本堂
阿形 吽形
護摩堂
不動明王
法華寺
中山寺
葛井寺 再訪 藤井寺市藤井寺1-16-21
百済からの渡来者、葛井連(ふじいのむらじ)の氏寺として創建されます。
その後、平城天皇妃の藤継子やその子阿保親王、在原業平などの葛井氏系による整備により、東西両塔(三重塔)をそなえる七堂伽藍を有する大寺院になります。室町時代明応2年(1493)の兵火で伽藍諸堂が消失、永正7年(1510年)8月8日の大地震により焼け残った本堂も倒壊しました。解説版より
南大門
外陣
内陣
観音堂と出世地蔵
観音堂内
大師堂
千手千眼観世音菩薩像 手が1041本 ニッポンの国宝仏像50 より
辛国神社 藤井寺市藤井寺1丁目19-14
当社は今から千五百年程前、雄略天皇の御代に創建された神社で、平安時代には官社となり、式内社として人々の尊信を集めてきた神社である日本書紀に、『雄略13年春3月、餌香長野邑を物部目大連に賜ふ』とあり、この地方を治めることになった物部氏が、その祖神・饒速日命を祀り神社を創設したのが当社の始まり
古絵図
絵馬
参道
春日稲荷社
春日稲荷社
春日稲荷 拝殿
春日天満宮
斎館
拝殿
本殿
辛国の池
池
庭石
当麻寺 奥の院
奥の院 正玄関
奥の院本堂
阿弥陀堂
阿弥陀堂 内陣
阿弥陀如来
藤
奥の院 黒門
奥の院 黒門
奥の院への階段
納骨堂
五輪塔
三界万霊
中将姫
参考 当麻寺 Home page
當麻寺奥の院 500円
奥院を開山した誓阿普観上人は、知恩院の12代目の住職でもあります。当時、京都は南北朝分裂後の混乱で常に戦火の危険性に満ちていました。法然上人の夢告を得た誓阿普観上人は後光厳天皇の勅許を得て、知恩院本尊として安置されていた法然上人像(重文)を撰択本願念仏集(重文)や法然上人所縁の宝物とともに、當麻寺へと遷座し往生院(今の奥院)を建立したのです パンフレットより
浄土変相パンフ
浄土庭園
パンフ
大方丈
阿弥陀堂
水子地蔵
楼門
フジ
浄土庭園
鯉
當麻寺・宗胤院 ソニイン 葛城市当麻1263
當麻寺来迎山宗胤院は享禄・天文時代を中心に當麻寺の営繕に携わった勧進聖の筆頭、宗胤上人を始祖とする寺である ぼたんの花よりも茶花、山野草に重きをおいている寺院 ここの住職は、2001年にローマ法王に謁見 個展も開いたという 画像は○○円
2017.05.11 参拝
玄関
以下 撮影 住職 許可済み
弥勒菩薩
庚申
西南院 当麻寺塔頭 入園料300円 関西花の寺第21番霊場。西南院は牡丹・石楠花(シャクナゲ)・樹齢300年を超えるモミジが知られています。牡丹・石楠花は一緒に楽しめます。
パンフレット
入口
西塔 東塔 パンフ
池に映る西塔
芍薬
芍薬
牡丹
花桶
花いかだ
花いかだ
脳天仏
庭園
書院
水琴窟
通路の牡丹
西南院 葛城市當麻1263 当麻寺塔頭
当麻寺へ行く途中のツツジ
西塔
本尊
庫裏
牡丹
芍薬
芍薬
牡丹
芍薬
牡丹
芍薬
牡丹
牡丹
ハンカチの木
芍薬
ナンジャモンジャ
芍薬
歌碑
白山木
藤
花桶
芍薬
牡丹
牡丹
牡丹
牡丹
西南院 葛城市當麻1263 当麻寺塔頭
当麻寺へ行く途中のツツジ
西塔
本尊
庫裏
牡丹
芍薬
芍薬
牡丹
芍薬
ぼたん
絵葉書を整理していたら、40年前の 鬼押出しが出てきた
鬼押出し 群馬県吾妻郡嬬恋村 「浅間山鬼押出し」の中央に鎮座する、東叡山寛永寺別院浅間山観音堂は、浅間山噴火罹災者への慰霊と自然への畏敬をもって、その平穏を祈願する道場です
以下 Post card より
溶岩
噴石
観音堂
奥の院
持国天
鐘撞堂
惣門と浅間山
シャクナゲ
イワカガミ