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吉備津神社、児島、坂出への旅行記 on 2019-12-16&12-17 その1 吉備津神社

2019年12月18日 16時07分32秒 | 旅行記

2019年12月16日から1泊2日で吉備津神社、児島、坂出を訪問してきました。

今回はその第1回で吉備津神社(2019-12-16訪問)を写真紹介します。

吉備津神社の基本情報

住所:岡山市北区吉備津931 TEL:086-287-4111

主祭神:大吉備津彦大神

 

公式サイト:http://www.kibitujinja.com/

 

本殿・拝殿

上の写真は拝殿・本殿の全景です

比翼入母屋造で国宝(昭和27年(1952)3月29日)に指定されています。

文化庁の国指定文化財データベースの解説文をそのまま引用紹介します。

吉備津神社は,古代以来の吉備地方の鎮護として名高い。現在の社殿は足利義満の命により応永32年(1425)に再建された。本殿の平面は三間社の周囲に庇を二重に廻した形式をとり,内部に向かって次第に床と天井を高めている。屋根は前後二つの入母屋造を連結した比翼入母屋造と呼ばれる特異な外観を見せる。本殿前には妻入りの拝殿が接続し,本殿と同様に大仏様の手法を示す。独特な社殿形式の由来は明かでないが中世を代表する大型の神社建築として価値が高い。

上の写真は本殿を前に記念撮影

上の写真は拝殿で吉備津宮と書かれた扁額があります。

境内案内図

廻廊

 

 

上の写真は廻廊 400mあるそうです。

上の写真は南随身門(明治44年(1911)4月17日に重文指定)付近の回廊

南随身門は延文2年(1357)の建築

御釜殿

上の写真は御釜殿の外観です。鳴釜神事(鳴動神事)が行われる場所です。

御釜殿は慶長17年(1612)の建築で昭和55年(1980)1月26日に重文に指定。

内部は撮影禁止で写真がありません。そこで説明版を添付しておきました。(下の2枚の写真)

 

鳴釜神事に関してWikipediaの解説文を引用紹介しておきます。

吉備津神社には御釜殿があり、古くは鋳物師の村である阿曽郷(現在の岡山県総社市阿曽地域。
住所では同市東阿曽および西阿曽の地域に相当する)から阿曽女(あそめ、あぞめ。
伝承では「阿曽の祝(ほふり)の娘」とされ、いわゆる阿曽地域に在する神社における神職の娘、即ち巫女とされる)
を呼んで、神職と共に神事を執り行った。現在も神職と共に女性が奉祀しており、その女性を阿曽女と呼ぶ。 
まず、釜で水を沸かし、神職が祝詞を奏上、阿曽女が米を釜の蒸籠(せいろ)の上に入れ、混ぜると、
大きな炊飯器やボイラーがうなる様な音がする。この音は「おどうじ」と呼ばれる。
神職が祝詞を読み終える頃には音はしなくなる。絶妙なバランスが不思議さをかもし出すが、
この音は、米と蒸気等の温度差により生じる熱音響効果とよばれる現象と考えられている。
100ヘルツぐらいの低い周波数の振動が高い音圧を伴って1mmぐらいの穴を通るとこの現象が起きるとされ、
家庭用のガスコンロでも鉄鍋と蒸篭を使って生米を蒸すと再現できる。
現在、この現象を利用して、廃熱を利用したラジエーターが作れないか研究中である。 
吉備津神社には鳴釜神事の起源として以下の伝説が伝えられている。
吉備国に、温羅(うら)という名の鬼が悪事を働いたため、大和朝廷から派遣されてきた四道将軍の一人、
吉備津彦命に首を刎ねられた。首は死んでもうなり声をあげ続け、犬に食わせて骸骨にしてもうなり続け、
御釜殿の下に埋葬してもうなり続けた。これに困った吉備津彦命に、ある日温羅が夢に現れ、
温羅の妻である阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かしめれば、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、
吉凶を告げようと答え、神事が始まったという。

御釜殿は正式には下に添付の看板のように書くようです。

北随身門

上の2枚の写真は上下から観た北随身門です。

北随身門は大正2年(1913)4月14日に重要文化財に指定されています。

北随身門は天文12年(1543)の建造物です。

 

宇賀神社

上の2枚の写真は廻廊から観た宇賀神社の遠景

境内案内

記紀によれば、崇神朝、四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定し
       て平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を造られた大吉備津彦大神
      (五十狭芹彦命)を祀る山陽屈指の大社、仁徳期創建で、『延喜式』では名
       神大社、また、最高位を与えられ、一品吉備津宮とも称えられる。古来、
       吉備国(備前・備中・備後)開拓の大祖神として尊崇され、殖産興業・交
       通安全の守護神・延命長寿の霊験あらたかな神として朝野の信仰があつい。
       吾国唯一の様式にして日本建築の傑作・吉備津造(比翼入母屋造)の雄荘
       な社殿、鳴釜の神事、桃太郎伝説のモデルなどで著名。」

 国宝 本殿・拝殿

 重文 御釜殿、南北随身門、木彫狛犬

 県重文 廻廊

矢置岩

 

手水舎

 

えびす宮

岩山宮に上る石階段入り口

 

参道

参道の松並木が立派です。

官幣中社吉備津神社の石碑

銅鐸に描かれた吉備津彦命

参道に上の写真ののような造形物がありました。

 

犬養木堂銅像

宇賀神社付近の駐車場に上の犬養木堂銅像があります。

犬養毅は総理大臣となり2・26事件で「話せば分かる」の言葉を残し銃弾に散った

憲政の神様として知られています。 銅像の作者は朝倉文夫。


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