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神戸華僑歴史博物館特別展 「神戸を愛し神戸に生きた陳舜臣」観覧記 on 2024-2-21

2024年03月29日 04時50分23秒 | 神戸情報
2024年2月21日、神戸華僑歴史博物館特別展「神戸を愛し神戸に生きた陳舜臣
観覧しました。その時に撮った写真及び関連写真を紹介します。
この特別展は直木賞作家の陳舜臣さんの生誕100年を記念して企画されました。
特別展は終了しています。

陳舜臣さんは1924年(大正13年)2月18日神戸生まれ
2015年1月21日午前5時46分、90歳、老衰のため神戸市内の病院で死去されています。 

特別展要項  
テーマ:「神戸を愛し神戸に生きた陳舜臣」
会期:2024年1月31日~2月24日の水曜~土曜及び2月11日(日)
但し2月23日(祝)は休館
会場:神戸華僑歴史博物館(神戸市中央区海岸通3丁目1−1 神戸中華総商会ビル 2F )
神戸華僑歴史博物館のTEL:078-331-3855 
開館時間:10:00~17:00
主催:孫文記念館友の会、神戸華僑華人研究会、神戸華僑歴史博物館

所在地のGoogleマップを添付しておきます。


最初に概要を掴むため、サンテレビが作成したYoutube動画にGooで共有させていただきました。
神戸華僑歴史博物館特別展 「神戸を愛し神戸に生きた陳舜臣」

展示遠景
上の写真は特別展の展示遠景
特別展は「陳舜臣さんを語る会通信」を2020年からネットで発信されている
神戸華僑歴史博物館の学芸員の橘雄三さんが主に動いて展示されました。

特別展あいさつ(館長)

上の写真は神戸華僑歴史博物館長(愛新 翼さん)が書かれた特別展の開催に寄せての挨拶文
陳舜臣さんの写真
上の写真は2003年、陳舜臣さん79歳頃の写真

特別展概要

陳舜臣さんの紹介


パネルNo.6
上の写真は神戸華僑歴史博物館の学芸員の橘雄三さんが企画展に合わせ作成された
13枚のパネルの中の一部(No.6  作品に描かれた神戸2)です。
このパネルの1番下の写真(2015年撮影)は私が撮った写真が使用されています。
陳舜臣さんが須磨寺を訪れた時に作った七言絶句2首の歌碑が現在も建っています。
私のブログで詳細に書いていますのでリンクしておきます。

その他のパネルで陳舜臣さんの神戸市内での引っ越し歴や、推理小説などの
舞台となった神戸の街並みなどが紹介されています。
神戸に生まれ、神戸で亡くなった陳舜臣さんの神戸愛を感じ取ることができる
展示となっています。

陳舜臣作品(推理小説)


陳舜臣作品(一般)



陳舜臣作品(海外版)


陳舜臣さんは生涯で約250点の作品を残しているそうです。

陳舜臣さんの生涯
参考資料:
 3) 神戸開港150年事業「神戸 みなと 時空」の展示

大正13年(1924)2月18日 台湾人貿易商の次男として神戸・元町7丁目に生まれた。
          父:通 母:蘇嬌 本籍は台湾・台北市
昭和5年(1930)6歳 神戸市立諏訪山尋常小学校に入学
昭和6年(1931)7歳 中央区北長狭4丁目に転居
昭和7年(1932)8歳 神戸尋常小学校に転校
昭和9年(1934)10歳 神戸市海岸通5丁目に転居
昭和11年(1936)12歳 4月、神戸市立第一神港商業学校
昭和12年(1937)13歳 秋に、父の店に特高警察が踏み込む事件が起きる
昭和16年(1941)17歳 4月、大阪外国語学校印度語部に入学
昭和17年(1942)18歳 この頃、台湾から日本の学校に受験する青年達が陳家に泊まった。
        彼らから刺激を受け、中国の文学作品を多く読む。
        新学期にモンゴル語科の福田定一(司馬遼太郎)が入学
        第2外国語としてペルシャ語をとる
昭和18年(1943)19歳 春から秋に大阪のガスビル斜め前の「大防空壕」堀に動員される
        9月、繰り上げ卒業し、母校の阿南亜細亜語研究所助手になる。
昭和19年(1944)20歳 陳家は貿易商仲間の蔡家が所有する北野町1丁目の洋館に間借り
        空襲警報が鳴るとここに避難した。
昭和20年(1945)21歳 3月13日、大阪外国語学校は空襲で殆ど焼け落ちた
        3月17日の神戸大空襲で海岸通の家が焼ける
        神戸市垂水区の御霊町の一軒家に引っ越す
        藤沢恒夫の勧めで「清文学」3月号に「印度現代詩抄」掲載
        日本の敗戦で日本国籍ではなくなり大阪外国語学校を退職
昭和21年(1946)22歳 学者を諦め台湾に渡ることを決意
        蔡錦墩 と婚約
        3月、台湾の叔父の家、台北県に住所を移す
        台北県立新荘初級中学の英語教師として勤務
昭和24年(1949)25歳 10月、日本に帰る 帰国直後に初めて小説を書く
        家業(ちちの経営する貿易業)に従事
昭和25年(1950)26歳 3月26日、5歳下の蔡錦墩 と結婚
                新居は神戸市生田区布引町2-3-19
        
昭和27年(1952)28歳 1月、生田区北野町1-7 外人アパートに転居
         5月14日 長男 立人誕生
昭和32年(1957)33歳 10月、生田区北野町1-31 妻の実家に転居
        この頃からぼちぼち小説を書き始める
昭和33年(1958)34歳 1月1日 長女、山果誕生
昭和34年(1959)35歳 
   長女を看病中に推理小説を読み「これくらいなら自分にも書けるかも」
   とペンを取る。これが1961年のデビュー作「枯草の根」講談社につながる
昭和35年(1960)36歳 10月 「風のなか」が第11回文学新人賞の最終審査候補作となる
昭和36年(1961)37歳 「枯草の根」で第7回江戸川乱歩賞を受賞 作家生活に入る
    この作品は500枚の長編推理小説で主人公は「陶展文」
    この頃、「コスモポリタン(国際人)」を自任
上の写真は「枯草の根」に関する解説パネル
出典:神戸開港150年事業「神戸 みなと 時空」の展示 in KIITO
  2017年1月25日~12月28日開催 陳舜臣と神戸ミステリー館の展示
  2017年1月28日観覧

昭和37年(1962)38歳 
       「三色の家」講談社  のち文庫、扶桑社文庫
 三色の家のモデル神戸市海岸通5丁目の家は昭和20年(1945)の神戸大空襲で焼失していた。
上の写真は「三色の家」に関する解説パネル
フランス国旗の家とも呼ばれていた。
出典:神戸開港150年事業「神戸 みなと 時空」の展示 in KIITO
  2017年1月25日~12月28日開催 陳舜臣と神戸ミステリー館の展示
  2017年1月28日観覧
上の写真は「三色の家」の復元模型 明石高専 水島あかね研究室
出典:神戸開港150年事業「神戸 みなと 時空」の展示 in KIITO
  2017年1月25日~12月28日開催 陳舜臣と神戸ミステリー館の展示
  2017年1月28日観覧

       「弓の部屋」東都書房  のち講談社文庫
       「割れる 陶展文の推理」早川書房  のち角川文庫、徳間文庫
以上の3つの作品では神戸在住の華僑で中華料理店「桃源亭」の経営者陶展文が活躍
       「怒りの菩薩」桃源社  のち集英社文庫
       「方壷園 推理小説集」中央公論社   のち文庫
昭和38年(1963)39歳
    「天の上の天」講談社  のち徳間文庫(『宝石』1963年9月-)
昭和39年(1964)40歳
  「白い泥」学習研究社(ガッケン・ブックス) のち徳間文庫
  「まだ終らない」角川小説新書  のち徳間文庫
  「月をのせた海」東都書房  のち徳間文庫
  「黒いヒマラヤ」中央公論社  のち文庫
昭和40年(1965)41歳
  9月「神戸というまち」を書き下ろし至誠堂新書として発行
昭和41年(1966)42歳
  3月 生田区山本通4-72-16に転居
  辛亥革命にかかわる推理小説「炎に絵を」をオール読物5月号から8月号で連載
  12月 長編推理小説「影は崩れた」を読売新聞社より刊行
     灘区篠原伯母野山3-1-14に家を新築 転居
昭和42年(1967)43歳
  朝日、毎日、東京、サンケイ、「現代」、「旅」などに多くの新聞や雑誌にエッセイ寄稿
  10月、11月 中国歴史小説(約3千枚)「阿片戦争」(全3巻)講談社
昭和43年(1968)44歳
  「孔雀の道」を神戸新聞5月12日から12月31日まで連載
   長編小説「濁った航跡」を読売新聞社から書き下ろし出版
  9月 歴史推理小説「青玉獅子香炉」を「別冊・文藝春秋」に掲載
  神戸市民主催の「半どんの会」賞を受賞
昭和44年(1969)45歳
  1月 第60回直木賞(1968年下半期)「青玉獅子香炉」で受賞
   「玉嶺よふたたび」徳間書店
   「幻の百花双瞳」講談社   のち角川文庫、徳間文庫
   「孔雀の道」講談社 のち文庫、双葉文庫、広済堂文庫
  7月、中国現代史に村をとった推理小説「凍った波紋」をサンデー毎日7月27日号から
    1970年5月24日号まで連載
   「銘のない墓標」講談社  のち徳間文庫、中公文庫
   「他人の鍵」文藝春秋
昭和45年(1970)46歳
  3月 「玉嶺よふたたび」、「孔雀の道」で昭和45年度日本推理作家協会賞
  5月 アメリカとカナダを旅する

昭和46年(1971)47歳
  5月18日 父、通が死去(76歳)
  書き下ろし長編エッセイ「日本人と中国人」祥伝社 ベストセラーに
  「実録アヘン戦争」で第25回 毎日出版文化賞を受賞
  「残糸の曲』朝日新聞社  のち角川文庫、徳間文庫、朝日文庫
  「異郷の檻のなか」中央公論社
  「六甲山心中」中央公論社
  「北京悠々館」講談社  のち徳間文庫、集英社文庫
  「崑崙の河」三笠書房 のち角川文庫、徳間文庫、中公文庫、広済堂文庫
  「なにも見えない」講談社 1971年 「望洋の碑」徳間文庫
  「夜の歯車」実業之日本社(ホリデー新書)  のち徳間文庫
昭和47年(1972)48歳
  7月 はじめて夫人と一緒に沖縄を訪れる
  10月 初めて中国に行く 身分は日本の旅券
    日中国交回復から中国各地、シルクロードなどを旅
  「南十字星を埋めろ」実業之日本社(ホリデー新書) のち徳間文庫
昭和48年(1973)49歳
  中華人民共和国の国籍を取得。以降、台湾に入れなくなった
  海洋ロマンとも言うべき「風よ雲よ」中央公論社  のち講談社文庫、中公文庫
  「中国任侠伝」(正続) 文藝春秋  のち文庫、徳間文庫
  「長安日記 賀望東事件録」毎日新聞社 中公文庫
  「柊の館」講談社
  「虹の舞台」光文社カッパ・ノベルス  のち角川文庫、徳間文庫
  「失われた背景」サンケイ新聞社  のち中公文庫
昭和49年(1974)50歳
  「秘本三国志」(全6巻)文藝春秋 1974年-1977年のち中公文庫
  「青雲の軸」旺文社文庫  のち集英社文庫
昭和50年(1975)51歳
  8月から9月 敦煌を旅する
  10月 神戸市民文化賞を受賞
  「青春の烙印 神田希望館」講談社  のち徳間文庫
  「新西遊記」読売新聞社 のち講談社文庫
  
昭和51年(1976)52歳
  3月12日 母、蘇嬌が死去
  9月「敦煌の旅」で第3回大佛次郎賞
  「桃花流水」朝日新聞社  のち中公文庫、朝日文庫
昭和52年(1977)53歳
  7月 中国シルクロードを旅する
 「旋風に告げよ」講談社 
 「鄭成功」中公文庫
 「小説十八史略(全6巻)毎日新聞社 1977年-1983年 のち講談社文庫
 「闇の金魚』講談社  のち徳間文庫(書き下ろし)
 「蘭におもう」六興出版 のち徳間文庫
昭和53年(1978)54歳
 「漢古印縁起」講談社  のち中公文庫
 「燃える水柱」徳間書店 のち広済堂文庫

昭和54年(1979)55歳
  5月、NHK特別番組「シルクロード」制作にあたり中国西安へ行く
  12月 インドの仏蹟をまわり、タイから帰国
昭和55年(1980)56歳
  4月 特別番組「シルクロード」第1部「中国編」が始まる
昭和56年(1981)57歳
  4月 松陰女子大学の教授となり文学概論の講座をもつ(1998年3月まで)
昭和57年(1982)58歳
  9月から10月にかけてNHK「シルクロード」の取材でイランに行き、
  トルコ、ローマ、北京を経て帰国
  10月 韓国を訪ねる
昭和58年(1983)59歳
  1月から2月にかけタイ、シンガポール、アメリカを訪ねる
  10月 第20回日本翻訳文化賞「叛旗 小説・李自成」(弟の陳謙臣と共訳)
  「中国五千年」平凡社  のち講談社文庫
昭和59年(1984)60歳
  6月 ローマ、パリ、ロンドンを訪れる
昭和60年(1985)61歳
  2月 NHK「シルクロード」関連番組への出演などにより第36回放送文化賞
昭和61年(1986)62歳
  4月 アメリカからイギリスへ旅する
  8月 イスタンブール、ジュネーブ、パリ、ロンドンを訪ねる
  10から11月にかけて上海・浙江を取材訪問
昭和62年(1987)63歳
  4月「茶事遍路」の取材に中国訪問(黄帝陵を参拝。成都、昆明、西双版納傣(シーサンパンナタイ)族自治州・ 景洪県へ )
  8月 妹・妙齢らと中国を旅する(北京、承徳、旅順、大連、天津など )
  12月 中国を旅する(上海、福州、泉州、安渓、廈門など )
昭和63年(1988)64歳
  1月、蒋経国総統死去。副総統李登輝が総統に 
  9月、峨眉山へ 
昭和64年、平成元年(1989)65歳
  2月 「茶事遍路」で第14回読売文学賞の随筆・紀行賞
  6月4日 天安門事件
平成2年(1990)66歳
  3月 李登輝、総統選挙で選出される 
  10月 日本国籍を取得
  11月 41年振りに訪台
平成3年(1991)67歳
  3月に中央公論社から出版の「諸葛孔明」(上・下)がベストセラー
  5月から6月「世界の都市の物語」の取材でウィーンに滞在後トルコ・カッパドキアなど訪問
  6月から7月 読売新聞の企画でチンギス・ハーンの墓を探すプロジェクトでモンゴルを訪問
  10月 韓国を訪問
  11月 台湾へ旅する。台北、高雄、花蓮、台東など を歩く
平成4年(1992)68歳
  1993年度NHK大河ドラマ「琉球の風」取材で沖縄各地を度々訪問
  3月 ロンドンに大英博物館を訪問
  「諸葛孔明」で第26回吉川英治文学賞
  9月22・23日「日中文化・経済シンポ」(大連)で基調講演を行う
   北京に引き返し取材や中国人作家を訪問
  9月28日 北京人民大会堂で「中日国交正常化20周年記念宴」に出席
   愛親覚羅溥傑に会う
平成5年(1993)69歳
  元旦 司馬遼太郎の「街道をゆく」の取材同行で台北へ
  1月27日 第63回朝日賞受賞
  NHKで大河ドラマ「琉球の風」が始まる
  5月「那律楚村」の追加取材で中国へ行く
  6月「紙の道」の追加取材でロシア、カザフスタン、ウズベキスタン、モスクワなどを歩く
  9月 台北市に「陳舜臣と書室」がオープンし開館式が行われた
平成6年(1994)70歳
  5月 「那律楚村」がベストセラーになる
  5-6月 フランス、シリア、トルコ、イスラエル、ヨルダン、エジプト、イタリアへ
  7月 台湾に行く
  8月10日 宝塚歌劇80周年記念行事の講演中に脳内出血で倒れ入院
平成7年(1995)71歳
  1月13日 5か月間の闘病を終え退院
  その4日後、阪神淡路大震災、不自由な身体でもあるので2日後ホテルに入り
  1週間ほど滞在した後、元々リハビリで行く予定にしていた沖縄へ
  3月 第51回 日本芸術院賞を受賞
  10月 台湾へ行く
  11月 井上靖文化賞を受賞
平成8年(1996)72歳  
  4-5月 中国に遊び、敦煌を訪れる
  9月  台湾を訪ねる
  10月 神戸市東灘区西岡本2-7-2に転居
  10月 大阪芸術賞受賞
平成9年(1997) 73歳 

  2月 次の毎日新聞連載小説「天球は翔ける」の取材を兼ねてハワイへ旅行
  3月下旬 香港返還の意味を見つめ直すテレビ朝日の番組で紫禁城で収録
  6月 ニューヨークに行く
  7月 ハワイへ行き、リハビリ
  10月ー11月 台北から香港へ旅する 
平成10年(1998) 74歳
  1月―2月 ハワイへ 脳内出血以降、寒い時期に暖かい場所へ行くようになる
       ハワイ天理文庫に陳舜臣文庫開設
  5月 上海、台北に遊ぶ
  6月 ハワイのワイキキの浜でリハビリ
  8月 アメリカを取材、イギリスに渡り帰国
  11月 勲三等瑞宝章を受章
  「曹操残夢 魏の曹一族」がベストセラーに
平成11年(1999) 75歳
  「陳舜臣ライブラリー」が早稲田大学総合学術情報センターに設置
  7月 「小説すばる」連載予定の「桃源郷」取材のため中国雲南省へ行く
平成12年(2000) 76歳
  台北で結婚50年を祝う会
  8月 「桃源郷」の追加取材でスペイン、ポルトガルへ行く
平成13年(2001) 77歳
  2月 ハワイ、ラスベガスに遊ぶ
平成14年(2002)78歳
  5月 「毎日新聞インターナショナル」のオープニンキグセレモニーにパネリストとして
     ロスアンゼルスへ行き、キューバも取材する
平成18年(2006) 82歳 
  講談社「群像」にて「天空の詩人」を連載(遺稿になる)
平成20年(2008) 84歳
  1月5日 2度目の脳内出血で倒れる 
平成21年(2009) 85歳
  神戸新聞「わが自叙伝」を口述筆記で連載
平成22年(2010) 86歳 
  7月 台湾の一滴水記念文庫開設される
     水上露子氏と窪島誠一氏と台湾で対談
平成23年(2011) 87歳
  妻未知(蔡錦墩) 5月15日に逝去
平成26年(2014) 90歳
  5月6日 陳舜臣アジア文芸館プレオープン。開館直前に車椅子で訪館
平成27年(2015) 91歳
  1月21日 老衰で逝去。この日を桃源忌とする。                                                                                             


陳年舜臣さんの家族の写真

上の写真は陳舜臣さんの両親 出典:神戸ものがたり(2017)Page208
上の写真は祖父の陳恭和さん 出典:神戸ものがたり(2017)Page211
上の写真は陳舜臣さんと妻・未知、長女・由果 出典:神戸ものがたり(2017)Page252

陳舜臣さんの国籍
 陳さんは1972年の日中国交正常化後に中華人民共和国籍を取得し、何度も中国を旅行した。1989年の天安門事件を経て再び日本国籍を得ると、今度は台湾訪問を重ねた。

陳舜臣さんと司馬遼太郎さん
作家、陳舜臣さんと司馬遼太郎さんの関係は陳さんが1941年に大阪外国語学校
(現大阪大学外国語学部)に、司馬さんは翌42年に入学の同窓生です。
卒業後それぞれ違う道を歩み始めたように見えたが、同じ歴史を舞台にした小説家へ
神戸華僑歴史博物館で開催中の特別展では、東京への転居を考える陳さんに、
司馬さんが「神戸、関西から離れるのは賛成できないなぁー」と語ったと
紹介されています。2人の命日は桃源忌、菜の花忌と呼ばれる。
色鮮やかな桃に黄色がまばゆい菜の花。春が似合う二人である。



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