポリドール時代の陽水は好きで集めたのにその後のフォーライフ以降はあまり聴かずじまい、そんなに大ファンじゃないんだけど1度はナマで見ておきたい存在に変わりはない、近くに来るから思い切ってチケットを入手。

ツアータイトルを見てひょっとしてと思ってたら、その通りでなんと今回のツアーは「氷の世界」全曲演奏ライブ、普段陽水なんて全然意識してないのに何かに呼ばれたのか?
この作品はかなり長いこと聴いてなくて、予習なしで見に行くとギターソロのフレーズまで頭で鳴る鳴る、昔は隅々までちゃんと聴いてたよなぁ、これぞ歴史的名盤、フォークからニューミュージックへ時代の転換点。

フォーク出の陽水が現在まで長くヒットを出し続けられたのは、やっぱり声の魅力に尽きるでしょう、声の艶がとにかく素晴らしかった、時代もジャンルも世代も超越したポピュラリティがあの声にはあります。
01年に「花の首飾り」をカバーしCMソングでヒット、そういやコレも完全に忘れてた事柄

私が見た次の公演には「氷の世界」のアレンジャー&元モップスの星勝、その後の公演では陽水と言えばこの人、名ギタリスト安田裕美も参加、どちらも見たかった!これは残念
セットリストも毎回若干変化があるらしくて私の見た日は「傘がない」、今の気分にピッタリ、”わが国の将来”より”問題は今日の雨”なのです、正直なとこ今のジュリーの想いとはウラハラ、ゴメンなさい。
終演後に大きな本日のセットリストパネルがロビーに置いてあって、カメラパシャパシャ、アレは新機軸(?)、コンサートで初めて見ました。



ただそう言えば陽水はここんとこ、書籍「世界は僕らを待っていた」にタイガースのTV初出演時にアンドレ・カンドレ(陽水)もいっしょだったと書いてあったんで、それは間違いでしょ・・・と考えてたりしてて、どうも陽水ファンサイドの検証でもやっぱり誤りみたいです。
情報の大元がどこかと思えば、な~んだ新聞に掲載されたジュリー自身の記憶かぁ(笑)、日本のフォークに詳しい方ならこの部分はちょっと違和感を感じたんじゃないかな?

高石ともや、岡林信康あたりでも66年と言えば、まだギターを持ち始めようやく人前で歌い出したような時期、その後名前の出てくる他のフォークシンガーもまだ同じような段階、「バラが咲いた」「若者たち」のヒット、毛色の違うカレッジフォークのブームはすでにありましたがね・・・

ましてジュリーと同じ年の陽水が66年後半の時点で東京のTVに出るには、その前から活動し、ある程度話題になってるのが前提で時期的に早すぎると感じます。
その後69年にデビューするまで、67年・68年の東京でのアンドレ・カンドレの活動記録が空白なのもあまりに不自然でしょう。