なんとなくはじめました(つれづれなるままに)

日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくります。

志波城古代公園(第208段)

2010年10月11日 13時49分24秒 | なんとなくの街歩き
前半、雨模様の連休でしたが、日曜日の午後、晴れ間が見えたので、盛岡市上鹿妻にある「志波城古代公園に行ってきました。












志波城は、803年、坂上田村麻呂によって造営された城柵です。


「朝廷の領土拡大政策により、北上盆地の蝦夷は朝廷の統治下におかれることになりました。その拠点として造られたのが、胆沢城や志波城です」

(盛岡市教委委員会のパンフレットより抜粋)


「荒俣宏・高橋克彦の岩手ふしぎ旅」(実業之日本社)を読み、かねてから訪れてみたい、と思っておりました。



道が不案内なので、あらかじめカーナビで検索し、出かけましたが、日曜日ということもあり、途中、某ショッピング・センターを通過する道路は渋滞しています。

こら、いかん、と、渋滞を避けて別な道路に向かいますが、気の利かないカーナビは、

「この道路しか知らんもんね。ここに戻るんだもんね」

という、かたくななやつで、さんざ遠回りしたあげく、また前の渋滞の道路に戻されることとなりまして・・・。


まあ、それはさておき、志波城公園に着きますと、思ったよりも立派な(失礼・・・)、門が復元されておりました。



「811年の蝦夷との最後の戦いは志波城を拠点に行われたが、その年の末には水害を理由に移転が決まり、志波城は約10年で廃城となった」

(「岩手ふしぎ旅」より)



わずか10年余りで廃城となった城ですが、それでも、当時の朝廷の威信を示すにはあまりある城柵だったのでしょう。

同時に、当時の蝦夷が、いかに朝廷にとって脅威だったのか、うかがい知ることができます。



特に土産物屋もないし、テーマ・パークが隣接しているわけでもない・・・。

ベンチもないし、好きな女の子と来て、愛を語ろうにも、なんのアトラクションもない・・・。

そういうわけでは、ワタクシのような一人ひっそりと訪れるオヤジ向けのスポットといえましょう。

とはいえ、ワタクシ、往時をしのび、嬉々として歩いておりました。

一見、単なるだだっ広い空き地のような城郭跡にたたずみ、

いにしえの人々の戦った様を想像しながら、一人、しずかにコーフンするのでありました。




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於岩稲荷田宮神社(第171段)

2008年11月30日 22時10分05秒 | なんとなくの街歩き
四谷の駅を降り、近辺を散策しておりました。

鮫河橋坂から出羽坂、鉄砲坂、戒行寺坂を抜け、
(坂めぐり、好きです)

於岩稲荷神社の前を通りかかりました。


於岩稲荷神社は、「お岩稲荷」と呼ばれ、もともとは家内安全、無病息災、商売繁盛、開運、悪事や災難除けの神として、江戸時代の初期は人気を集めていた神社ということです。

(神社に置いてあった解説から)

今では四谷怪談で有名なお岩さんも、そもそもは、夫・田宮伊衛門と、人も羨むほどの仲のいい夫婦で、お岩さんも幸せな暮らしをしていたようですが、お岩さんの死後200年近く経ったのち、図らずも歌舞伎の題材として、お岩さんの名前だけを借りた、事実とはまったく違う作品ができあがったということです。

「東海道四谷怪談」と名付けられたその歌舞伎は大当たり。しかし、怪談のため、トリックや道具立てが複雑になり、照明も暗く、天井からの吊るし物も多かった。

このことで、芝居でのけが人も多く、それがお岩さんの祟り、ということに結び付いたようです。


神社からいただいた解説によると、商売繁盛、家内安全、芸能上達、企画制作興行成功、縁結び、厄払い、試験合格、その他安全祈願・・・。

ご祈願下さい、とあります。

そうとは知らず、訪れるまでは、何かおどろおどろしい神社かとおもっていました。大変な思い違いですね。

せっかくですから、もろもろのご利益にあずかろうとお参りしてきました。






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湯立坂(第163段)

2008年11月03日 10時20分56秒 | なんとなくの街歩き
文京区にある名坂(ほめるときは、こういうのでしょうか)、湯立坂に行ってきました。

風情のあるいい坂ですね。

無類の坂好き、というタモリの著した「タモリのTOKYO坂道美学入門(講談社)」を携え、丸ノ内線・茗荷谷駅で下車。

春日通りを横切り、すぐ左手に見える坂が湯立坂です。

お天気もよく、気持ちのいい日でした。


坂を下ると、小石川植物園があります。

ちょうど連休なので、家族づれやカップル、ベビーカーを押しながら歩く若いお父さんお母さんを多く見かけました。

観覧券が330円。

なぜか植物園では観覧券を売ってなくて、正門前にあるたばこ屋さんで売っています。

プチ森林浴を楽しんできました。


さて、その湯立坂。

最近、高層マンション建設計画がある、ということで、近隣の方が反対しているようですね。

通りすがりではありますが、せっかくのいい景観を大事にしていただきたいな、と思いました。



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ぶらり街歩き(第106段)

2008年04月27日 21時39分29秒 | なんとなくの街歩き
先日、上野・国立博物館の「薬師寺展」を観に行ってまいりました。

いやあ・・・、すごい人。

でもって、圧倒的に入場者の平均年齢高し!

もう、鑑賞、というよりは参拝、という感じのジジバ・・・あ、いや、ご年配の方々が群れをなしておいででございました。

無遠慮なジジバ・・・、あ、いや、ご年配の方が、無神経に体当たりしてくるので、残念ながら、落ち着いて鑑賞するには至りませんでした。

それでも、日光・月光菩薩立像は素晴らしいものでした。


さて、本日は、「もうひとつの薬師寺展」という催しのある五反田の薬師寺・東京別院へ。

こちらは訪れる方も少なく、展示されている仏像を間近に観ることが出来ました。

間近で観る、十一面観音菩薩立像、美しかったですね・・・。


で、今度は「なべころ坂」という、面白い名前の坂に行きたくて、五反田から山手通りを目黒に向かって歩きます。

途中に目黒不動尊を見つけ、立ち寄ることにしました。


街歩き、好きです。

気分はすっかり「ちい散歩」。

時々「ぶらり途中下車の旅」。

滝口順平さんのナレーションを頭の中で思い浮かべながら(馬鹿ですね・・・)歩いておりました。


さして信心深いわけでもありませんが、せっかく来たのでお参りを・・・。

で、水かけ不動にも、願掛けをして参りました。


目黒不動尊の商店街に「にしむら」という鰻やさんがありますが、今回は寄らずに帰ってきてしまいました。

「お寺にお参りに寄って、『うなぎ』もないだろうな・・・」

なんて勝手に思っておりましたが・・・、

結構有名な所なんですね。

この次の楽しみにとっておきましょう。


というわけで、五反田から約2時間半歩き詰め。

いい運動になりました。


※写真は目黒不動尊です






コメント (2)
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赤坂・豊川稲荷(第90段)

2008年03月22日 20時58分36秒 | なんとなくの街歩き
赤坂周辺を歩いていた時のことです。

九郎九坂(くろぐざか)という坂の手前に豊川稲荷の東京別院を見つけました。

大岡越前守が赤坂の屋敷内に勧請していたものを現在の土地に移転させたそうです。

芸能の神ということで、こんな方々もいらしているのですね。

ファンならば声をあげて喜ぶところでしょうが、ファンではないので、とりあえず写真だけ撮っちゃいました。


森光子さんだけ願い事が違うのが面白い・・・。

「放浪記」の公演回数をさらに更新されますように・・・。
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氷川神社(第89段)

2008年03月19日 22時41分38秒 | なんとなくの街歩き
赤坂にこんな神社があったのですね。

赤坂氷川神社です。

八代将軍・徳川吉宗が1730年(享保15年)建立しました。

それ以前は、浅野内匠頭の夫人・瑤泉院の実家となる浅野土佐守の屋敷。

忠臣蔵の「南部坂雪の別れ」の舞台となった場所であります。


足を踏み入れると、なにかおごそかな感じがします。

樹齢400年を超えるという大いちょうに見とれます。

ぽつりぽつりとお参りに訪れる人がやってきます。


ついで、といってはなんですが、ワタクシもお参りさせていただきました。
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清水谷公園(第88段)

2008年03月16日 21時46分02秒 | なんとなくの街歩き
地下鉄・赤坂見附の駅を降り、四谷方面へ向かうと、清水谷公園があります。

隣には品川プリンスホテル、通りをはさんで向かいにはホテル・ニューオータニがあります。

あまり訪れる人は多くないかもしれません。

特に女性はね。

だって、向かいのホテル・ニューオータニには、ヴァレンチノやらフェラガモやらブルガリやらアルマーニやら、ブランド・ショップの路面店が並んでいるんですよ。


さて、ここを訪れたのは、大久保利通の記念碑があったから。

明治11年5月14日、「紀尾井坂の変」と呼ばれる事件があり、大久保利通が暗殺されています。

今さらなのですが、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んでいて、たまたまここに碑があるのを知りました。


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