なんとなくはじめました(つれづれなるままに)

日々のよしなしごとをそこはかとなく書きつくります。

花はさかりに(第95段)

2008年04月01日 23時32分14秒 | なんとなくの徒然草
東京は桜の季節を迎えております。

無理に桜の名所にいかずとも、酒を飲まなくても、花見はできるのであります。

たまには、このブログの命名のきっかけとなった「徒然草」をひもといてみましょう。


第137段、

「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」

徒然草のほかの段と比べ、少し長めの文章となっております。

講談社学術文庫「徒然草(三)」の三木紀人氏の訳によりますと、


桜の花は満開のさまのみを、月はかげりのないさまのみを鑑賞すべきだろうか。

雨を見つつ見えない月を恋しく思ったり、室内の狭い所に身を置いて春が暮れてゆくのを知らないでいるのも、直接に花や月を見るのよりも、いちだんと感銘があり、深い情趣がある。

開花にまもないころの梢や、しおれた花びらが散り敷く庭などこそが、じつは見る値打ちがあるのである。

(中略)

いったい、月や花を、目で見ると限ったものであろうか。

春は家を離れずに、月の夜は寝室の中にいる身で、それらを思い描く時こそが、尽きぬ情趣を味わえるのである。

いわゆるよき人は、物事に没頭するようには見えず、興ずるさまも淡白である。

片田舎の人は、万事しつこく楽しむものである。

花の木のそばに、人をかき分けて近寄り、わき見もせずに花を見つめ、酒を飲み、連歌をして、興に乗ったあげく、大きな枝を無分別にも折り取ってしまう。

(後略)




いつの世も、人のすること、というのは変わらぬものなのですね。


エラソーなことを言っておりますが、ワタクシだって、そういう花見の席に呼ばれれば、のこのこ出かけるかもしれません。

花見も、お酒も嫌いではありませんが、そのためにわざわざ人ごみに行く気になれないので、徒然草なんか引っ張り出して、妙に共感したりしております。


たまたま、仕事の折に桜が咲いているのを見つけ、写真におさめました。

そろそろ早いところでは、散り始めている桜もあるようですね。

なんやかんや言っても、桜はいいものです。

(何が言いたかったんだろう?)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする