コロナ禍が明け、今年の夏は「今年は4年ぶりに〇〇の開催が決まり・・・」と、様々な祭事や行事が行われ、日本のみならず、世界的に気持ちが解放され、迎える夏でした。
しかし、そんなうれしく明るい気分の中で、日本では台風6号、7号が猛威を振るい、各地は想像を絶する災害に見舞われ、人々は様々な難儀に遭遇しました。
台風6号は、夏休み利用の観光客で賑わうはずだった沖縄や奄美、宮古や石垣の島々を襲い、台風7号はお盆休みと重なり、交通機関にも多大な影響を与え、なかなか通常の状態には戻れませんでした。
平和ボケした人々への戒めであれば、まだ理解も出来ますが、すでに世界中、すべての国々ではコロナで艱難を経験した後です。なんと残酷な・・・と思わずにはいられません そんな中に入ってきた耳を疑うニュースが、ハワイ州マウイ島、ラハイナを襲った火災でした。
私は結婚前、日系アメリカ人二世の経営する英会話学校で、子ども達に英語を教える仕事をしていました。1980年代のことです。当時、すでに戦争は遠い昔の事、という思いでいましたが、今思えば、戦後40年そこそこ。私の上司であった日系アメリカ人二世の兄弟は、太平洋戦争中はマンザナール強制収容所で4年間を過ごした、という人達でした。当然、その当時の話しは簡単に話題に上るような内容ではありませんでしたが、たまたま、私が高校、大学時代に国際理解教育に関わった経験を知り、私が勤めていた5年の間、ポツポツと貴重な話をうかがうことが出来ました。
その上司達のお父様は、浄土真宗の開教師でした。開教師とは、その宗教、宗派の教えを説き、広めるために熊本からカリフォルニアに行かれたのです。
そんなこともあり、上司達のお妹さんは、マウイ島のカフルイという町のお坊さん(同じく日系アメリカ人)と結婚されていて、私は当時、何度かお邪魔をしたものです。そのたびに連れていってくださったのが「ラハイナ」の町でした。
ハワイがまだアメリカの50番目の州になっていなかった頃、ラハイナはハワイ王国の首都だったこともある町であり、捕鯨の盛んな時代には、その中心地となった趣のある町でしたねえ・・・町の北側には、カアナパリというきれいなビーチがあり、そのビーチから眺めると、ただただ海が見えるのではなく、目の前にラナイ島が見えて、その景色もなんとも素晴らしかった あまりにラハイナの町とカアナパリが印象的過ぎて、新婚旅行にも選んだほどでした
それが何人であろうと、人が困難の中にいる・・・と思うだけで胸が痛みます。直接、何かが出来るのであれば、許す限り、時間も労力も惜しみませんが、なかなかそういうわけにはいきません。でも、私達に出来ることはありますよね、それは「祈ること。」
帰依する宗教、暮らしの糧とする教えが何であれ、一人一人が手を合わせ、困難の中にある人達の苦しみや悲しみがほんの少しでも癒されますように と祈るその思いは、きっと何らかの力となる、と私は信じています