北畠 顕家 大阪市阿倍野区王子町3-8 北畠公園内
北畠顕家は、南北朝時代の武将で父の親房とともに後醍醐天皇に仕え、奥羽平定にあたった人。顕家が20余騎の手兵で足利尊氏の大軍を迎え撃ち、弱冠21歳で戦死したところと伝えられている
顕家が祀られている阿倍野神社
安養寺 大阪市西成区岸里東1-7-15
昌芳山安養寺は、浄土宗知恩院派一心寺の末寺で、本尊は阿弥陀仏、元禄2年(1689)3月貞誉清薫尼の創建。明治20年の失火と昭和20年の戦災で2度焼失し、現在の寺は昭和34年再建のものである。境内には、紙治おさん、猪名川、佐藤魚丸の墓がある。
山門
おさんの墓 おさん-おさん---近松門左衛門の最高傑作の一つ「心中天網島」の紙屋治兵衛に貞節 を尽くした妻として有名である
佐藤魚丸---1752(宝暦2)年~1821(文政4)年、狂歌・浄瑠璃の作者。大坂・阿波座の商人で、当時流行した狂歌師グループの代表として活躍した。
猪名川弥右衛門---大坂相撲の名力士。1849(嘉永2)年、57歳で没。浄瑠璃「関取千両幟」の主人公「猪名川政右衛門」のモデルとされている
松虫塚 大阪市阿倍野区松虫通1-11-5 チンチン電車の西側に位置する
後鳥羽上皇、寵愛の白拍子松虫、鈴虫姉妹が法然の念仏に発心し、当地に隠れ住んだとして知られる
「松虫塚」に立つ榎の木で、樹齢は驚異の800年
伊藤静雄 文学碑-------秋の野に 人まつ虫の声すなりわれかと行きて いざとぶらはむ
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