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藤本煙津先生作の漢詩石碑 in 鈴の森神社 on 2018-4-22

2018年04月25日 04時49分38秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。初訪問です。

鈴の森神社の参道の鳥居のある付近に藤本煙津先生作の漢詩石碑があったので写真を
撮りました。漢詩の中身は良く判りませんが藤本煙筆ということもあり貴重な史跡
であると思いましたので紹介する次第です。


上の写真が藤本煙津先生作の漢詩石碑です。

藤本煙津(ふじもと えんしん 1838-1926)先生の紹介
(福崎町立神崎郡歴史民俗資料館のサイトより要約引用)

藤本煙津は天保9年(1838)に神東郡井ノ口村(現神崎郡福崎町西田原)で
繁内甚兵衛の次男として生まれました。本名は節二。
明治12年(1879)から神崎郡役所に勤務しながら、漢学者松岡操(柳田國男の父)や
郡長の倉本櫟山(本名雄三)らと詩歌を楽しむ。
明治27年(1894)郡役所を退官後、明治29年(1896)大阪に居を移して日本画と篆刻に
専念し逍遥遊社のメンバーとして漢詩にも独自の才能を示した。
藤本節二の日本画(南宗派)の師は島琴江(1821~1899)と村田香谷(~1912)。
山水画を得意とし代表作として「蓮花図」「梅林図」等があります。
雅号:南宗画では「古素」「煙津」「同龍生」「榛田野逸」等、篆刻では「石樵」
大正15年(1926)5月23日没 
福崎町の井ノ口墓地にある墓には黄坡撰の墓誌が刻まれている。( 弟子の藤沢章の作)

「煙津藤本先生墓
先生諱節二字古素号煙津別有榛田野逸同龍
生之号初姓繁内藤本林蔵養以配次女悦乃冐
其氏性好韻事善於詩書画篆刻大正十四年罹
疾於大阪明年五月念三日歿于郷享年七十八
諡釈浄煙有二男一女男皆夭女名廉迎姫路藩
士林晋四子達次為夫以承其家
昭和十三年五月 浪華 藤沢章誌」


藤本煙津先生の写真など詳細は福崎町立神崎郡歴史民俗資料館の平成13年度特別展で
取り上げられており、公開されています。

関西大学の泊園書院 東西学術研究所のサイトにも藤本煙津先生の写真が
掲載されています。


上の写真は鈴の森神社の鳥居。参道の右手に松岡鼎(国男の長兄)と左手に柳田国男と
書かれた石柱が建っています。


上の写真は上記の漢詩石碑の撮影地点付近にあった案内標識。 
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