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川崎正蔵翁の銅像 in 徳光院 その2

2015年09月29日 06時56分46秒 | 神戸情報
川崎 正蔵(天保7年7月10日(1836年8月10日)~大正元年(1912年)12月2日)は
薩摩出身の財界人。明治維新直後から、新政府に参画した松方正義、五大友厚ら
薩摩藩出身の政治家と深くかかわり造船業の他、海運、貿易、機械、砂糖など
多角経営の事業で成功すると、明治19年(1886)4月神戸で官営兵庫造船所の
払い下げを受け川崎造船所を設立。造船、汽車などの重機械生産で巨万の富を
得て、神戸川崎重工の基礎を築いた。


本日は以前書いた「川崎正蔵翁の銅像 in 徳光院」の続編で川崎正蔵翁の銅像
を建設した川崎芳太郎の銅像も含めて前回の補稿としたい。


上の写真が川崎正蔵翁の銅像と男爵川崎芳太郎の銅像です。
出展:石戸信也著 むかしの六甲・有馬 絵葉書で巡る天上のリゾートPage67

大正7年(1918)12月1日、布引丸山で川崎正蔵の銅像除幕式が行われ、東京や
京阪神の名士400人余が参列した。また所有の布引山を一般公開すると発表。

川崎芳太郎は川崎造船所の副社長(社長は松方幸次郎)を勤めていたが
大正8年(1919)12月病気のため公職も含めて辞任した。
翌大正9年(1920)7月13日に急逝した。

男爵川崎芳太郎の銅像は芳太郎の円満な人柄を慕う川崎造船所の社員・職工達が
協力して大正9年3月3日に建立されたものです。

上記2つの銅像は第二次世界大戦の金属供出で消失、台座のみが残る。


上の写真は2009-9-20に撮影した川崎正蔵像付近のものです。

川崎正蔵翁の銅像は養嗣子の川崎芳太郎(川崎正蔵の二女の千賀と従妹結婚)が
正蔵の追善のため銅像建立を計画。まず専門家4人に石膏の像を作ってもらい
生前の川崎正蔵をよく知る人に批評してもらい最後に新進彫刻家の久野惣十郎の
塑像になった。鋳造業社は東京大井町の千代田鋳金所の大久保隆技師であった。
銅像の上屋は建築図案家の渡辺仁が設計高さ9mのルネッサンス様式で背面の
石壁には古城貞吉撰、日高秩父揮毫の川崎正蔵の伝記を記載した青銅板が
はめこまれていた。

出典:神戸新聞 大正7年(1918)11月29日


上の写真は彫刻家の久野惣十郎氏が作製した川崎正蔵翁の塑像。
川崎重工蔵


上の写真は岩崎虔 著「川崎芳太郎」1921年から引用した川崎正蔵の銅像

書籍は神戸市立中央図書館で見れます。書誌は下記サイトで見れます。
 https://www.lib.city.kobe.jp/opac/opacs/find_detailbook?kobeid=PV%3A0000020964&mode=one_line&pvolid=PV%3A0000020964&type=CtlgBook


上記記事は三島康雄著 「造船王川崎正蔵の生涯」1993.7 同文館出版を参照し
書きました。


その他関連ブログ:
  川崎正蔵の菩提寺 大円山徳光院訪問 on 2009-9-20

  







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