出口御坊光善寺 枚方市出口2丁目8-13 朱印なし
(1475)八月二十一日に福井県の吉崎を退去され舟にて小浜に着かれ、丹波・摂津を抜けて九月五日に河内国茨田郡中振の郷出口村に移られました。御厨石見入道光善が草庵を建ててお迎えされました。出口は京都と大阪の中間地点で淀川の南岸に接し、水陸交通の便利な土地柄でした。当時この地には二丁四方(一万四千四百坪)の大きな池があり、それを埋め立てて諸堂を建立されましたので、山号を淵埋山(えんまいざん)と名づけられました 当社Home page
山門
蓮如上人直筆 日ころいたみぬるむし歯のおちけるは
夏はきのう きょう秋きりの 一葉おちて身にしみてしる
南無阿弥陀仏 ~
走谷堂山古墳の石棺
南無地蔵尊
太鼓楼 脇門の東側にたつ二階建ての太鼓楼は御坊格寺院としての格式の高さを示すもので、一般末寺では重層の建物は原則として建てられなかった 花頭窓や木連格子は寛政頃の様式を伝えている
本堂
内陣
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