椋樹山大聖勝軍寺で、現在は高野山真言宗に属する。太子町の叡福寺が「上の太子」と呼ばれるのに対して、「下の太子」の名で親しまれている。寺伝では、聖徳太子子が、渋川の阿刀の館にいた物部守屋を滅ぼすにあたって、信貴山の毘沙門天に祈願し、四天王を祀ってその加護により守屋を討って、戦勝を得ることが出来たので、難波の高台に日本仏教最初の四天王寺を建立し、この渋川に勝軍寺を創建して、自身十六歳の植髪(うえがみ)の太子像と四天王像を安置したという。
本堂の太子殿には、太子植髪像を安置し、その脇に弓矢を持つ四天王像を祀っている。これは4人の関係者をおのおの四天王になぞらえたもので、右から持国天(蘇我馬子)、多聞天(秦川勝)、広目天(迹見赤檮)、増長天(小野妹子)の四体となっている
内陣
神妙椋樹
一願不動
以下聖徳太子ゆかりの名宝図録より
四天王立像
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