週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

為因寺 2020.01.16

2020年01月24日 | 神社仏閣

(為因寺) (イインジ)右京区梅が畑奥殿町46  住職不在
https://kyotofukoh.jp/report657.html   
1221年中御門宗行(葉室宗行)の後室・戒光が公卿・西園寺公経が援助により、承久の乱で刑死した夫を弔う為に建立したとも、高山寺・明恵上人が妻妾救済の為に建立したとも言われています。その後廃寺になるが、再興され、華厳宗から浄土宗に改められました

 

 

宝篋印塔・高山寺に連なる形の宝篋印塔(重文)で、我国の宝篋印塔中 最も古い様式を示す             宝篋印塔(重要文、鎌倉中期 1265年、花崗、高さ 210Cm)

「文永二年(1265)乙丑(きのとのうし)、八月八日建之」と刻まれている

                                       全体像

 

善妙大明神 京都市右京区梅ケ畑奥殿町  為因寺の横の道を山に登ったところにある
https://kyotofukoh.jp/report356.html 

創祀は不明。「善妙」という名は「義湘大師」とともには高山寺に所蔵されている国宝『華厳宗祖師絵伝』に描かれる。

 善妙は中国の唐の時代に、港町に住んでいた長者の娘であった。新羅から仏教を学ぶために来唐した義湘が、その港町で乞食をしているとき、善妙は義湘に憧れ、恋心を伝えた。しかし、義湘はそれを断り、その淫心を諭した。善妙は恥じ入り、道心を起こす。やがて、義湘帰国の時、善妙は義湘のために用意した仏具を海に投げ入れ、自分の入水した。善妙の想う心は昇華し、その身を龍と変えて義湘の航海を守ることになる

  『華厳宗祖師絵伝』は高山寺中興の祖と言われる明恵上人が発案し、制作されたもの。承久の乱で未亡人になった武家の妻を栂尾にかくまい、彼女たちに善妙の物語を説いて、救済を願ったとされる。また彼女たちのために、蓮華谷に善妙寺という尼寺を建てた。蓮華谷は善妙大明神から谷を挟んで東北にあたり、寺と大明神との関係性がうかがわれる。

              Kyotofukoh より

 

 

 

 

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