'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●80年4月5日(土)~4月11日(金)

2012年12月22日 | 80年のじゅりー


 



今週の表紙は婚約が発表された直後で、超話題の百恵&友和映画のTV放送から。

この週も情報誌掲載のジュリー出演番組は2つだけ、もうじき新曲「恋のバッドチューニング」が発売になる頃で、まだ本格的新曲のプロモーションにもやや早く、「TOKIO」もピークを過ぎたといった所で、ジュリーは3月からスタートしたスプリングツアーに力を注いでたのかと思います、もうじきあの事件が(汗)

オールウェイズを率いて初の80年のスプリングツアー、ある所には音源も残ってるんでしょうがどんな内容だったか聴いたことはありません。
ファンサイトなどのセットリストによると、発売前の「恋のバッドチューニング」やそのB面曲、オリジナルかカヴァーか判別不能なタイトル曲などが確認出来ます。
どうもここら辺の時代は現在みたいに1ツアー全て全国キッチリまったく同じ内容というワケではない感じで、基本線は同じながら日時により微妙な変化が色々な資料からも感じます。
特にビッグイベントになると完全にソレ専用のセットリストになってますね、今年の武道館なんかも正直なとこそんな感じで全面セットリストチェンジを期待したんですが、さすがにキビシかったか数曲のみでした・・・

ジュリーが舞台から転落~骨折した時にも後でテープを聴いたと話てるし、もっとマイナーなミュージシャンでも未発表テープというのは必ずあるもので、ましてジュリーとなればある年代以降は俗に言うサウンドボード音源とか、公式でも記録用か何かに録音されてると十分考えられます、ただ発売されることは今後もなさそうな感じでなんとも残念です。

ちなみに公式”以外”と言うのはズバリ、ある音源ではMC中にスピーカーからノイズが発生、そこにジュリーが「わかった、アレやろ、テープレコーダー!、持ち込んでるやろ」と鋭い突っ込みを入れてるのがあり、つまりはまぁそういうことです(笑)、本人も薄々ファンの不穏な動きはちゃんと気づいてるようです。



6日(日)TBS、朝7時半より「にんげんクローズアップ」という、コレまた渋~い番組に出演、早朝ジュリー。
この番組ネットで検索しても引っかかりませんでした、それ程ドマイナーな番組なのにありがたいことに現物映像があり、ビデオもあまり普及してない時代にこんな番組も逃さずジュリーファン恐るべし。
冒頭、2月の「全員集合」での「TOKIO」映像がしばらく流れ、「今朝のお客様は歌手の沢田研二さん・・・」日曜の朝らしいのどかなBGM、司会の入江徳郎との約10分ちょっとの短いトーク番組。
「TOKIO」衣装の話や「1等賞」という言葉のルーツなどが語られています、小学校の時に短距離走で1等賞を取った時に、なんとも気分が良かったとかで明快な良さがあるとのこと、その上が「特等賞」でこれは「レコード大賞」とかがそれに当たると語っています。

朝から激渋トーク番組に



ちょうどこのあたりの時期のラジオ番組に、「沢田研二のめっちゃくちゃ大入り1等賞」という冗談みたいな(?)番組もあったみたいですが、こちらも検索しても情報がサッパリ、ネットもまだまだ全てが知れるというワケではないです。
そのラジオ番組の中では「無名曲コーナー」というのがあり、B面曲やアルバムの名曲秘話がジュリー自身の言葉で語られ貴重です。
ファンに人気の高い、私自身大好きな名曲「四月の雪」についても番組内で語られ、ジュリー自身も”ファンに人気の高い”と話てて、公認の隠れ名曲です。
実はあの曲には元ネタがあり、それはズバリCSN&Yの「デ・ジャヴ」収録のニール・ヤングの有名な「ヘルプレス 」。
ジュリーはあの曲のコード進行Em→Dが大好きで、Em→Dのくり返しで曲を作りたいという明確な意図があり、そこに加瀬さんの「それだけじゃ飽きる」というアドバイスがありサビも作り出来上がったのがあの曲とのことで、4月に実際雪が降った事実とニール・ヤングへのオマージュなんですね。

 こういうラジオを録音したカセットなんかも、あるとこには山ほどありそうで貴重資料ながらも、ファンをやめた方などの押入れで眠ってたり、誰にも聴かれず処分され案外そんなもんなんでしょう(涙)

同日6日(日)、今週もまた東京12チャン「ヤンヤン歌うスタジオ」にも名前がありました。
そろそろ新曲「恋のバッドチューニング」が発売になる頃で歌唱曲が気になります、果たして「TOKIO」か?それとも新曲だったのか?ひょっとして歌はナシか?、80年初頭の「ヤンヤン」への出演ラッシュの謎は今後もちょっと解けそうにないです。

他にここだけのプチ情報としては、来年ジュリーと山瀬まみ以来17年ぶりに上演されるミュージカル「DORA」主演の森山未來と、もう1人の満島ひかり。
世代的に彼女は山瀬まみはともかくとして、前回の上演時の沢田なんて男の人はTVで見かけないし、誰?知らないだろうと絶対に思われてるかと、しかし実は8年ほど前に月~金で放送してた東京MXTVの、「ゼベック・オンライン」という番組で彼女はアシスタントを担当、以下チェッカーズの曲がBGMで流れクイズをしてる場面にて↓

司会「ひかりちゃんはチェッカーズ世代じゃないよね?」
ひかり「じゃないけど、私は結構昔のは知ってるんで・・」
ひかり「私はジュリー派です♪」
司会「それ、さらに15年くらい前じゃ(笑)」
ひかり「”勝手にしやがれ”がいいですね」
司会「かっこいいもんね」
ひかり「うん!」
司会「ひかりちゃん世代でジュリーが好きって初めて聞いた」

当時彼女は18歳くらい、どこで知ったのかは謎ながらこれはホントのホントの話、ちゃっかり証拠Vもあります、これを見てた時は突然”ジュリー”なんて言い出すから驚きました。
そうです彼女はジュリーを知ってるのです、来年のミュージカル「DORA」が身近に感じられればと思います、たぶん行かないけどCSかなにかで放送しないかな。

満島ひかりはジュリー派



えっ!、「なんでそんなもん録ってるんだ」って??、いや~各方面に色々と興味が(^^ゞ
これでも90年代アイドルポップスは専門分野、古い物ばかりずっと追ってるワケではないのです(笑)、彼女は元フォルダー~フォルダー5なんで知ってました。

90年代はアーティスト系が幅をきかせ、80年代に粗製乱造されずぎたアイドルは”冬の時代”、ただ音楽的には80年代から確実に進歩がまだあっておもしろかったんですが、現在はブームながら音楽的にはこの10年くらい進歩が止まった感があります。

70~83年というジュリー全盛期を支えたマネージャーの森本さんが、85年に独立して事務所を設立、90年代初頭に送り出した「Qlair(クレア)」というアイドルグループは、商業的には成功したとは言えず終わってしまいましたが、その音楽的レベルの高さ(歌唱力ではなく)とセンスはアイドルのマニアには今も定評があり名曲ぞろい。
パフュームが成功したのを見てるともし時代がもう少し違ってたらなと思うと残念、もちろんジュリーのマネージャーうんぬんは全然知らないで当時は聴いてたんですがね・・・
ある時、アイドルミニコミ誌の森本さんのインタビューを読んでてジュリーのマネージャーと知りビックリ!でした、当時は1日の休みもなく、地方公演時はファンが入ってこないように部屋前で寝ずの番など当たり前で、それも苦にもならずジュリーに全てを捧げた10数年だったそうです。

それにしても、あの時代のジュリーとずーっといっしょだったなんて、仕事とはいえうらやましい限り、変われる物なら変わりたい(笑)
 


 


早いものでもう10日以上が過ぎてしまいました、荻窪のジュリー応援演説見に行って来ました。

東京でも別の場所ならわざわざ行かなかったと思います、ただ荻窪となると元々産まれも育ちもおとなりの区だし、今も自転車でブラリ行けてしまう個人的テリトリー内の身近な場所なのです、これは見逃すワケにもいかないと感じました。
ごく日常的な景色の中で見るジュリーというのは貴重な体験でしたが、現場は場所によってはかなりの混乱状態で怒号も飛び交い身の危険も・・・(汗)

個人的には前日に西荻窪にジュリーが下見しに来たというのも結構驚き、たださすがに身近に住んでないと位置感覚や街の雰囲気までは中々ここら辺は伝わらないと思います。
ジュリーが立ってたのはgoogleストリートビューで、URLだいたいこの辺り↓

https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=35.704783,139.621199&spn=0.006055,0.011362&t=m&z=17&brcurrent=3,0x6018edf0a01ec801:0x1e55395a7bfaf1ae,1&layer=c&cbll=35.704845,139.620961&panoid=05EjMAw6qjcHrflIuJMzOg&cbp=12,225.92,,0,0.68

ずいぶん前に撮影したのかちょっと今とは違っちゃってます、グルッと画面を回すと街の雰囲気が少しは伝わるかな??

西荻窪のとなりの吉祥寺などは最近もコンサートやってるし、荻窪も吉祥寺もかなり大きな街です。
その中間の西荻窪は普通の小さな街でちょっと雰囲気が違って、ジュリーとあの西荻窪という街がどうにも違和感がバリバリ、西荻駅前に選挙演説を聞き入るジュリーの姿があったという事実がとても想像出来ません。
年を重ねると何かが変わるのでしょうか、ここら辺は自分自身も同じ年齢になってみないとわからない領域かもしれません、私は昔に比べると家に物が増えるのがなぜかイヤになりました(笑)

 

 

 

 

 


●80年3月29日(土)~4月4日(金)

2012年12月09日 | 80年のじゅりー

 


 

この週の表紙、”どこの外人だ??”としばらく完全に「外人」と認識してて、よくよく見たらヒゲをはやした水谷豊(笑)

4月に入り、そろそろ「TOKIO」パートも終りかと思いきや、まだまだジュリーのTV出演は続きます。
しかし、「TOKIO」という曲は現在も「OPENHOUSE」のCMソングに替え歌で使われて、現役バリバリです。


さて、3月29日(土)夜7時半より日テレ「土曜スペシャル」、コレの内容がわからず何をやったかと思えば、他ページにありました。
「第3回日本アカデミー賞授賞式」の模様を京王プラザホテルより生中継、総合司会が山城新伍、その主演男優賞に緒形拳、若山富三郎、渥美清、松田優作らのそうそうたる面々とジュリーはノミネート、コレは初めて知りました。
「日本アカデミー賞」公式サイトのデータとも一致して放送日も間違いないと考えられます、「太陽を盗んだ男は」作品賞、ほかに監督賞、撮影賞にも長谷川監督らの名前がありますが、金星は助演男優賞の最優秀賞を受賞した文太さんだったようです。
まぁ、「太陽を盗んだ」も何度見てもおもしろいけど、松田優作の「蘇える金狼」も何度見ても負けじとおもしろいですからねぇ、最優秀主演男優賞の壁はさすがに厚かったか?、特に「蘇える金狼」の↓このシーンの演技は圧巻。

 

 



現在ビデオテープを地味に処分中で、中身がジュリーとかではなく何でもかんでもムダに録画してたから単にじゃまでじゃまで・・・
こないだ20年くらい前の「ゴールデンアロー賞」が出てきて、20年と言っても私くらいになると感覚がもう、つい最近( ̄▽ ̄)

そしたら過去の受賞者が写真のみでVTRが出てくるのが82年分からでした、ジュリーが受賞した79年のVTRは残ってないのか?

と言うことでこの「日本アカデミー賞」はないので、その前年放送の「ゴールデンアロー賞」を紹介、この時のジュリーもの凄いオーラを放ってます。



 


30日(日)、忘れた頃にまたしても東京12チャンネル「ヤンヤン歌うスタジオ」にジュリーの名前が、情報サイトにも「秀樹・ジュリーが熱狂選抜高校野球大会」山口百恵、川崎麻世、渋谷哲平、岩崎宏美ほか、とあります。

今度は4月に入り3日(木)夜7時半より、来ました!NHKの「脱線問答」、こういう番組ツボです(笑)
こ、こんなのにも出てたのか・・・(汗)、ウィキによると完全なクイズ番組でVTRも数回分しか残ってないとあります、さすがに歌のコーナーはなさそうです、こういのもおそらく2度と見れないジュリー映像でしょう、う~ん見たい・・・

ジュリー関連以外のここら辺で見たい番組が、6日テレ朝夜11時20分からの「ジャム・ジャム80’」と、13日東京12チャン夜10時半からの「サウンズクリエーション」に登場のフォークシンガーで知られる三上寛、映画「戦場のメリークリスマス」にも出てデビッド・ボウイと共演してます。

 

三上寛も私のフェイバリットシンガーの1人、この80年前後が洗練されたロック&ニューミユージックの並に押され、時代遅れの烙印を押されたマイナーフォーク系の人達は1番しんどく、三上寛も歌手廃業も考えてたとか、そんな時期にもそれなりにTV出演があったんですね。


「サウンズクリエーション」の方には、今度リリースされたジュリーも参加の白井良明の作品「PORTRAIT OF A LEGEND 1972~2012」に、同じく参加してる斉藤哲夫の名前もありました。
実際にこのちょうど10年後に三上寛と斉藤哲夫のジョイントライブ生で私見ました、その時のお客さんわずか6人(笑)
斉藤哲夫はこのTV出演後の、6月に出したシングル「いまのキミはピカピカに光って」がCMソングで大ヒット、作詞は「TOKIO」と同じ糸井重里。

にもかかわらずヒットしたことに”これは自分の音楽でない”とかなり苦悩したらしくて、第2弾的なシングルの話も断ったとか。
同じ作詞家で同じ年に両方がヒットし、売らんがためにパラシュートを背負ったジュリー(笑)に対し、売れたことに苦悩したシンガーが1方にはいて、今年白井良明の作品で両者が参加してるのは考えてみるとこれは深いです。
今度、吉田拓郎×ジュリー対談が実現したらしく来年の放送が楽しみですが、その吉田拓郎もかつて斉藤哲夫の初期の名曲「されど私の人生は」を自分のレパートリーのようにしてその才能を認めていました、結局は”売れた”音楽やミュージシャンがすべてではありません。

 

 

 

 

この時期には第3次怪獣ブームというのもひそかにあり、2日TBS夜7時から「ウルトラマン80’」がスタート。

これは当時怪獣好きの小学生だったのでリアルで見たと思います、子供心に新しいウルトラマン=ニセモノって感じがしたのをよくおぼえてて、この頃記憶では1週間に朝と夕方と土曜だけとか、3回くらいウルトラシリーズの再放送がやってました。
特に忘れられないのがモノクロの「ウルトラQ」が早朝5時台にあり、どんなのか見たくて早起きしてまだ暗い中1人見たら、音楽やモノクロの雰囲気が恐ろしく怖くトラウマ、今もその時の感じハッキリ覚えてるくらい強烈な記憶、1人で夜中アレは見れません(笑)、同じ経験した人は多いでしょうアレは・・・・・

 


そういえばウルトラシリーズの脚本を書いてた市川森一は、いつだったかワイドショーでジュリーのことを”沢田のことはよく知ってるけど・・・”なんたらと弁護してました、アレなんの話題の時だったかな??


5日NHK夜8時からの竹下景子主演、松本清張シリーズ「天才画の女」、コレはこないだちょうどCSで見てた奴、なんとなく見てたらハマりました、同日の夜9時から日テレで名作ドラマ「池中玄太80キロ」の第1シリーズがスタート、前日4日TBS夜8時から大ヒットした「金八」に変わり「1年B組新八先生」や、続いて9時から”赤いシリーズ”最末期の広岡瞬・浜田朱里の「赤い魂」も始まってます。
ドラマもこの時代の方がおもしろかったのか?、今の方がおもしろいのか??それはともかくフィルムドラマが全くなくなってしまったのは残念、地デジとか高画質とかを越えた良さがフィルムドラマには確かにありました。

 

他、記事に”春。注目の新人をチェックする”という特集があり、何人かの女性タレントを紹介、その中で「うわ、この人誰?メッチャキレイ」と思ったのが星野真弓という人。

調べたら現・寺尾聡の奥様!、やっぱり収まるべきとこに収まってってました(^^ゞ、私世代はこの方全然知りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 


●80年3月22日(土)~3月28日(金)

2012年12月02日 | 80年のじゅりー

 

この号はTV欄が切り取れてない上に、タレントごとの出演番組が掲載されてるページのジュリーの部分の裏が切り取られて読み取り困難・・・

「オ」、「雨天中止」と文字があり、これは「オールスター」かな?と思い、別の出演者を見ると郷ひろみのとこに25日(火)夜8時からフジで「オールスター夢の球宴」とあったのでこれで間違いないでしょう、この2週くらい前の号の片隅に収録の告知が掲載されてます、収録は23日午前9時から西武球場でした。

この時期のジュリーの野球といえば有名なジュリーズVSヒロミーズ、77年の「夜ヒット」の新年初回(CSで以前再放送済み)に郷が歌う前にジュリーからスタジオに電話がかかってきて、「今度は勝ちますよ」などと話てる場面もあり、これはかなり歴史のある対決みたいです。
ちなみに80年当時のラジオの郷&沢田対談によると、勝敗はジュリーズの1勝3敗2引き分け、おそらくその後も数年は定期的に試合が行われたのでしょう。
ただし、「雨天中止」とあるのでこの日放送されなかった可能性もないとは言えないのと、単に有名タレントさんがチームを組んでの紅白対決の時もあったらしく、この時の放送がジュリーズVSヒロミーズだったとは限りません。

78年「ベストトテン」内
ジュリーズVSヒロミーズ と 同じ頃の赤組VS白組での対決

 



ほかに26日(水)夜8時から東京12チャン、「三波伸介の凸凹大学校」に名前があります。
この番組の情報サイトによるとこの回は名場面集、ジュリーの名前は78、9年にありました、なのでこの時の放送はVTRのみの可能性が高いのでは?、こんな番組でのジュリーも2度と見れないんだろうなぁ・・・

 


 



翌27日(木)、今週の「ザ・ベストテン」は4位にランクイン、これが「TOKIO」での最後のベストテン入りとなってしまいました。
が・・・この最後がスゴイ!、今度はまさかの”商店街TOKIO”\(^o^)/
九州の久留米、1番街商店街からの中継でスプリングツアーが始まり生放送直前までライブだったらしく、ズボンがやぶれて開演時間が20分遅れたと話してます(笑)
曲のイントロがスタート、ここで何やらジュリーが指さし首を横に振りダメ出し、何かトラブルが起きたのか?
歌いながら手でもっと上げろと指示出し緊張が走ります、その後は何事もなかったようにいつもの「TOKIO」ですが、一般見物人が大騒ぎ、必死に混乱を抑えるスタッフ、ある人は窓から顔を出しある人は肩車を、スタジオ映像以上に時代の空気をリアルに伝えています(この模様は01年放送の「うたばん」内でも1部再放送)。


何やら指差しと 熱狂の商店街




1方、この時期の日本ロック史的に目を向けると、3月21日に頭脳警察のPANTAひきいる”PANTA&HAL"の2NDアルバム、「1980X」が発売、プロデューサーは鈴木慶一。
こちらも「TOKIO」同様”東京”を舞台にした作品で、当時”東京”というのが時代のキーワード。
”東京”をテーマにした楽曲やアルバムが多く出され、「ミュージック・マガジン」80年1月号のディレクター木崎純久のインタビューによるとジュリーの「TOKIO」製作中に、遠藤賢司の「東京ワッショイ」をTVで見て”これのもっとポップな物を”とインスパイアされた部分もあったと語られています、この作品には桑田佳祐あたりも”予想外の所から衝撃を受けた”といった内容を確か何かのインタビューで話ていたのを読んだ記憶があります。








実はPANTAはジュリーと並ぶ私のフェイバリットの1人、結構ジュリーとPANTA好きは多く知人にも何人かいて、ジュリー×PANTAを語ると、長~くなるのでまたいずれ(^^)

そんなワケでこないだ横浜でPANTAと、あの元CoCoLoの名ギタリスト石間秀機の共演を見てきました、ナマで石間さんのプレイを見るのは4年前のフラワー・トラヴェリン・バンドの再結成日比谷野音以来2度目。
PANTAとは頭脳警察時代から40年来の関係で、本格的な共演は02年の「波紋の上の球体」に参加した時以来ひさびさ、あの独特なフレーズと音色は68歳の今も健在。
ただ”昔のことは忘れるのが得意”というようなことを語ってたのでCoCoLo時代のことなんか、もうスッカリ忘れてしまってるかも(笑)
それにしても石間さん、PANTAがのせてたのもあるけど実によくしゃべるしゃべる、”純愛の音”までギターで表現してくれて寡黙なイメージと全然違っておもしろい方です。


 

 

 

 


さて、身内も含め残念な訃報続きですが、今度は森光子さんまでが亡くなられてしまいました・・・
「ビッグショー」でのジュリーとの共演は語りつくされたと思うので、ここでは77年放送の「花のリサイタル」という超マニアックな番組を紹介、ネットで調べても出てこないので、これは「3時のあなた」内の1コーナーだった可能性が高いかもしれません。


77年「花のリサイタル」


汗を書く前の男はどこか淋しそうにみえます、でも汗をかいた後の男は美しくたくましく見えます
沢田研二さん、あなたは寂しさと美しさと、たくましさの似合う男にいつの間にか変わりました


こんな感じで冒頭味わい深いナレーションを担当、その後「時の過ぎゆくままに」と「憎みきれない」を歌い・・・
いや歌ったみたいですが、トホホなことに見れるのはこのMCのとこだけ、あとはイントロでカット( ̄▽ ̄)
私くらいのファンが持ってるのは、まぁそんなもんです(笑)

79年の森さん主演のドラマ「熱愛一家・LOVE」にもゲスト出演してるらしいですね、ジュリー出演ドラマのほとんどが見れた中でこれは見たことがなく、この前の追悼番組で番組の1部(西田敏行ゲストの回)が流れ、思わぬ形で番組の雰囲気だけ見る事が出来ました。