83年6月ホーガンのアックスボンバーで
失神KO~入院、一般マスコミでも話題に
アントニオ猪木と沢田研二。
この2人の歩みには共通項がある、授業中そう考えてたのはずいぶん昔の話。
いつかコレについては書きたいな・・・、実際プロレス雑誌に同じこと考えてた人が記事にしたこともあったりして。
最近猪木さんの昔の試合を見たり、83年のジュリーの記事を書いてる都合上、その頃のジュリーを見てて感じるのは「疲れ」。
全盛期に比べ筋肉も落ちてしまい、「落日の闘魂」を象徴する決定的な「IWGP失神事件」が83年6月。
今ではこの事件の真相も諸説あり、いずれにしても肉体的にもリング外でも消耗し切ってたのは確かだろう。
ジュリーも同時期売り上げ不振、連日の○○報道、思えばこの頃「TOKIO」からでさえ、もう3年半も走り続けてたんだからムリもないよなぁ。
それでもリアルタイムではそれなりの盛り上がりと話題性で、いつもの猪木、いつものジュリー、だったのではないかと。
現在は映像で全盛期から冷静な視点で歴史を振り返れるから、「猪木さん胸板の厚みが落ちた」とか「ジュリーの表情が迷ってる・自信なさげ」とか、なんだかハッキリと見えちゃったりして。
1970年代を駆け抜けた男達が、ふっとひと息つきたくなったのがこの辺りだったのでは。
そういう自分も83年のジュリーTV出演記事の製作に疲れてたりして、ぶっちゃけこのまま84年夏まで、意外性もなくパッとしないまま終わります。
「こんな番組出てたんだ!」とか「こんな番組あったんだ!」とか、この時代になるともうないんだよね・・・
79年「Gアロー賞」
自信にあふれる勇姿と
83年「日本歌謡大賞」
「俺がとちゃってもいいのかな?」みたいな
番組で持ち上げられる反面、売り上げがともなわず困惑する姿が目立つ83年ジュリー