'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●80年1月19日(土)~1月25日(金)

2012年02月27日 | 80年のじゅりー





この週もテレビ欄はないのでタレントごとの情報ページから、正式名称は「VIVA!アイドル キミの好きなスター 今週の出演番組はコレ!!」というコーナーで、タイトルそのものズバリ。



今週のジュリー情報も20日(日)東京12チャン「ヤンヤン歌うスタジオ」、なぜか毎週ご出演、他にこの週はヒデキ、岩崎宏美、レイジー、榊原郁恵らが出てた模様。



同日のの日曜日、夕方5時半よりTBS「ヤングOH!OH!」、これも当時は新曲出すとほぼ毎度のように出てた形跡があり、私世代では放送してた記憶も全然なく後で知った番組。

この回はおそらく例のピンクのスーツ衣装で歌う「ハードボイルド80’」の回でしょう、この時の「TOKIO」は見たことがありません。

だいたい2~3曲を毎回歌ってるからおそらく「TOKIO」も歌ったのではと考えられますが・・・、約8分に渡る未レコード化曲「ハードボイルド80’」は貴重な映像、それともバカに長いので「TOKIO」はやらなかったとか?
ジョー・コッカーの「ギブ・ピース・ア・チャンス」にも雰囲気が似てて、ジュリーはレオン・ラッセルやニール・ヤングあたりもかなり好きだったとか、80年代初頭くらいまではライブなどで歌われた曲でカバーかオリジナルか、見分けのつかない曲が多々あり。

「ハードボイルド80’」

 


さらに、この週は翌21日月曜~25日金曜まで、お昼の1時にテレ朝で「シャボン玉プレゼント」に出演、こうなるとほぼ毎日がジュリー!!\(^o^)/

この映像は個人的に大好きなジュリー映像の1つ、「危険なふたり」「憎みきれない」「勝手に」といったおなじみのヒット曲再演物でも、ヒットした年に歌ったオリジナルの物の方が絶対いいのが、80年Verと言った感じで又新鮮な魅力を感じる。

他に「捨てぜりふ」「ノックターン」「ミュータント」「夢を語れる相手がいれば」、5日間で全9曲、共演に明石家さんまや島田神助なども出ていて、みなさん本当に古くから活躍されています。




夢を語れる相手がいれば



それと、これが10年近く共にした「井上堯之バンド」とのTVでの、おそらくほとんど最後の出演でしょう。
24日の日劇がラストなのでこれは録画と考えられますが、「憎みきれない」の堯之さんとのからみもこれが最後だったのかぁ・・・と思うと感慨深い。

76、77、78年のも含めぜひともマスター高画質で見てみたい映像の1つ、が・・・現実こういうお昼の帯番組は80年代の初頭あたりだと、マスターが局に残ってるかはビミョーなとこで、おそらくはもう残ってなさそう(´д`)

 



他、24日木曜日、「ザ・ベストテン」にいよいよ「TOKIO」が初登場8位でランクイン!!

これはたぶん、TBSの屋上でおなじみのパラシュートで歌う映像。
ここら辺79年の暮れあたりの映像から続けて見てくと、その勢いに圧倒され思わず見てて熱くなり、とても30年以上昔の出来事には思えない、正直言って今の物よりも新しい感じさえもしてしまうのです。

「東京が空を飛ぶ、沢田研二が空を飛ぶ、パラシュートで1位を目指して、沢田研二さん初登場行ってみましょう!」のMCと共に曲が始まり、東京タワーや道路など、東京の街が時折映し出され圧倒的なインパクト。
「ベストテン」は生放送でこの屋上「TOKIO」も当然夜空、と・・・言うことは間違いがなければ日劇での井上バンドとのラストライブの直後、コレだったということか??、実はMC部分が途中からしかないのでそこら辺がわからない・・・

そう思ってたら、「TVガイド」誌の片隅にこの日劇ライブの告知があり、23日水曜が午後2時半と6時の2回公演で、問題の24日木曜日は2時半からの1回公演だけの記載がありました。

ひょっとして「ザ・ベストテン」の出演を事前に見通して夜公演を入れなかったのかもしれません、いずれにしてもライブ終了が夕方5時くらいとして、その後TBSに移動して9時からの生放送出演だったのでは??

井上バンド解散直後
まさかの屋上「TOKIO」

 

 


入場料がA席3900円、B席2800円、当時の120分ビデオテープの値段とだいたい同レベル、しかし現在のメジャーアーティストのチケット代とビデオテープ1本が同レベルと考えたら、6~7000円にもなるワケで(汗)、当時いかにビデオテープが高かったか、わかる感じがします。

 


話は変わり、前年の紅白の視聴率がココに来て掲載されていて、その数字がな、なんと77.0%!!
関西が62.6%という脅威の数字、「レコード大賞」は43.3%、「かくし芸」が48.6%。

もうみんなが見てたって感じ、実際我が家も確かに毎年「レコ大」「紅白」、そして千葉の田舎へ移動して「かくし芸」見て~お年玉もらうって流れでしたね(笑)、ただジュリーの存在は意識には全然ありませんでしたトホホ・・・



24日、夜7時半から日テレ「木曜スペシャル 追悼スーパースター引田天功」が放送、ここら辺の一連の大脱出物はリアルで毎回親とワーキャー言いながら見てました。

亡くなった時も話題になってたのをなんとなく憶えてるからコレ見たかも??、なんと79年の大晦日に亡くなってるんですねぇ。
いや確かにこの頃のテレビっておもしろかったな(笑)、今同じことやっても驚かないんだろうけど、みんなもっと素直な目でテレビを見てたというか・・・

で、井上バンドがコレでおしまいと思ったら、1つだけ番組名不明で「井上堯之バンド」とクレジットが出て一瞬バンドが映る「TOKIO」映像がありました。
MCがないからどの番組か判別出来ません、だいたい曲名のテロップやセットの雰囲気でわかったりしますが、たぶん今まで書き出した番組のどれかなんだろうなぁ・・・と、はてさて??


不明番組より

 

 

 

 





●80年1月12日(土)~1月18日(金)

2012年02月23日 | 80年のじゅりー

 


さて、前回書いた通り80年の号はテレビ欄自体が全部切られてない号が多く読み取れない部分も多いワケですが、後半に毎週掲載されているタレントごとの出演情報を見ればだいたい何に出たかはこれでわかるのです。
それをたよりになんとか読み取っていきたいと思います、他抜けてる号も多々あるものの、ザッと見たとこ80・81・82年のはだいたいそろってる感じ。

 



この週のジュリー情報はまず、12日土曜日の昼2時半からお正月の「新春スターかくし芸」の再放送、翌13日は昼1時15分からは日テレ「TVジョッキー」に出演。

確かに「TVジョッキー」の「TOKIO」の映像はアリ、あの見た感じ決して大きくは見えない(?)「TVジョッキー」のスタジオ内でもちゃんとパラシュートで歌っていますが、バンドがいないのと出だしがヘルメットかぶってるくらいで目立つポイントは特にナシ。

ジュリーはこの「TVジョッキー」~「スーパーJOCKY」は結構常連だったようで、古くは「コバルトの季節の中で」「さよならを言う気もない」「憎みきれないろくでなし」あたりから、最後は「muda」「ポラロイドGIRL」「世界はUP&FALL」の時期まで、新曲出すとほぼ毎曲1回は出てた感じ、司会の土居まさるが「沢田くん、ひさしぶりだねぇ」なんて言う回もあるので出てない曲もあると考えられます、特に70年代のは局にもマスターは全ては残ってないでしょう。

「TVジョッキー」より

 

 


夜にはまたまた、夜7時から「ヤンヤン歌うスタジオ」に出演、「ヤンヤン」の出演記録のあるサイトを見るとジュリーの名は掲載されていません。
どうもこの後も調べて行くと驚くことに80年の初頭3月くらいまで、ほぼ毎週(!)「ヤンヤン」に出演してたようで、この週にも続けて出てた可能性は高いのでは?



続いて15日火曜日、この日は昼の1時15分から日テレのトーク番組「おしゃれ」に出演。

この映像は持ってなくて以前動画サイトで見ました(※その後入手できました、ありがとうございます!)、長さは10分程度でカットされるのかと思ってたら、実際1時半までの実質10分程度の短い番組。
司会は久米宏と楠田枝里子、レポーターが岡田真澄で、この週は他におすぎとピーコ、中村メイコ、三橋達也など、こうして並んでみるとジュリーは若手な方ですね、戦後35年まだジュリーより上の世代が現役でたくさん活躍されてた時代。
ウィキには久米さんが「おしゃれ」の司会したのは80年4月~とアリ、ウィキもあまり信用出来ません、いや正直このブログも・・・(笑)
雑誌にもちゃんと載ってるし、80年1月のこの時点で確かに久米さんはもう「おしゃれ」に出てます。

しかし・・・、これがどんだけ前の出来事か実感出来る「成人の日特集」という記事、出演者の女性の顔ぶれ、片平なぎさ、榊原郁恵、大場久美子、荒木由美子の4人、今や大御所感たっぷりな彼女たちが正真正銘のハタチ!、メチャ若いOH!ギャル(笑)

 


他に月曜日の「ビッグベストテン」と木曜の「ザ・ベストテン」が毎週放送してるワケで、「ビッグベストテン」の方はとにかく資料がないのでサッパリ、「ベストテン」はまだこの週も出てないのは判明していますが。


情報欄の「メモ」には”17日までリサイタルのおけいこ、18日から24日まで日劇でリサイタルがありますヨ。”とありました。

これは「新春コンサート ジュリーの罠」という奴でしょう、セットリストを見るとアルバム「TOKIO」からの曲、ビートルズにモンキーズにタイガースの曲やカバーかオリジナルかよくわからない曲と、何かつかみ所のない選曲ですが、アンコールにある70年代のライブでは定番曲だった「キャンディ」なんかは、この後90年代まで歌われなかったのかな??

日劇、実はこの頃小学生ながら中へ入ったことがあって、79年のゴジラの全作品の再上映の時に親と見に行きました、かすかに中の感じ・雰囲気を憶えてる。
アレが79年だったんですねぇ、今の尺度で考えるとゴジラなぞ見にわざわざアレだけど、なにせ当時はビデオソフトがないから、こういうイベントが今の何倍も貴重で大きな話題になりました。

 


他に、この号の「TVガイド」にはぶち抜きで「TOKIO」の衣装の記事が掲載されて、衣装は「宇宙戦士」というコンセプトのこと、感電しないようにゴム製の下着を着用していることなど書かれていました。
後にこのゴムの下着は「絶対に感電しないから」と製作者に言われ着用をやめたとか、それでもたまにマイクに近づくとビリッとくる感じがあるだとか、そんな気がするとある番組内で語っていました。


 

 

 

 

 



●80年1月8日(火)~1月11日(金)

2012年02月14日 | 80年のじゅりー

 


8日あたりになると当時の私も冬休みが終り学校だったのか?、全然当時の記憶ナシ。
骨折してしばらく手を吊ってなきゃならなくて入院、退院後は長期に休んでた記憶もなくやっぱりギブスで登校したのかも。



残念ながら1部切り取られて、夜9時以降のNHK・日テレ・TBSは読めません、そんな中夜9時半からのフジ「ミュージック・フェア80’」は山口百恵と谷村新司が出演。

これは「LASTSONG」という曲を泣きながら歌う回かな?と、ちょっと調べたらそれは78年の回みたいで違うのか・・・
結構ジュリーのファンの中にもモモエは好意的に見てた方もいたようですね、ちなみに私も特に好きじゃないけどアナログシングル全部持ってます(^^)



同じく翌日のNHK・日テレ・TBSの夜6時~8時台とフジ・テレ朝・東京12チャンの9時~11時が切られて読めない。

実は1980年の号のほとんどがテレビ欄自体切り取られてこれ以後ないのが多い(´д`)
が・・・、ある方法でだいたい読み取れることが出来、その話はまた次にでも。



ここらで気になるのが夕方5時半から日テレでの71年のアニメ「さすらいの太陽」の再放送。

コレは当時レコードなんかほとんど買った記憶のない中、ムリして買ってもらった4枚組LP「TVまんが主題歌のあゆみ」というレコードで主題歌を聴いて知ってた。
番組自体は見たことなく再放送されたんで楽しみに見てた記憶があり、当時子供がレコード買うってのは大イベント、しかも4枚組でかなり親もシブシブ買ってくれて、もうボロボロながらもまだ持ってて、結構名盤かも?

「サリーちゃん」「巨人の星」「アタックNO1」「キャンディ・キャンディ」あたりはヘビロテで何度も見たから、いつ見たか年代の記憶がゴチャまぜ、これは1度きりしか見た記憶がないからおそらくこの時の記憶で間違いないでしょう。

今はDVDも出てるようですがう~ん懐かしい、30年ぶりに見たい!、動画サイトとかじゃなくちゃんとした奴でね。



その裏でジュリーも出た「飛べ!孫悟空」が再放送中。

コレも今や幻の作品とかでTBSに資料として3話程度しか現存せず、高木ブーが個人的に保存した映像をTBSに貸し出す場合も多いとウィキにはありました、確かに私世代だと夕方によくやってて見てた記憶がある。



10日は80年に入り、初の「ザ・ベストテン」が夜9時から放送、当時は新曲出してすぐにランクインという流れではないので、元日発売の「TOKIO」はまだランクインしてない模様。

ジワジワとランクが上がり3ヶ月くらいはベストテン内にいるというのが当時は普通、それが歌謡曲時代末期になるとパッと売れて1位になりパッと消える感じになり、ヒットチャートがつまらなくなった感じがします。

徳川幕府などがそうだったように時代の終わりにはトップがコロコロと変わるらしいですが、今の時代もまさかまさか・・・



11日、日テレで夜10時から「金曜娯楽館」にジュリーは出演、司会は山城新伍とおなじみ「夜ヒット」と掛け持ちの芳村真理。

 

曲は「TOKIO」、「ノックターン」、「夢を語れる相手がいれば」の3曲を披露、他にかまやつひろしとのトークや大阪フェスティバルホールからのコンサートの様子など完全にジュリー特集。

上空から「TOKIO」の電飾衣装で現れたり、ドーム状の大掛かりなセット、あんなハデハデなジュリーのライブも見て見たかった!

今は毎回シンプルすぎて淋しい、私が最初に見た頃はまだでもステージにそこそこ派手なセットもちゃんとありましたがね・・・、この模様は各局ワイドショーでも流れました、そういやジュリーは高いとこはダメでした、ムリしたのでしょう(^^ゞ
ニューウェーブな雰囲気の衣装での「ノックターン」、ジュリーの印象的な表情のドUPから始まる「夢を語れる相手がいれば」、後年「TOKIO」が「歌の大辞典」などで流れているのでマスターはまだ局に残ってるようです。

意外なとこではビジーフォーのモト冬樹がフサフサで出演(笑)、若い!


で・・・、見ててある事に気がついた、「夢を語れる相手がいれば」のテロップが「愛を語れる相手がいれば」って大間違いのまま放送されてますね、コレ。

フサフサの冬樹さん

 


夜8時からフジ「ビッグベストテン」もこの日放送、この日ジュリーが出たかはまったく不明。

裏が「太陽にほえろ」に「金八先生」、さらに全盛期の新日本「ワールドプロレスリング」が相手ではわずか5ヶ月での打ち切りも当然かなと。

確か1回分くらいどこかに「TOKIO」の映像があった気がしましたが、動画サイトで見たのかな?、いずれにしてもどの時の物かわかりません、ウィキによるとタモリがジュリーのかわりに出た時もあるとかで、はてさてどんな番組だったのやら・・・




 

 





●80年1月4日(金)~1月7日(月)

2012年02月08日 | 80年のじゅりー

 



正月三が日も終り、4日のこの日は昼12時からフジで「スター大激突!新春クイズ歌合戦」に出演。

他ヒデキ、桜田淳子、西田敏行、総合司会に高島忠夫とあるので、おそらく「クイズ ドレミファドン」的な内容の番組だったのか?

この年が毎年恒例の3回目だったらしく、これが90年代以降まで続いた「正月ドレミファドン」のルーツ番組でしょうか。
歌唱曲は当然「TOKIO」かと、もしかして高速道路をバックにした疾走感ある映像の奴かもしれません、歌い出しにおなじみ高島さんの名調子で「イントロウルトラクイズの前はジュリーの歌を聴いて舞い上がって下さい、トキオ!」とかぶり、「怪傑ジュリー」DVDとは別の「TOKIO」映像がアリ。



高速をバックに



夜8時からの「3年B組金八先生」、サブタイトルに「母に捧げるバラード」という回。

確か場面設定がお正月で、金八先生が生徒に連れられ”海援隊”のコンサートを見に行き、楽屋で金八先生と武田鉄矢が話すという有名な回の本放送ではないかな?

 


夜10時から日テレで「金曜娯楽館」、この番組はリアルで見た記憶は全然ない、思ってたイメージより遅い時間帯の放送だったんですねぇ。

80年らしく「ニューウェーブ特集」、出演がプラスチックス、近田春夫&BEEF、ARB、リザード、これはもしかして以前動画サイトで見た映像かもしれません、同じメンツでした。
確かプラスチックスのごく初期には元PYGの大口広司がドラムを叩いてたと聞いたような?、リザードのモモヨは前身の「紅蜥蜴」というバンドの頃、タイガースのライブ盤の歓声を自分達のテープに重ねてテレビ局に売り込んだという話もあります。

近田春夫はそのままこの番組のレギュラー陣なのか、後にジュリーが入院した時にレポートなどもしていました。
89年に近田春夫のソロ作「天然の美」、ハルヲフォン時代の「電撃的東京」など、初CD化再発売時に買ってよく聴きました、今思えばあの頃からわずか10年程度前の作品だったんだなぁと、若かったので今の10年前よりもっと遠い過去の作品かのように感じたものですがねぇ・・・

 


深夜1時からTBSで「2001年への旅」~繁栄か!滅亡か!21世紀への提言~という番組が!

まぁまだ20年以上も先の話だからって勝手な番組を・・・、もうこっちは2012年なんですがマンガのようなトンデモな未来でも見てたんでしょう(笑)
80年の人が2000年代来てビックリするのはケータイ、ネット、CD&DVD、コンビニの乱立などなど、結局は朝起きて学校や会社に行くワケで基本的なことは昔も今もそんなには変わってない感じがする。



5日、驚きは夕方4時から日テレで「激突!ツイストVSサザンオールスターズ」、しかも出演がなぜか菅原文太と大原麗子!

こんなもんが夕方に放送され、なんの注目マークもなくフツーに掲載されてるのがスゴイ。


私が見てた記憶あるのは「バトルフィーバーJ」、「ゼンダマン」、「まんが日本昔ばなし」、「俺はあばれはっちゃく」、このあたりかな(笑)

あと夜中11時45分からの「超人ハルク」コレは確かによくフトンひいて寝ながら見てた、完全に子供目線。

6日で見たいのが東京12チャンの夕方4時半からの「ステレオ音楽館SP」。

出演RCサクセション、アナーキー、岡林信康、泉谷しげる、近田春夫他、RCもまだ久保講堂の「ラプソティー」とか出る前の大きくブレイクする直前くらい?

チャボも古井戸解散ライブより1ヶ月ちょいしか経ってないない頃でまさにこれから、裏のTBS「ザ・コンサート」はアリス、前日も井上陽水のライブ特番が放送されるなど、この数日に放送された番組だけでも確実にニューミュージック系がTV界に徐々に侵食してきてるのがわかる。



夜7時からの東京12チャンネル「ヤンヤン歌うスタジオ」にジュリー登場、「ヤンヤン」の「TOKIO」が手元にあるだけでも確か3種くらいあるので日付がハッキリしません。

実際は3回どころかジュリーはどうも「ヤンヤン」には当時相当な数出てたようで、個人的に「夜ヒット」「ベストテン」は以前に比べるとだいぶ空白も埋まったので、「全員集合」そしてこの「ヤンヤン」でのジュリー(特に70年代)というのが未知の部分が多くとても気になる。



さらに驚きは続いて夜8時からの、同じく東京12チャンの「日曜ビッグスペシャル 新春スター水泳競技大会」にも、なんとまたジュリーの名前が!

”ジュリーは水泳大会には出てない”という??どこからかの不確かな定説を覆す出演情報、他に郷ひろみ、桜田淳子、あいざき進也、大滝裕子、松本ちえこ他の2時間、しかも司会はピンクレディー、ジュリー泳いだのかな?まさかプールサイドで「TOKIO」とか(笑)、内容はこれもまったく不明。

 



翌7日、お昼の1時15分から「徹子の部屋」にジュリーはトレーナー姿で2回目の出演。

この映像は時刻テロップ入りとテロップなしで別々の方が録画と思われるのが我が家のだけでも2ソースアリ、前日の「水泳大会」も録画されてる方もおそらくいらっしゃるでしょう、うわ~見たい。



地味なトレーナーで・・・


裏の日テレの同じくトーク番組「おしゃれ」は山口百恵、こんな両大スターがお昼でもごくフツーに出てたというそんな時代。


夜10時からはおなじみ「夜のヒットスタジオ」、解説不要のヘルメット姿での「夜ヒット」の「TOKIO」の初回放送、00年代に1度誤って再放送もされたものの、共演のクリスタルキングのせいかその後封印されてた映像も昨年のDVD化により解禁されました。

が・・・、番組全体カットのない”間違って放送された版”も貴重、00年からCSフジは契約してジュリーと関係なく毎回見てたのに、これは全然知りませんでした。
そもそもジュリーがヘソまげて最初から封印なんかせずOKしてればとっくにかなりの回は再放送してたという(笑)

 

歌のあとの一瞬映る腰のあたりを押さえてかなりキレ気味の表情で何か話してる場面、気になります、まだパラシュートも不慣れで痛かったとか??

最後の最後のスポンサーテロップの後は例のトランシーバーでなにやらおどけて話してるのでホッとさせられるけど。
DVD版はオープニングトークは途中でカット、七草粥の七草の話や「250万の「TOKIO」の衣装」という順さんの言葉に「全部ひっくるめて」とジュリー、「水の中に入ったら大変」とかいう真理さん、「死んだら運が悪かった」とジュリー、未収録場面としてそんな感じのやり取りがあります。

 




裏の日テレのドラマ「翔んでますえ」は主演が酒井和歌子、テレ朝「女のそろばん」は新珠三千代、雰囲気からして、その後の”トレンディドラマ”なぞまだまだ遠い古風なドラマ(見てないけど)。

TBSは映画「子育てごっこ」、こちらも加藤剛、栗原小巻と出演者からしても”昭和”な感じ。

 

深夜はどの局も最大深夜2時までには全番組が終了、番組も最後は時代劇やゴルフに「キイハンター」の再放送、この日も実にこの時代の深夜番組らしい終わり方をしていて、子供心にそういや夜中ってそんなだったなぁと・・・

 

 

 

 

 






●80年1月1日(火)~1月3日(木)

2012年02月05日 | 80年のじゅりー
いよいよ時代は1980年代の幕開け、テクノだ!ニューウェーブだ!!、ニューメディア時代到来とかナウイとかシティボーイとかトーキョーシティとか死語が浮かんできそう(笑)

さっそく元日の午前10時にTBS「新春オールスター紅白なんでも初挑戦」にジュリーの名前がありました、他に植木等、山口百恵、サブちゃん、郷ひろみなどで司会が玉置宏。
玉置さんは91年のBS25時間スペシャルの初日昼間の部の司会もしてましたが、後追い世代としてはアレを最初見た時はジュリーと玉置宏ってなんかエッ??って違和感を感じてしまいました。
たぶん演歌のイメージがあったんでしょう、後になってから色々見てるとタイガース時代からかなりジュリーとは各種番組で接点があったんですねぇ、「ロッテ歌のアルバム」とか・・・、さすが”歌謡界の生き字引”などと呼ばれてただけの大物司会者、すみません。

同じくTBSで昼12時より「おめでとうレコード大賞」、これに出演者の名前の記載はありませんが、この番組の81年・79年・78年と資料があるので当然この年にも出たと思われ、79年は「LOVE」、81年は「ダバダ」なので前年ノミネート曲の「カサブランカ・ダンディ」を歌ったのはまず間違いないのではないでしょうか?

夕方5時05分からは東京12チャンで「爆笑ヤンヤン時代劇」にも名前があります。
これも内容不明、時代劇セットをバックに侍姿で「LOVE」を歌う映像が残っているので、なんかそんな雰囲気で「TOKIO」か「カサブランカ」を歌ったんじゃないかなぁ??などと勝手に想像(笑)、どうも毎年新年1発目は時代劇風「ヤンヤン」だったみたいです。

「ヤンヤン時代劇」??


7時からはフジでおなじみ「80’新春かくし芸大会」、ジュリーは「風神大太鼓」と「熱中警察」と「ロッキーⅡ」で出演、他にスタジオゲストでいたかもしれません。
動画サイトで見た方も多いと思います、リングへ乱入しての「ダーリング」の映像、アレは78年ではなくこの時の「ロッキーⅡ」の映像でボクサー役は前川清、「太鼓」はレイジー、狩人、あいざき進也らと、「熱中警察」は郷ひろみ、清水健太郎、アグネス・ラムらといかにも「かくし芸」的な内容のドラマ。

「熱中警察」


翌2日も朝9時から「恒例新春オールスタースーパー家族歌合戦」に出演、10時台の時刻テロップが入るので、和田アキ子、岩崎宏美らとのナイフの使い方がどうこう・・というコントの奴で間違いないでしょう、司会も土居まさるで一致します、この時の歌唱曲は「TOKIO」。
しかも「レッツゴーヤング」での貴重なあの人体模型の衣装Ver、この2回しか私はあの衣装の「TOKIO」映像は見たことがないです、歌い方は「トーキーオッ」ではなく「トーキーオー」と微妙に語尾を伸ばすような歌い方で、これは79年11月の「レッツゴーヤング」や79年のカセットのみ発売の「Julie ロックン・ツアー ’79」でも同じ歌い方をしていたので、かなり初期の「TOKIO」映像の1つと考えられます。

初期の「TOKIO」


夜には日テレでも「80’おめでとう日本テレビ番組対抗かくし芸大会」なんてのがあったんですねぇ、ただこっちにはジュリー出てません。

3日はフジで夜7時から「さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち」、当然エンディングにはジュリーの「ヤマトより愛をこめて」も流れたんでしょう、そろそろ「ヤマト」もクライマックスあたりにさしかかる9時05分からはTBSで話題のドラマ「源氏物語」
今では映画というのは有名作は大方がソフト化され最も入手しやすい映像になってますが、当時はビデオソフトもなく初期はかなり高価でしたので映画のTV放送は大変貴重で、この「ヤマト」でのジュリーの歌部分もファンとしては捨てがたく、どっちを録画しようかなぁーとかなり迷ったのではないかな?
今はどちらも本編はDVDが出て容易に見れるとはいえ、「源氏物語」の番組宣伝CMなんかは当時物ならではで貴重です。



「源氏」CM


それから不思議なのは、この「源氏物語」はTBSにかかわらず、「ドリフ大爆笑」や「ヤンヤン」でもコントのネタに使われ、「夜ヒット」や他局で「源氏物語撮影快調!」とか宣伝されてたり、こんなのも今ではどーしてなの??って感じします。
11時55分で「源氏」は終了、その後「お天気メモ」~「JNNニュース」、~「キックボクシング」~謎の映画「殺人者の青春」(「青春の殺人者」でなく)で深夜2時半でバーコード、ザーッ、この時代の正統派深夜番組の雰囲気そのもの、ニュースなんかも今と違い堅苦しいアナが質素なセットで淡々と読み上げるだけのなんとも地味な物、深夜のCMがコレまた独特で・・・本当の真夜中というのが当時は確かにありました。
ようやく近所に「サンチェーン」という24時間営業が1店舗出来たのがこの頃だったと思います、近所と言っても子供の足で軽く徒歩20分以上、店頭の怪獣消しゴムのガチャガチャをよく利用してましたね(笑)

他に見たい番組は夕方5時からのテレ朝「ビッグスペシャル80’」吉田拓郎・小室等・西岡たかしオンTV、拓郎&小室はわかるけどそこへ”五つの赤い風船”の西岡たかしというのも、このテクノ&ニューウェーブな時代に妙な組み合わせ・・・
拓郎&小室とジュリーと言えば72年にラジオ「たくろうの気ままな世界」で3者は共演、”沢田研二ラジオコンサート”と題しスタジオライブをやったことがあり、「死んでもいい」や「不良時代」などを歌い、拓郎「今度来ますねミック・ジャガー、行きますか?」、ジュリー「いきます、いきます、絶対行きます」などとのやり取りにリアルに時代を感じます、ご存知のようにこなかったワケですが。

しかし私が実際当時確実に見てたのは6時半からの「80’お正月だよ!ドラえもん」でしょう、この前年4月から今も続くテレ朝での「ドラえもん」が月~土の6時50分から10分の帯番組でスタート、”おまえと出かけると6時50分までに「ドラえもん」のせいで帰らなくてはならない!(怒)”と親にしかられてたほど好きでした。
親戚の家へ行く時も「ドラえもん」用に小型TV持ち運んでたくらいです、フロ場でもよく見たなぁ6時50分の「ドラえもん」、しかもそのTVまだ押入れにあるし(笑)
今ならタイマーでビデオでもハードディスクでもなんでもアリ、当時は親にもビデオを買ってTVを録画するという概念すら希薄だった気がします、ちなみに79年当時のビデオ普及率はわずかたった2%とのデータもあります。




●79年12月29日(土)~12月31日(月)

2012年02月02日 | 79年のじゅりー
初回は80年の元旦から・・・と行きたい所ですが、特大号のため79年も最後の29・30・31日と3日間だけ掲載されてるので、まずは魅惑の1970年代最後の3日間から行きたいと思います。

しかし、この頃のTVはわずか3日間だけでも実に内容が濃い!、タイトル&出演者だけで見たい番組だらけ。

29日、ジュリーの出演記録はないものの目を引いたのは、夕方5時半フジでの「ザ・ポップ」(ゲスト)チャーの記載、コレは特別チャーのファンではないですがダビング物の当時録画の現物映像があります、ジョニー、ルイス&チャーでのわずか2曲ながらも、最後にマイクを倒しての凄まじい激演・まさにロック、こんなものが夕方フツーに放送されてたのかと驚き。

その裏で気になるのがテレ朝の「機動戦士ガンダム」、「ニュータイプ・シャリアブル」の回、「ガンダム」は再放送でブームに火がつきコレは正真正銘の本放送、アニメオタクでもないんですがガンダム世代なのでとても気になりました、この後もちょうどこの頃は小学校低学年だったので必然的にアニメ話はちょこちょこ出てきます、私の世代はみんなTVのアニメ&再放送で育ったようなもんなので(笑)

7時からは12チャンの「ミステリーゾーン」霊能力大実験、なんかこの番組よく見てた記憶あります、心霊写真やUFO、この時代はよくやってました、音楽がコワくてよくソレを口マネしてたような・・・

翌30日にジュリーの名を発見、昼12時から「年忘れ歌謡パレード」、しかもコレがなんとTVK(テレビ神奈川)で他にピンクレディー、ヒデキ、桜田淳子、森昌子などで2時間の番組、残念ながら内容は不明。

さらに同じく裏では昼1時から「FNS歌謡祭グランプリ」の再放送、歌唱曲は「カサブランカ・ダンディ」で衣装はブルーのスーツに帽子、この頃の賞番組はノミネートもあったりするので私が知ってる「FNS」の「ダンディ」はもしかしてノミネートの方かもしれません、あの「シャボン玉」での「捨てぜりふ」や「ミュータント」で着てたスーツと同じと言えばわかるでしょうか?
曲の冒頭で「今年は自らジュリー元年・・」とアナウンサーが言います、確かにジュリー自身79年初頭のラジオでもそう話しています、79年は実は「ジュリー元年」だったようで(笑)
この79年後半~80年前半あたりはジュリーが最もイケてた時期の1つでは?とにかく表情1つがものスゴイ魅力的。




そして深夜、この頃はもう11時台は深夜と言っていいかと思います、深夜11時25分からテレ朝で「ジャムジャム80’スペシャル ロックンロールBAKA」が90分枠で放送。
こちらもファンには有名なイベント、ジュリーは内田裕也と「サティスファクション」、「決めてやる今夜」、ソロで「ブラウン・シュガー」などが放送されました、裕也さんは「パンク・パンク・パンク」「いま、ボブ・ディランなにを考えているのか」、ピンク・レディとセッションなど、他豪華出演で提供はポーラ化粧品でした。
もうそろそろ裕也さんの「決めてやる今夜」収録の、78年のアルバム「ア・ドッグ・ランズ」なんかCD再発してもいいと思います、80年代後半というCD復刻黎明期に1度出たきりなぜか出ません、持ってたけどずいぶん前に売っちゃって、MDに録音したものの行方不明で久々に聴いてみたいな。
78年の「スター千一夜」でジュリーは「ア・ドッグ・ランズ」のジャケットがプリントされたTシャツを着ていました。




この前、10年ほど前に再放送された裕也さんの映画「嗚呼!おんなたち 猥歌」が出てきたので見てたら、冒頭「ローリング・オン・ザ・ロード」が挿入されてて、「ローリング・・」がかかるのは記憶にもありましたが、改めて見たらショーケンとジュリーが歌っててオープニングの字幕に”「さよなら日劇ウエスタンカーニバル」より”と表示があり、アレ??こんなの入ってたかな~って調べたらやっぱりCDにもカセット版にも入ってないようです。
TV放送された物とも違っててジュリーもバックでコーラスする程度のではなく、ワンコーラスちゃんと「ローリング・・」を歌ってるバージョンで別の日の録音のようでした。
映画ではセリフがかぶってますが、完全にジュリーとショーケンの「ローリング・オン・ザ・ロード」、ショーケンもPYG時代さながらジュリーの歌に合いの手を入れてカッコイイ、コレはちゃんと残ってたらフルで聴いてみたいです、エンディングでかかる方はショーケンの歌部分しか流れません、廃盤ながらDVDも以前は出てた模様。
「ローリング・・」はそもそも「ロックンロールBAKA」のイベント用に書かれた曲みたいですね、大野さんの「幻のメロディー2」のライナーでこれは知りました。


さて、だいたいどの局も深夜2時~3時で放送終了、それでも年末編成で通常よりは遅くまで放送してた感じがします、マイナーな映画が多いのも特徴。
「恐怖のハネムーン」、「アンデスの聖餐」、日テレで「ルパン三世念力珍作戦」とか実写版の奴です、「アンデス」は有名な航空事故の映画で内容からして今では地上波では放送出来ないでしょう。

そして70年代最後の日は、お昼から「日本全国大みそか」という番組に矢沢永吉やアリスが出てるというのも驚き。
その裏ではまたまたTVKで昼の1時から「第六回横浜音楽祭」の再放送、出演はヒデキ・百恵・サザン・ジュディオングそしてジュリーとありますが、これも内容不明の2時間半。

7時からはこの時代の日本人ならばビデオもないので急いで帰宅してTVの前に全員集合だった、注目の「第21回輝く日本レコード大賞」。
こんな日でも日テレでは夕方6時からは「巨人の星」が再放送、ニュースはわずか30分という今では考えられないですコレ・・・、しかも7時からは大晦日だっていうのにまた「ルパン」!今度はアニメの奴(爆)、その後は映画「地底巨大生物の鳥」( ̄▽ ̄;)、他局も負けじとテレ朝が実写の「ゴルゴ13」、フジが「ゴジラVSガイガン」ともう視聴率争い投げてるのか??

この時の「レコ大」はなぜかCS再放送は飛ばされこれきり放送してません。が、ジュリーはこの時期頻繁に着用してたピンクのスーツで「カサブランカ・ダンディ」を歌いました。
大賞はジュディ・オング「魅せられて」、ヒデキが「ヤングマン」でノミネートしてたら果たしてどうだったんでしょう?
歌謡大賞とは別の曲だかなんだかの理由で、ノミネート曲がヒット曲としてはやや落ちる「勇気があれば」でのノミネートになってしまいました。

「レコ大79’」

9時からは「紅白歌合戦」、フジが「スーパージャム79~80’」で日本青年館での吉田拓郎、ユーミンらニューミュージック系のライブ番組、テレ朝は「ニューミュージック・ロックフェスティバル79’」、これは内田裕也の「ニューイヤーロックフェス」でしょう、なんと夜8時半から途中「ゆく年くる年」などはさんでの朝6時までの生中継、今では貴重なバンドもたくさん出てそうです、映像が残されてるかは不明。
フジの拓郎のは後年何度か1部が流れてるので残ってるのは確実、以前ヤフオクで売られてたり(笑)拓郎ファンには有名な映像のようです。

注目は「紅白」と同じく裏で9時からのTBSでの映画「ウエストサイド物語」、コレのベルナルド役の日本語吹き替えがジュリー。
コレの実際の映像は番組宣伝CMしか見たことありませんが、当時数少ないビデオを所有してたジュリーファンのほとんどがおそらく「紅白」の方をチェックして、録画してないのでは??
「紅白」はその後BSなどでくり返し再放送されるなんてこの時はまさか夢にも思わなかったでしょう、この時代2台も所有してた人もちょっと中々いないでしょうから、それだけにこの時の「ウエストサイド物語」の完全版を持ってる方は貴重です、後年放送されたものは別の方が吹き替えしてるとか。

と・・・、実は最初思ったんですがどうもコレはこの年2回目の放送みたいで、最初は79年の1月4日にすでに1回放送してるようです。
某サイトでたまたま「ウエストサイド物語」の電車の中吊り広告を発見してアリャ?日付が違うぞと気がつきました、その後ライブ音源をたまたま聴いてたら78年暮れの武道館公演のMCでもこれについて話してまるのを発見、なので79年正月が初放送で間違いないでしょう、こんなことも後追いではわからないですね。

「紅白」は石野真子の「ジュリーがライバル」に映るのはよく知られてる所ながら、案外知られてないとこでは実はこの時の「紅白」に後の奥様も連続TV小説に出てたせいか少しだけ応援で出ています、これがお2人の初共演(←と言えるか??)だったのかも。
「ジュリーがライバル」に関しては、「打ち落とせバンババンバン♪、アレから曲が売れなくなった」などとラジオで話しています(笑)

で、この年の「ゆく年くる年」で「TOKIO」を0時の時報と共に歌ったとの伝説がありますが、なぜか数ある「TOKIO」の当時映像でも、動画サイトでもソレは現物を私は見たことがありません。
あっても良さそうな感じなのに真偽の方は、はてさて?

なお、81年の高倉健主演の映画「駅」にて、この79年大晦日の当時の雰囲気を再現、TV画面に79年の「レコ大」や「紅白」、しかもなぜか「ジュリーがライバル」の部分が流れます。

ちなみに私は当時小学校の低学年、ほとんど何やってたんだかも記憶がありません。
しかし、この年に限っては12月に自転車で転んで左手首骨折~入院してたので、その病院の中の雰囲気みたいなのかなり鮮明に憶えています。
確か病院で年越して退院は翌年になった記憶が・・・、思えばあれが1970年代という激動の時代の終りだったんだなぁと、なんだかしみじみ。















はじめに

2012年02月01日 | 日記

このブログは高校生の時に個人情報誌で入手した1980年からの「TVガイド」を元に、ジュリーのTV出演の記録を紐解いてゆくブログです。

基本的に完全な物は目指していません、たぶんそれは続かないし、私ではムリだと思います。

当然、ワイドショーなんかはまったく掲載されてないのと、ベストテン番組なども出演予定とだけ掲載されて実際は出てなかったり、ランクインはされても欠席した回など後追いではわからない部分も多すぎます。

”あの頃どんだけジュリーはTVに出ていたのだろうか?”という、全盛期を見逃した世代の昔からの個人的こだわりなので間違ってても気楽に行きたいと思っています。
そもそも80年からの「TVガイド」を大量購入したのも昔のジュリーのTV出演記録を知りたいという理由でしたが、そんなことスッカリ忘れて押入れで20数年死蔵されたままでした。

正直、80年代ってどちらかというとキライな方です、なにか年々70年代から遠ざかるにつれ薄っぺらな時代になってたような感じがします、中学生入った80年代中盤くらいからそれはリアルで感じていました、だいぶ客観的に見れるようになりましたが特に後半くらいの時代になる程、80年代という時代が今でもあまり好きじゃない・・・
自分の世代より前の時代の音楽を知ってから猛烈に好きになりました、自分にとって60年代・70年代はリアルに体験出来なかった時代なので、懐古主義ではなく今も新しい発見に満ちあふれています。

なので本当はジュリーの全盛期である70年代こそ追求したい所ですが、コレも資料が手元にないのと70年代のガイド誌になるとヴィンテージ価値もグーンと高まり、特撮関係が掲載されてると中には1冊で万単位する号などもあり、大きい図書館で新聞のラテ欄をコピーしてもらうなどの方法もありますが現時点では私には出来そうにありません。

それから1986年9月からはリアルタイムで購入してたのでそれ以後はほぼ全号手元にありますが、83・84・85年あたりの号は手元にないのが多いのでそこらへんも今後このブログが続いて気分がノッてくれば集めようかな??といった感じです。
まぁ85年の独立以降はTV出演もガクンと減り逆に私的にはリアルで熱心に見ていたので、どちらかというと知ってる世界の部分なので、特に追求したいのは84年くらいまでの自分の知らない世界の部分までになりそうです。

現物を残してくれた全てのジュリーファンに感謝しますm(__)m