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'80s Julie TV session

1980年代TVの中のジュリー・・・
って80年代好きとずっと勘違いされたかな今更思う今日この頃(笑)

●今日は何の日?~36年前

2015年07月08日 | 79年のじゅりー

 


79年7月8日(日)

 


フジ「クイズ!ドレミファドン」(PM12:00~13:00)

▼選抜!!草野球大会/続投 沢田の爆笑音入れ博士

 

 

 


NHK「レッツゴー・ヤング」(PM18:00~18:40)

▼ジュリー、歌にコントに大活躍!
出・中原理恵 ほか


 

 

 

 


東京12チャンネル「ヤンヤン歌うスタジオ」(PM19:00~19:54)

▼なんと?マチャアキ 秀樹 ジュリーが花嫁修業

出・ピンクレディー、榊原郁恵、リューベン

 


東京12チャンネル 
日本歌謡大賞 新人祭「10周年記念・大賞受賞歌手大集合」
(PM20:00~21:48)

司会・高島忠夫、ピンクレディー

出・小柳ルミ子、都はるみ、布施明、五木ひろし、森進一
藤圭子、石野真子 ほか    

 

 

 

 



【感想】

・7月に入ったら露出が増え、この日は1日4回、翌日は「夜ヒット」の伝説的”歌詞飛ばし”。
・7月1、3、5、7、8、9、10、12、13、19、26と後半になる程露出が減り「ギャル」売り出し終了・・・。
・結局「ギャル」が残した物は「ジュリーが嫌いな曲」、「化粧するオカ○歌手」(←我が母も言ってた)、「歌詞飛ばし」、「この時期にしてはイマイチな売り上げ」、あまりいい印象がない気が。
・「天中殺」「インベーダー」「口裂け女」、この頃こればっかり。
・アレレ?、何度もやってる「レッツゴーヤング」の再放送、最初の06年のにはあんなテロップなかったような??、探すの面倒だからとりあえずこれで。
・ま、こんな軽い更新ならお気楽に出来るんだけんども。


・今日はというか今度はギタリストの石田長生さんが亡くなった、昨年あたりまで各所のライブハウスのスケジュールに名前があって1度は見たかっただけに本当に残念、昨年末は1度入ったことのある青梅のライブハウスでたったの2500円で見れたというのに・・・
ソーバットレビューは高校生の頃よく聴いてました、もうホントあの世代のミュージシャンがいつ見れなくなるかわからない領域まで来てる、とは言え追いきれないのも現実、あぁ。

 

 

 

 


●雑誌・新聞広告に見る「OH! ギャル」の時代

2015年07月05日 | 79年のじゅりー

 

 おそらくTV初披露「東京音楽祭」予選

 

 

 

 

79年5月24日(木) 朝日新聞 夕刊(12面)

パルコ ジュリーのヌード姿の一面広告掲載 (←一見の価値アリ、カッコエエ!)

時代の心臓を鳴らすのは誰だ







79年5月29日(火) 「微笑」広告

女装 沢田研二は本当にホ○か!?
妖しい性の魔力に肉迫する 新曲「OH!ギャル」化粧にホ○族 興奮!
女性ファンは戸惑い!ジュリーの性の深奥がわかった


ちなみにとなりには・・・

ただ今!日本列島北上中!恐怖の口裂け女の全足取り


 

 


同日 「週刊女性」広告

変身ジュリー「ヌード」と「女装」の舞台裏!
賛否騒然のお化粧に1時間はかける沢田研二の心意気




79年5月31日(木) 「女性セブン」広告 

ジュリーの赤ちゃんを独占激撮!
5月22日昼さがり お待たせしました撮ってきました

 

同日 27thシングル「OH!ギャル」発売


 

 





79年6月22日(金) 朝日新聞 朝刊(31面)

コラム「ポップス*ぽっぷす」サウンド解剖学6 宮川泰

セクシージュリーまた変身 「♂」と「♀」の割合を大逆転

※宮川先生による「勝手に」から「ギャル」までの楽曲分析

 



79年6月26日(火) 「微笑」広告

沢田研二のホ○は失敗だった
東京音楽祭でジュディ・オング、大橋純子に惨敗!
大賞奪還も赤信号

 

 

 

 

 

 


ちなみに5月24日ヌード広告掲載のその翌日・・・

79年5月25日(金) 朝日新聞 朝刊(25面)

コラム「たれんと模様」

田中裕子 初仕事まだ夢中
初めてのギャラはそっくりご両親に
そこから改めておこずかいをもらい洋服を購入したようだ

※自転車に乗り笑顔の裕子さんのフォトあり

 

 

 

 



【感想】

・世間をお騒がせしました・・・
・「TOKIO」以前にこういう積み重ねが井上バンド解散へジワジワと追い込んだのだろうか。
・「ギャル」は映像が少ないと感じていたが、実際この時期にしては意外とテレビに出てなかった、その理由は「太陽を盗んだ男」の撮影が忙しかったのでは?
・この時期、口裂け女ネタが多い。
当時みんなで口裂け女が苦手なポマード片手に探しに行った、見てるとこのまま新聞に顔うずめてたまらなくあの頃に帰りたくなってきた(笑)
・ジュリーが嫌いなのはともかく、熱き血潮がほとばしるギラギラの野郎の時代・70年代から、80年代は女子大生や女子高生が時代をリードする世になってしまったワケで、阿久先生の時代の先読みは当たっていたのかもしれない。

 

 





ダメダメ
子供がマネするからそんなラッパ飲みしちゃあ

 

 

あ~あ・・・・

 

 

 

 

 

 


●「カサブランカ・ダンディ」の霧吹きが封印?

2015年06月21日 | 79年のじゅりー

 

現在、79年冒頭あたりを調査中。

2月に入ると思ったより出てないという印象・・・、と言うか案外知ってる映像が多いなと。
そしたら「ベストテン」の初登場が2月22日で、レコード発売が2月1日。

そうかこれから3月~4月がヒットの山場なのかも?、な~んてwikiを見てたらこんな文章が↓

当初、テレビ番組などで歌う際、洋酒を口に含んで霧を吹くパフォーマンスが話題となった。しかし後に「子供達がマネをして見苦しい」との苦情が寄せられ、結局、このパフォーマンスを封印した。”


エエッ!、そ、そうだっけ??

 



そんなアホなと「ベストテン」最後の登場、5月3日放送分を確認すると・・・

 


吹いてます( ̄▽ ̄)

 



4月26日はカメラめがけて

 

 

せ~の

吹いてます( ̄▽ ̄)

 

 

 

 

4月19日


全くおかまいなし、毎週吹いてます( ̄▽ ̄)

 

 

 

そして12月31日 

NHK紅白歌合戦

 

当初、テレビ番組などで歌う際、洋酒を口に含んで霧を吹くパフォーマンスが話題となった。しかし後に「子供達がマネをして見苦しい」との苦情が寄せられ、結局、このパフォーマンスを封印した。”

 

 

( ̄▽ ̄)( ̄▽ ̄)( ̄▽ ̄)

 

 

 



79年2月6日の「微笑」の新聞広告↓

沢田研二のシッパー前開きスタイルが大問題『下品だ』『カッコイイ』と新曲の衣装を巡って賛否両論が」とあり、「サムライ」以外にも奇抜な衣装が色々問題視されてたんだなぁと驚いてた所。


真偽はさておき、当時はPTAの要注意認定歌手だったんだろうなぁ(笑)

 

 

 

 

【追記】

「いくつかの場面」や「チャコールグレイの肖像」や「思い切り気障な人生」などジュリー作品でも多く参加してる、ギタリストの矢島賢さんが4月に亡くなられたと今日知りました、大変残念です。

ちょうど先日、「チャコールグレイ」収録の「桃色の旅行者」の歌詞違いの原曲を聴かせて頂き感激してた所でした、改めて矢島さんの参加作品にふれてみたいと思います。

 

 

 



 

 

 

 




●79年12月29日(土)~12月31日(月)

2012年02月02日 | 79年のじゅりー
初回は80年の元旦から・・・と行きたい所ですが、特大号のため79年も最後の29・30・31日と3日間だけ掲載されてるので、まずは魅惑の1970年代最後の3日間から行きたいと思います。

しかし、この頃のTVはわずか3日間だけでも実に内容が濃い!、タイトル&出演者だけで見たい番組だらけ。

29日、ジュリーの出演記録はないものの目を引いたのは、夕方5時半フジでの「ザ・ポップ」(ゲスト)チャーの記載、コレは特別チャーのファンではないですがダビング物の当時録画の現物映像があります、ジョニー、ルイス&チャーでのわずか2曲ながらも、最後にマイクを倒しての凄まじい激演・まさにロック、こんなものが夕方フツーに放送されてたのかと驚き。

その裏で気になるのがテレ朝の「機動戦士ガンダム」、「ニュータイプ・シャリアブル」の回、「ガンダム」は再放送でブームに火がつきコレは正真正銘の本放送、アニメオタクでもないんですがガンダム世代なのでとても気になりました、この後もちょうどこの頃は小学校低学年だったので必然的にアニメ話はちょこちょこ出てきます、私の世代はみんなTVのアニメ&再放送で育ったようなもんなので(笑)

7時からは12チャンの「ミステリーゾーン」霊能力大実験、なんかこの番組よく見てた記憶あります、心霊写真やUFO、この時代はよくやってました、音楽がコワくてよくソレを口マネしてたような・・・

翌30日にジュリーの名を発見、昼12時から「年忘れ歌謡パレード」、しかもコレがなんとTVK(テレビ神奈川)で他にピンクレディー、ヒデキ、桜田淳子、森昌子などで2時間の番組、残念ながら内容は不明。

さらに同じく裏では昼1時から「FNS歌謡祭グランプリ」の再放送、歌唱曲は「カサブランカ・ダンディ」で衣装はブルーのスーツに帽子、この頃の賞番組はノミネートもあったりするので私が知ってる「FNS」の「ダンディ」はもしかしてノミネートの方かもしれません、あの「シャボン玉」での「捨てぜりふ」や「ミュータント」で着てたスーツと同じと言えばわかるでしょうか?
曲の冒頭で「今年は自らジュリー元年・・」とアナウンサーが言います、確かにジュリー自身79年初頭のラジオでもそう話しています、79年は実は「ジュリー元年」だったようで(笑)
この79年後半~80年前半あたりはジュリーが最もイケてた時期の1つでは?とにかく表情1つがものスゴイ魅力的。




そして深夜、この頃はもう11時台は深夜と言っていいかと思います、深夜11時25分からテレ朝で「ジャムジャム80’スペシャル ロックンロールBAKA」が90分枠で放送。
こちらもファンには有名なイベント、ジュリーは内田裕也と「サティスファクション」、「決めてやる今夜」、ソロで「ブラウン・シュガー」などが放送されました、裕也さんは「パンク・パンク・パンク」「いま、ボブ・ディランなにを考えているのか」、ピンク・レディとセッションなど、他豪華出演で提供はポーラ化粧品でした。
もうそろそろ裕也さんの「決めてやる今夜」収録の、78年のアルバム「ア・ドッグ・ランズ」なんかCD再発してもいいと思います、80年代後半というCD復刻黎明期に1度出たきりなぜか出ません、持ってたけどずいぶん前に売っちゃって、MDに録音したものの行方不明で久々に聴いてみたいな。
78年の「スター千一夜」でジュリーは「ア・ドッグ・ランズ」のジャケットがプリントされたTシャツを着ていました。




この前、10年ほど前に再放送された裕也さんの映画「嗚呼!おんなたち 猥歌」が出てきたので見てたら、冒頭「ローリング・オン・ザ・ロード」が挿入されてて、「ローリング・・」がかかるのは記憶にもありましたが、改めて見たらショーケンとジュリーが歌っててオープニングの字幕に”「さよなら日劇ウエスタンカーニバル」より”と表示があり、アレ??こんなの入ってたかな~って調べたらやっぱりCDにもカセット版にも入ってないようです。
TV放送された物とも違っててジュリーもバックでコーラスする程度のではなく、ワンコーラスちゃんと「ローリング・・」を歌ってるバージョンで別の日の録音のようでした。
映画ではセリフがかぶってますが、完全にジュリーとショーケンの「ローリング・オン・ザ・ロード」、ショーケンもPYG時代さながらジュリーの歌に合いの手を入れてカッコイイ、コレはちゃんと残ってたらフルで聴いてみたいです、エンディングでかかる方はショーケンの歌部分しか流れません、廃盤ながらDVDも以前は出てた模様。
「ローリング・・」はそもそも「ロックンロールBAKA」のイベント用に書かれた曲みたいですね、大野さんの「幻のメロディー2」のライナーでこれは知りました。


さて、だいたいどの局も深夜2時~3時で放送終了、それでも年末編成で通常よりは遅くまで放送してた感じがします、マイナーな映画が多いのも特徴。
「恐怖のハネムーン」、「アンデスの聖餐」、日テレで「ルパン三世念力珍作戦」とか実写版の奴です、「アンデス」は有名な航空事故の映画で内容からして今では地上波では放送出来ないでしょう。

そして70年代最後の日は、お昼から「日本全国大みそか」という番組に矢沢永吉やアリスが出てるというのも驚き。
その裏ではまたまたTVKで昼の1時から「第六回横浜音楽祭」の再放送、出演はヒデキ・百恵・サザン・ジュディオングそしてジュリーとありますが、これも内容不明の2時間半。

7時からはこの時代の日本人ならばビデオもないので急いで帰宅してTVの前に全員集合だった、注目の「第21回輝く日本レコード大賞」。
こんな日でも日テレでは夕方6時からは「巨人の星」が再放送、ニュースはわずか30分という今では考えられないですコレ・・・、しかも7時からは大晦日だっていうのにまた「ルパン」!今度はアニメの奴(爆)、その後は映画「地底巨大生物の鳥」( ̄▽ ̄;)、他局も負けじとテレ朝が実写の「ゴルゴ13」、フジが「ゴジラVSガイガン」ともう視聴率争い投げてるのか??

この時の「レコ大」はなぜかCS再放送は飛ばされこれきり放送してません。が、ジュリーはこの時期頻繁に着用してたピンクのスーツで「カサブランカ・ダンディ」を歌いました。
大賞はジュディ・オング「魅せられて」、ヒデキが「ヤングマン」でノミネートしてたら果たしてどうだったんでしょう?
歌謡大賞とは別の曲だかなんだかの理由で、ノミネート曲がヒット曲としてはやや落ちる「勇気があれば」でのノミネートになってしまいました。

「レコ大79’」

9時からは「紅白歌合戦」、フジが「スーパージャム79~80’」で日本青年館での吉田拓郎、ユーミンらニューミュージック系のライブ番組、テレ朝は「ニューミュージック・ロックフェスティバル79’」、これは内田裕也の「ニューイヤーロックフェス」でしょう、なんと夜8時半から途中「ゆく年くる年」などはさんでの朝6時までの生中継、今では貴重なバンドもたくさん出てそうです、映像が残されてるかは不明。
フジの拓郎のは後年何度か1部が流れてるので残ってるのは確実、以前ヤフオクで売られてたり(笑)拓郎ファンには有名な映像のようです。

注目は「紅白」と同じく裏で9時からのTBSでの映画「ウエストサイド物語」、コレのベルナルド役の日本語吹き替えがジュリー。
コレの実際の映像は番組宣伝CMしか見たことありませんが、当時数少ないビデオを所有してたジュリーファンのほとんどがおそらく「紅白」の方をチェックして、録画してないのでは??
「紅白」はその後BSなどでくり返し再放送されるなんてこの時はまさか夢にも思わなかったでしょう、この時代2台も所有してた人もちょっと中々いないでしょうから、それだけにこの時の「ウエストサイド物語」の完全版を持ってる方は貴重です、後年放送されたものは別の方が吹き替えしてるとか。

と・・・、実は最初思ったんですがどうもコレはこの年2回目の放送みたいで、最初は79年の1月4日にすでに1回放送してるようです。
某サイトでたまたま「ウエストサイド物語」の電車の中吊り広告を発見してアリャ?日付が違うぞと気がつきました、その後ライブ音源をたまたま聴いてたら78年暮れの武道館公演のMCでもこれについて話してまるのを発見、なので79年正月が初放送で間違いないでしょう、こんなことも後追いではわからないですね。

「紅白」は石野真子の「ジュリーがライバル」に映るのはよく知られてる所ながら、案外知られてないとこでは実はこの時の「紅白」に後の奥様も連続TV小説に出てたせいか少しだけ応援で出ています、これがお2人の初共演(←と言えるか??)だったのかも。
「ジュリーがライバル」に関しては、「打ち落とせバンババンバン♪、アレから曲が売れなくなった」などとラジオで話しています(笑)

で、この年の「ゆく年くる年」で「TOKIO」を0時の時報と共に歌ったとの伝説がありますが、なぜか数ある「TOKIO」の当時映像でも、動画サイトでもソレは現物を私は見たことがありません。
あっても良さそうな感じなのに真偽の方は、はてさて?

なお、81年の高倉健主演の映画「駅」にて、この79年大晦日の当時の雰囲気を再現、TV画面に79年の「レコ大」や「紅白」、しかもなぜか「ジュリーがライバル」の部分が流れます。

ちなみに私は当時小学校の低学年、ほとんど何やってたんだかも記憶がありません。
しかし、この年に限っては12月に自転車で転んで左手首骨折~入院してたので、その病院の中の雰囲気みたいなのかなり鮮明に憶えています。
確か病院で年越して退院は翌年になった記憶が・・・、思えばあれが1970年代という激動の時代の終りだったんだなぁと、なんだかしみじみ。