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明石市市制施行100周年イベント予定 目玉は11月23日-24日開催予定のB-1グランプリ

2019年01月15日 17時12分15秒 | 神戸市以外の兵庫県
大正8年(1919)11月1日に誕生した明石市は、2019年11月1日に100周年を迎えます。


2019年1月1日に発行された広報あかし No.1276号に100周年を記念して予定されている
イベントカレンダーが紹介されています。
関連写真やサイトの紹介を交えて書いていきます。

イベントカレンダー
3月
 23日(土)築城400周年開会式典&オープニングイベント
    プロの和太鼓奏者による「とき打ち太鼓演奏」が披露されます
 29日(金)~
    4月2日(火) 桜のライトアップ

4月
 27日(土)~5月6日(月・休) 明石薪能・能舞台活用イベント

5月
 2日(木・休) あかし伝統夢まつり
          布団太鼓34台 獅子9頭が集結競演の予定

 11日(土)流鏑馬


8月
 1日(木)~9月1日(日) 光の明石城 坤櫓、巽櫓と石垣がカラフルにライトアップ
 
 中旬  テレビ東京 「開運!なんでも鑑定団」公開収録(予定)

9月
 上旬 佐渡裕指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団演奏会(仮)

 13日(金) 明石城観月会

 28日(土)~10月6日(日) 明石薪能・能舞台活用イベント

10月
 中旬  明石城まつり

11月
 1日(金)市制施行100周年記念日

 23日(土・祝)~24日(日) B-1グランプリ全国大会

 30日(土) 桜の記念植樹・築城400周年閉会式典

明石市誕生の頃


上の写真は大正8年(1919)11月1日、全国で81番目、兵庫県内では4番目の市として
誕生した明石市の市制を祝い11月25日から5日間にわたり祝賀行事が行われた時の
様子を示したものです。
提灯行列や相撲大会、花火、イルミネーションなど、市を挙げて盛大に祝賀イベントが
行われたようです。
出典:明石市立ふるさと図書館の展示


上の写真は市制施行を祝い当時の総理大臣原敬からの祝電を紹介したパネル
当時の市域は明石川より東側、人口は3万2000人余りでした。
出典:明石市立ふるさと図書館の展示


上の写真は大正13年(1924)の明石市の地図
出典:明石市立ふるさと図書館の展示

明石市の歴史
明石市の公式サイト(ホーム)へリンクさせていただきました。
 https://www.city.akashi.lg.jp/index.html

ホームから下記のように進んで下さい。
ホーム > 市政情報 > 各課室別案内 > 政策局 > 政策局 市制施行100周年記念事業推進室 > 明石の歴史を写真で振り返る

シンボルマーク


明石城築城400年の記念事業
次に兵庫県が明石城築城400年の記念事業として予定しているイベントを紹介(PDF)
しているサイトにリンクさせていただきました。
 https://web.pref.hyogo.lg.jp/press/documents/20181005_983_1.pdf

明石城の概要説明を明石城パンフレット(一部加筆)より引用紹介します。

「元和三年(1617)、小笠原忠真(おがさわら ただざね)が信州松本より
明石に国替えとなり、現在の明石城より南西約1km程の所にあった船上
(ふなげ)城に入ったことから明石藩が生まれた。
現在の明石城は、元和四年(1618)徳川二代将軍秀忠が、西国諸藩に対する
備えとして、藩主忠真に新城の築城を命じたことに始まる。
徳川秀忠は姫路城主であった本多忠政の指導を受けるように命じ、3ヶ所の
築城候補地をあげ、現在の地が選ばれた。幕府は普請費用として銀壱千貫目
(時価31億円程度)を与え、3名の普請奉行を派遣している。
この頃、姫路藩本多忠政に仕官していた宮本武蔵が町割り図を作った。

石垣の普請(=現在の土木工事)は元和五年(1619)の正月に始められ
工事は町人請負で行われたとされる。本丸、二の丸等の城郭中心の石垣、
三の丸の石垣、土塁及び周辺の堀の普請が同年八月中旬に終わり
、幕府より
派遣の普請奉行はその任を終え江戸へ帰参している。
幕府直営工事は本丸、二の丸、三の丸までで、その他の郭の石垣・土塁工事は
幕府と小笠原氏の共同工事で行われている。

普請を終え、同年九月から藩主忠真により櫓、御殿、城門、塀などの作事
(=現在の建築工事)が始められ、その用材は幕府の一国一城令により廃城と
なった伏見城及び同国の三木城などの資材を用いて建てたとされている。
創建当初の坤櫓については次の資料があり、伏見城の建物を幕府からもらい受け
移築されたことを示している。
「坤ノ櫓ハ伏見御城ノ櫓ナリシヲ此度公儀ヨリ公エ下サレコレヲ建ル」
                          『小笠原忠真年譜』
「幕府から伏見御城の三重櫓一つ下され、御本丸未申の角に立候也」
                           『笠系大成附録』
各建物の建築は翌元和六年(1620)四月に完了した。

築城当初の明石城は、本丸に三層の御殿を築き、四隅に三重の櫓を配したが、
天守台の石垣は築かれたものの、天守は建てられなかった。」




上の写真は明治19年(1886)測量の大日本帝国参謀本部陸軍部測量局が作成した地図に
掘、川、海、池など水に関する場所と西国街道を色付けしたものです。
外堀や藩主の居舘のあった内堀が正確に描かれているので江戸時代後期の姿に近いものが
推定できる地図でもあります。
また中堀でも現在は埋め立てられて見られない部分の以前の状態が判る。
出典:明石城関連絵図資料集Ⅱ 明石葵会 平成29年(2017)3月発行 Page44


上の写真は明治26年(1893)に出版された「明治新撰 播磨名所図絵」(中谷興助著 
大阪工新図匠舘) 昭和50年(1975)全復刻版に掲載の明石神社の図です。
明石城の本丸のかっての姿が描かれています。
本丸の4隅に3重の櫓が描かれています。廃城後の明治14年(1881)に取り壊された
北東の艮櫓(うしとらやぐら)や北西の乾(いぬい)櫓もかってはこんな位置に
あったことが判る絵です。
明石神社は明治19年(1886)に建立された当時の姿です。
下の方に明治21年(1888)に開通した山陽鉄道(後に国鉄、JR)の軌道と汽車も
描かれています。
人丸社として描かれている場所は現在一丸塚として案内板(下の写真)が掲示されています。



下の写真は艮櫓(うしとらやぐら)の現地説明板
説明で解体されたのは明治初期という表現になっていますが明治14年(1881)
に解体されたと思います。

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