♪そんなに急がなくてもいいじゃないですか
♪これから何処へ行こうというのですか
♪めぐり逢う日のために 気まずさが残らないように
♪最後に心の後始末をしたい・・・
う~ん、どう終わりにしようか迷うからホントの千秋楽2月7日まで、その時の気分でテキトーにダラダラ書き足して終わりにしたいと思います。
こんなアホブログ読まなくていい
72年「レコ大速報」のさわださんが突如出てきた
で、アンタは結局葡萄缶は行ったのって??
それは読み手のイマジネーションに委ねて・・・
この本面白かった↓↓
ニッポンの編曲家
”編曲家とは字の如く曲を編んでいく職人にことである。
その曲でレコーディングされるすべての楽器のパート譜を書き
時には歌メロより印象的なフレーズでメロディを引き立たせる
編曲家とはアンサンブルのイニシアチブを取り統率する
いわば楽曲の総合監督である
語弊を恐れず言えば作詞や作曲は誰にでも真似事レベルなら出来てしまう
しかし編曲はそうはいかない
メロディを楽曲へと昇華させるノウハウと確かな音楽知識
各楽器への造詣そしてセンスが不可欠である
メロディを生かすも殺すも編曲家の腕次第というわけだ
本書はその存在が軽視され
その凄さが過小評価されてると思わずにいられない編曲家にスポットをあて・・・”
本の序文が全てを物語ってるのではないのか?
これはニホンの70~80年代の歌謡曲・ポップス好きには必読の良書。
読み終えたあと聴き方が変わると思います、amzonレビューでも17件中94%が★5つ、残り6%も★4つも納得。
ジュリーの曲にしたって作詞・作曲の加瀬さん、大野さん、阿久さん、安井さんは思い入れたっぷりで語られてるのは見ますが、編曲家について話題にされてるのは皆無に近く思います。
ジュリーの曲で船山基紀さんや東海林修さんを熱く語る人まず見ないもんね(笑)
当時の作家から渡されるデモテープはギター1本やピアノ1台の弾き語りで「ラララ~」とメロディのみがほとんどだったそうで、編曲家の功績はあまりにも過小評価すぎる!
まず歌番組の楽曲クレジットで作詞・作曲家の名前は表示されても編曲家は出ないことが多い、「夜ヒット」「ベストテン」も表示されません。
各番組専属のバンドがテレビ用アレンジをしてレコードのとは違うよ、そう言う意味合いもあるかもしれませけどね。
編曲家、各楽器の名スタジオプレイヤー、ストリングスチーム、コーラス、果ては仮歌に至るまで黄金期を支えた職人達へのインタビューを中心に、読んでると当時のスタジオに居るような気分に。
ゴローのインタビューなんか読んでるとアイドル言うよりも、彼も完全にミュージシャン目線だったんだなぁ。
73年「レコ大速報」のさわださん
ネットで絶対見れないジュリー映像としてレアがどうの以前に葬儀・事件物ってのが案外数があるんだよね。
ジュリーに最も近いお方(裕子さんより近い)のとか静止画でも気が引けて冗談でもムリ・・・
キャワキャワ衣装なミッキーズジュリー
ズボンにも
どうしてこの時だけキャワキャワ・・・う~ん
♪横に眠るのは~
♪ただ気の合う女
♪生きることはお道化るこ~とか
ってことで今回はピエロの衣装
♪生きることは強がるこ~とか
ってことで今回はドタキャンさせて頂きました
昭和の終わりに平成最後を予言した名曲「ストレンジャー」
この「ストレンジャー」、大野&阿久の往年の黄金コンビによるストック曲だったのはあまり知られてないのでは?
当時テレビでも1度歌ったことがありました・・・
って
\(^o^)/大ウソ\(^o^)/
ビリーの奴、ビリーの(笑)
オフィス編 爪切課長
人間ってちっぽけですね、さわださん
ちっぽけだな、人間って
オフィス編 ニューオフィス
さわださん、今度ボクあのオフィスのデューダするんですよ
たまには手を振ってくれ
オフィス編 死んだ気
さわださん、死ぬ気になれば何でも出来る物なんですかね
・・・・・
タクシー編 車中の再会
いいな運転手って上に気使うこともなく
さわださん、まだ会社にいるんですか?
ここでジュリークイズ
Q・89年に流れたこの「デューダ」のTVCMは何パターンあるのか?
①・ 8 パターン
②・ 23パターン
③・ 15パターン
正解は・・・
「②」の23パターンが正解
全部お見せしたいとこですが面倒くさい・・・
ジュリーCMは古い年代からわずかなVer違いがあり、全貌解明は不可能に近いのでは?
考えてみると1990年代ジュリーのテレビ露出はめっきり減りましたが、CMだけは2000年までほぼ途切れることなく流れジュリーの姿や歌声はテレビで見れてたんだよね。
給湯室編 でがらし
チェッ、でがらしか
バカ!、これからだよ!これから
これからなんだよ!
ジュリーのテレビ映像最初の一歩、全てはここから始まった
1966年と言う年代を考慮すれば8mm画面撮りサイレントでも残されてのは奇跡。
最後はもしやあの公園帰りのヨタヨタ歩く姿になっちゃうの
ここのとこ取り憑かれたようにジョニ・ミッチェルばかり聴いてますが、ジュリーファン的にジョニと言ったらタイガース時代にカバーした「青春の光と影」。
ってワケで「青春の光と影」を歌ったシロー特集を・・・
前々からシローを書こうと思いながら早1月もおしまい、残り時間も迫ってきました強引にもってく
DVDではカットされてしまったシローとブレッド&バターの田コロでの初ステージ。
ところで「ラレーニャ」の「ビューティフル」のバンドアレンジってドノヴァンのじゃなくて、ディープパープルの3rdのVerを参考にしてません?
ドノヴァンって1人で武道館公演やったんだよね、白人ロック詳しくないけど本読んでると余計な雑学おぼえちゃうんだよね。
なんか検索したらドノヴァンの武道館公演を「沢田研二の大ファンの叔母の方が引き込まれてしまっていた」って出てきたぞ(笑)
22歳での結婚は早すぎたか?
ナベプロって見切るの早すぎ、72年5月にはシローのソロシングル出してブレバタとはおしまいって・・・
ところが約20年後このユニットがいきなり復活
どういう経緯か知りませんが93年の春先に深夜の「WOOD」というアンプラグド・ブームに乗っかった番組でビージーズの楽曲を披露。
単なる一過性のムリヤリ組まされたユニットでは無かったようです、再編時の音楽的内容も高い。
フジテレビ WOOD
・ニューヨーク炭鉱の悲劇
・傷心の日々
・ホリディ
・メロディフェア
・若葉のころ
シローの転落はここから始まった
ジュリーのあと13年も「ルックルック」の司会を
って
\(^o^)/また大ウソ\(^o^)/
亜矢子、沢田亜矢子さん(笑)
今日は3年ぶりに三上寛さんのライブ。
三上さんは人生で最も影響を受けたシンガーの1人、それでも3年ぶりなんだよね。
ジュリーばかりお金と時間使ってらんないよ、みんな残り時間は少ないんだから・・・
それより三上さんの方がジュリーより若く見えるって、何処で逆転したのさ(笑)
高知のアニキ・・・
アニキの部屋
アニキのジュリーライブラリー
男に土下座されたジュリー(笑)
アニキはレイヤー系(コスプレ)なの?
アニキ、ファンやめてないと思うけどネットの中にいるのかな?
経験から言わせてもらうけどネットで情報発信してない人の方がスゴイ人が居るんだよね。
いつもこんな後追いの自分がどうしてって思うよ、もっとリアル世代がテレビやラジオ出演の突っ込んだサイトやブログ作ってくれればこんなブログ最初からやんないよ。
ズモモモモ・・・とオーラ漂うハーケンサムライ
ここで何問目か忘れた、ジュリークイズ
Q・「サムライ」におけるハーケンクロイツへの批判はあの衣装でジュリーがTVで歌いまくったからである。
これは簡単そうだ、さてさて正解は○か×か
・・・・・・
そりゃあマルだ
ブブブーッ
「歌いまくって」はいないので正解はバツ
「サムライ」の歌い始めは78年正月明け、最初は布系衣装でハーケンクロイツの登場は1月の後半から。
2月初めすぎぐらいには早くもバッテンに変わります、私の知る限り畳の「夜ヒット」、「ベストテン」初ランク回、「広告大賞」、「ヤンヤン歌うスタジオ」あとは持ってないのや見逃してるのを加えたとしてもせいぜい多くてプラス3つあるか無いか程度と思います。
これは78年1月~2月のテレビ出演情報と実際の映像を時系列に見比べても明らか、5~6回じゃないかな?
かなり早い段階でNGになったようで色々な方面から批判があったみたいですが、最も影響力があったのは畳の「夜ヒット」では。
よりによって裏番組がマズすぎたねアリャ怒られるわ・・・興味のある方は新聞の78年1月縮刷版をご覧あれ、畳の「夜ヒット」の裏の東京12チャンネルが問題の番組です。
すぐ×に変更
ちなみに帽子の「サムライ」も希少で3~4回くらいしかないんじゃない?
ジュリーから見えた武道館想像図
言われなきゃ誰だかもわからないジュリーの吹き替え
持ってても2度も3度も見ないし単なるジュリー「コレクター」アイテムそのもの
74年「レコ大速報」のさわださん
チラリとも見たことない「速報」って77年の奴なんだよね・・・
えぇ~冬は3日に1度・・・
話題の某ファンさんの著書、今日たまたま「ディスクウニヨン」で見かけたんでパラパラしました。
amzonレビュー評が低いのでちょっとどうなのよと・・・
う~んなるほどね、自分のフェイバリットでたとえればジェームス・ブラウンやマイルス・デイビスの研究本を出したとして考えましょう。
ほぼ半分以上が彼等の晩年にあたる活動時期で埋め尽くされる研究本って、ありえないんです。
タイトルは出版社が決めたのでは?と想像します、ちょっと違うんじゃないかなと。
タイトル変えて出した方がまだ素直に読んでみようかなと思いました。
ビンボー人なんで価格を考慮するとすぐ購入する気には正直なれませんでした、ごめんなさい。
で、「ウニヨン」で280円で買ったジャクソン・ブラウンの77年「孤独なランナー」。
”通常のライブ・アルバムとは趣が異なり、ステージでのパフォーマンスは勿論のこと、ホテルやバスの中など、ツアーの様々な場所での演奏が収録されている。収録曲もすべて新曲とカヴァー曲で構成されている。” (「孤独なランナー」 Wikiより)
コレってコンセプトがジュリーのアルバム「BAD TUNING」にソックリ。
「BAD TUNING」も大阪でのライブやホテルの一室やスタジオ、様々な場所で録音されてますね。
79年の「ゴールデンアロー賞」
このジュリー好き
横スライド式のステージでズルっとよろけるジュリー
その後もステージは止まらず
怖がるこのジュリーも好き
テレ朝さん、コレ流した方がウケるよ(笑)
明日でおわりなので結論から言うと・・・
”ロックである限り、60年代70年代に生まれたものを超えることは絶対にないから。
僕にとっては当時のものをもっと深く知ることの方が重要で、別に懐古主義で言うんじゃなくて。
どのような表現手段でもそれが1番力を持つ時期っていうのがあるんだよね。
時代状況があって初めてその表現手段が生まれるわけだから。
ロックにおいてはそれが60年代から70年代にかけて”
コレ埼玉をベースに活動したイベンター、ウラワロックンロールセンターの高沢正樹氏の言葉。
私はそっくりそのままジュリーに対して同じように感じます。
2000年代以降のジュリーを追い続けるよりも60~80年代、せいぜい90年代ぐらいまでのジュリー。
この時代を深く深く掘り下げる方が私にとって「沢田研二」というアーティストを知る行為なのです・・・・
明日で本ブログも閉店ですが、今後も過去のジュリーに対する興味が果てることは無いでしょう。
字数制限でもう書けないんだけど、間違い・抜け・とっくに気がついてても修正してる余裕がありません。
UP後入手出来た映像も大量にあり、抜けてる物でもすでに入手済みの物・静止画でも事情によりお見せ出来ない物多々あります、あしからず。
それでは
さよなら
さよなら・・・
さ~よなら~
またいつの日か