盛岡で、とあるビストロにお昼を食べに行った時のこと。
ランチタイムは、プレートランチか、パスタか、カレーから選べ、ワタクシはプレートランチがお気に入り。
で、運ばれてきたプレートランチをいただきながら、壁に書かれている夜のメニューをなにげなく眺めておりますと、
以前はメニューにあったパスタがすべてなくなっておりました。
「あれ?パスタ、なくなったんですね」
注文をさばき、一息ついたご主人に尋ねます。
「ええ。なくしました」
とご主人。
「フランス料理のお店ですからね。本当はパスタとかおけば、注文があるんですが・・・」
そう。盛岡あたりなら、ビストロといっても、ごく普通にパスタがあったりするのですが、パスタは、もとはといえばイタリア料理、
いってみれば、そば屋にラーメンがあるようなものですね。
(あれ?これも盛岡なら普通にあるな・・・)
ワタクシも盛岡に長年住み、盛岡以外に住んだことがなければ、パスタをメニューから外した、というマスターの言葉にピンとこなかったのかもしれません。
ただ、ワタクシ、サラリーマンなもので、ある日、転勤を命ぜられ、東京に住むようになり、ふと気がついたのでありました。
というのは、
なんでもかんでもメニューに並べてしまう、というのは野暮なのではないか、
ということでした。
東京には老舗、と称される名店が数多くあります。
鮨屋さん、鰻屋さん、居酒屋さん、蕎麦屋さん・・・
そして、そこで出されるものは、当たり前ながら、なんでもかんでも、というわけではないのですよね。
鰻ならこのメニューだけ、
鮨ならおまかせのみ、
酒にしてもビールにしても、銘柄は1~2種程度。
居酒屋にしても、老舗の名店は日本酒、ビール、焼酎のみ、
昔から変わらぬ不動のメニューが並ぶのみ、
いやなら他所へ行っておくれ、とでも言いたげな潔さです。
田舎者なので、そういうお店に行くようになり、初めのころは、やや不満に感じておりました。
あの酒があれば、もっといいのにな、
あんな料理もあれば、もっと通いたくなると思うんだけどな、
でも、それは野暮というものです。
まったく勝手な思い込みかもしれませんが、
東京、あるいは歴史のある町の老舗の飲食店は、ある種の潔さがあります。
うちはこれだけ、
他が食べたかったり、飲みたいんだったら他所へ行っておくれ、
他にもいいお店はいっぱいあるんだから。
どんなお客様も取り込んでしまおうと、なんでもかんでもメニューに加えてしまうのは、野暮な振る舞いというわけなのでしょう。
残念ながら、盛岡は、さほど人口の多い町ではありません。
もちろん老舗の名店はありますが、さほど多いわけではなく、
そんな中、一軒で済ましてしまえ、というお客様を取り込んでしまうバリエーション豊かなお店も少なからずあります。
歳をとって、なんかそういう使い勝手がいい、といえば聞こえがいいのですが、
なんでもかんでもあります、というお店は敬遠するようになりました。
専門店ならではのものが味わえる、そういうお店に行くようになりました。
かといって、他人様にそうあれ、というわけではありません。
ただ、いいおっちゃんになって、わが町にいいお店が残ってほしい、という、そんな思いで、
和ならこれ、とか、洋ならこれ、とか、中ならこれ、居酒屋ならここ、とか、
そんな通い方をしようと思うようになりました。
ランチタイムは、プレートランチか、パスタか、カレーから選べ、ワタクシはプレートランチがお気に入り。
で、運ばれてきたプレートランチをいただきながら、壁に書かれている夜のメニューをなにげなく眺めておりますと、
以前はメニューにあったパスタがすべてなくなっておりました。
「あれ?パスタ、なくなったんですね」
注文をさばき、一息ついたご主人に尋ねます。
「ええ。なくしました」
とご主人。
「フランス料理のお店ですからね。本当はパスタとかおけば、注文があるんですが・・・」
そう。盛岡あたりなら、ビストロといっても、ごく普通にパスタがあったりするのですが、パスタは、もとはといえばイタリア料理、
いってみれば、そば屋にラーメンがあるようなものですね。
(あれ?これも盛岡なら普通にあるな・・・)
ワタクシも盛岡に長年住み、盛岡以外に住んだことがなければ、パスタをメニューから外した、というマスターの言葉にピンとこなかったのかもしれません。
ただ、ワタクシ、サラリーマンなもので、ある日、転勤を命ぜられ、東京に住むようになり、ふと気がついたのでありました。
というのは、
なんでもかんでもメニューに並べてしまう、というのは野暮なのではないか、
ということでした。
東京には老舗、と称される名店が数多くあります。
鮨屋さん、鰻屋さん、居酒屋さん、蕎麦屋さん・・・
そして、そこで出されるものは、当たり前ながら、なんでもかんでも、というわけではないのですよね。
鰻ならこのメニューだけ、
鮨ならおまかせのみ、
酒にしてもビールにしても、銘柄は1~2種程度。
居酒屋にしても、老舗の名店は日本酒、ビール、焼酎のみ、
昔から変わらぬ不動のメニューが並ぶのみ、
いやなら他所へ行っておくれ、とでも言いたげな潔さです。
田舎者なので、そういうお店に行くようになり、初めのころは、やや不満に感じておりました。
あの酒があれば、もっといいのにな、
あんな料理もあれば、もっと通いたくなると思うんだけどな、
でも、それは野暮というものです。
まったく勝手な思い込みかもしれませんが、
東京、あるいは歴史のある町の老舗の飲食店は、ある種の潔さがあります。
うちはこれだけ、
他が食べたかったり、飲みたいんだったら他所へ行っておくれ、
他にもいいお店はいっぱいあるんだから。
どんなお客様も取り込んでしまおうと、なんでもかんでもメニューに加えてしまうのは、野暮な振る舞いというわけなのでしょう。
残念ながら、盛岡は、さほど人口の多い町ではありません。
もちろん老舗の名店はありますが、さほど多いわけではなく、
そんな中、一軒で済ましてしまえ、というお客様を取り込んでしまうバリエーション豊かなお店も少なからずあります。
歳をとって、なんかそういう使い勝手がいい、といえば聞こえがいいのですが、
なんでもかんでもあります、というお店は敬遠するようになりました。
専門店ならではのものが味わえる、そういうお店に行くようになりました。
かといって、他人様にそうあれ、というわけではありません。
ただ、いいおっちゃんになって、わが町にいいお店が残ってほしい、という、そんな思いで、
和ならこれ、とか、洋ならこれ、とか、中ならこれ、居酒屋ならここ、とか、
そんな通い方をしようと思うようになりました。