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平城宮跡東院地区の発掘調査(平城第593次調査) で台所跡などが見つかる

2017年12月27日 07時01分40秒 | 奈良情報
平城宮跡東院地区の発掘調査(平城第593次調査) で奈良時代後半の大型井戸跡と、
水路でつながる建物跡が見つかり、奈良文化財研究所が2017年12月21日発表した。

続日本紀には天平勝宝6年(754)1月7日46代女帝孝謙(48代称徳)天皇(2度即位)は
東院で五位以上の役人と宴会(後の白馬の節会に相当)をしたこと、さらに
神護景雲3年(769)1月17日、宝亀1年(770)1月8日にも宴会が開催された
記録が残っています。また種々の儀式もこの時期東院で挙行されていました。
49代光仁天皇(在位770-781)の時代にも773年に完成した東院・揚梅宮で
宴会が行われたことが上述の続日本紀で記載されています。


これらの儀式や宴会を支える台所跡であった可能性がある発掘担当者が発言されていました。

現地説明会は12月23日(土)に行われました。
現地説明会に行けませんでしたがTVや新聞報道から纏めてみました。


上の写真は今回見つかった井戸跡、水路、建物跡の発掘現場 
  出典:TV報道(12/24MBS)より

井戸は約4m四方で、周囲を囲む石組みを含めると南北約9m、東西約9・5mと平城宮最大級。
溝を覆う建物跡は南北9m、東西18m以上と推定されるそうです。



上の写真は現場説明会(2017-12-23)の様子 出典:TV報道(12/24MBS)より


上の写真は平城宮跡付近の航空写真 
  出典:平城宮跡資料館(奈良文化財研究所)のパネル展示
平城宮は約1Km四方の敷地と東側に東西約250m、南北750mの張り出し部を持ち、
その南半分の南北350mの範囲を東院地区と呼んでおり皇太子がいる時はその居所
「東宮」として、いない時は内裏に準ずる天皇の居所「東宮」、「東院」、「東内」
として利用され、神護景雲元年(767)に完成した東院玉殿(瑠璃色の瓦を葺き彩色)
宝亀年間(770~780)には「揚梅宮(やまもものみや)」に改造
高麗福信(*1)が造営卿として造営を担当

 *1 Wikipediaより引用
 高倉 福信(たかくら の ふくしん、和銅2年(709年) - 延暦8年10月8日
(789年11月3日)は、奈良時代の公卿。氏姓は背奈公のち背奈王、高麗朝臣、高倉朝臣。
高句麗王族と伝承される背奈福徳の孫で、背奈福光の子。官位は従三位・弾正尹。



上の写真は奈良時代後期の平城宮
 出典:平城宮跡資料館(奈良文化財研究所)のパネル展示





上の2枚の写真は発掘された遺物。
 土師器の甕(かめ)、すり鉢、タライなどが出土
 出典:2017-12-23NHKテレビの報道






上の3枚の写真は発掘担当者の解説    出典:2017-12-23NHKテレビの報道






上の3枚の写真は奈良時代における食事の再現
  出典:平城宮跡資料館(奈良文化財研究所)の展示及びパネル展示

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