久しぶりに岩国情報に関する記事を投稿します。
テーマは2014年3月25日に建立、除幕式が挙行された「藤岡市助博士の銅像」です。
銅像は現地で写真を撮ったものではなく、Googleのストリートビューでバーチャル
訪問したものです。
上の2枚の写真が藤岡市助博士の銅像です。 Googleストリートビュー(2018年4月)
岩国美術館の前、岩国城に登るロープウェーの横にあります。
駐車場側からが正面(上の写真)、岩国美術館側からは裏面(下の写真)
写りが悪いので2014年5月の広報いわくにに掲載の除幕式(2014年3月25日挙行)の
時の様子を紹介した写真も添付しておきます。(下の写真)
2014年3月25日の除幕式は福田良彦市長、東芝の田中久雄社長など関係者150人が出席
して盛大に行われたようです。台座には「明るい未来へ」と書かれています。
銅像は藤岡市助博士顕彰会が岩国市出身の彫刻家「小川幸造さん」に依頼し制作された。
銅像の建立費用は500万円で東芝と東芝ライテックが寄付したものである。
寄付に関する記事は下記サイトをご参照ください。
東芝:ニュースリリース (2013-09-25):岩国市に建立される藤岡市助博士の銅像への寄付について (toshiba.co.jp)
今迄に添付した銅像の写真では顔の表情が判らないのでたくさんの銅像写真を紹介
しているサイトにリンクさせていただきました。
藤岡市助博士像 クチコミ・アクセス・営業時間|錦帯橋周辺【フォートラベル】 (4travel.jp)
藤岡市助博士(1857-1918)は「日本のエジソン」「日本の電気の父」と称され、
岩国出身の偉人です。
以前に「日本のエジソン 藤岡市助 山口県岩国市が生んだ偉人」と題してブログ
を書いていますが再掲載し、藤岡市助の業績を紹介します。
上の写真が藤岡市助先生である。
まず、Wikipedia(一部加筆)より藤岡市助氏のプロフィールを紹介したいと思います。
安政4年 3月14日周防国玖珂郡岩国町大字錦見 (現在の岩国3丁目15-5)
(1857) 岩国藩士藤岡喜介と妻ウメの長男として生まれた。
慶応元年 藩校の養老館に入る。
(1865)
明治5年 岩国県語学所で英語の読書や会話、習字、算術などを学ぶ
(1872) 特にイギリス人の英語教師 スティーブンス先生の指導によるところが
大きかった。
スティーブンス先生については小生のBlogにて紹介
スティーブンス先生(Herbert Augustus Stevens氏)は岩国のあと
神戸の裁判所に勤務されています。墓は神戸の外人墓地にあります。
明治8年 旧藩主吉川経健から奨学金を得て工部寮電信科入学。合格者は6名であった。
(1875) 在学中にウィリアム・エドワード・エアトン教授に学び、学生として1878年3月25日
の銀座木挽町での日本初のアーク灯点灯実験に参加している。
この日は電気記念日となっている。
ウィリアム E エアトン教授の紹介は小生のBlogにて記載
明治13年 電信技術の教科書「電信初歩」を書く。(23歳)
(1880)
明治14年 名称が変わった工部大学校を首席で卒業。(24歳)
(1881) 卒業論文は「測定器ガルバメーターに就いて」。工部大学校の助手に就任する。
この頃、東芝創業者となる田中久重に会う。
明治15年 銀座大倉前で2000個のアーク灯を点灯する。
(1882)
明治16年 アーク灯用の発電機を設計製作。
(1883)
明治17年 工部大学校教授に就任。物理学、電信学を教える。(27歳)
(1884) フィラデルフィア万国電気博覧会を視察し、ニューヨークに立ち寄り
トーマス・エジソンに会う。
明治19年 帝国大学工科助教授に就任。同年に辞職し、山尾庸三の
(1886) 尽力で東京電燈を設立する。
東京電燈の設立には矢島作郎、三野村利助、大倉喜八郎、原六郎、
柏村信、蜂須賀茂韶が参加し、設立されようとしていた「日本電灯」も合流している。
合流には渋沢栄一が関わっている。
発電機の交流直流論争において、岩垂邦彦が親交の深かったエジソンに
逆らってもニコラ・テスラの交流に賛意を示したのに比べ、東京電燈の
技師長であった藤岡がエジソンの直流側についたのも有名である
(但し、藤岡の説得で財界シンジケートが組まれて資本投下をされていた為、
後戻りできなかった事情も窺える)。
明治23年 三吉正一と電球製造の白熱舎(後に東京電気から東芝へと発展)創設。
(1890) 電車を発表、浅草凌雲閣にエレベーターを作る。
日本電気協会会長、東京電気社長、岩国電気軌道社長などを歴任。
同郷の先輩に江木千之氏がおり電球製造の後援者となる。
上の写真は藤岡市助先生の4回の欧米視察についてまとめたパネルの写真です。
(岩国学校資料館に展示)
第1回 明治17年(1884)8月~12月 フィラデルフィア万国電気博覧会とアメリカの
電気業界視察。
第2回 明治19年(1886)12月~翌年6月
東京電灯会社の技師長として矢嶋社長と欧米各国を視察
イギリスのスワン会社の電球製造機を購入
第3回 明治31年(1898)2月~12月
東京電灯会社と帝国大学工科大学を辞職した市助は、自らの研究を自由に
進めていくための視察を行った。
電気鉄道や電球、水力発電については特に観察と調査研究を重ねた。
第4回 明治39年(1906)3月~翌年9月
吉川男爵など5人の同郷の人達や途中合流した長男の圭助と共に欧米諸国
を巡り、高速電気鉄道や電球製作、大型水力発電所等を視察し各国の
先進技術に触発された。
上の写真は岩国学校資料館での展示で、藤岡市助先生が愛用していた机と椅子。
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