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殉難記念碑 in 須磨寺 on 2017-9-21

2017年09月27日 06時38分30秒 | 神戸情報
須磨寺の青葉会館の横に「殉難記念碑」と書かれた大きな石碑があります。

多分、海難事故の犠牲者を慰霊するものであろうという漠然とした事しか判らず
須磨寺の方に聞いても判らないということであった。

2017年1月21日、須磨歴史倶楽部の例会で同倶楽部の北野利男氏が碑文について
解読され「須磨の消防の話」というテーマの中で発表されました。

この資料を礎に「殉難記念碑」に書かれた内容を写真とともに紹介します。




上の2枚の写真は正面から見た石碑です。 撮影:2017-9-21

石碑には「殉難記念碑」と書かれており 兵庫県知事の有吉忠一の書であることが
刻まれています。







上の3枚の写真は裏面の全体遠景と碑文 撮影:2017-9-21&2017-9-25 

明治38年(1905)2月25日に起きた海難事故で漁船に同乗していた須磨青年協会の
会長の濵田亀吉氏と同じく同協会役員の原田善兵衛氏が受難した。
この2人の慰霊のため大正10年(1921)3月に石碑が建立されました。

碑文を現代語に直した要約を記載します。(下に添付)

須磨青年協会は火災に備え専用のポンプ(喞筒=しょくとう)を常置している
そのポンプが破損し明治38年(1905)2月24日会長の濵田亀吉及び役員の
原田善兵衛、志賀藤吉、直井末太郎の4人はポンプを漁船に乗せて大阪に行き
次の日(2月25日)修繕を終えて須磨への帰路、西宮沖で海難事故で濵田亀吉と
原田善兵衛が溺死。
漁船の船主の西野吉松は漂流後救助された。志賀藤吉、直井末太郎の2人は帰りは
陸路で須磨に向かったため難を逃れた。
殉職した濵田亀吉と原田善兵衛の2名の遺徳を偲び哀悼追慕するためにこの碑を建て
不朽の意を伝える



注)喞筒(ショクトウ)とは ポンプ(〈オランダ〉pomp). 外部から機械的エネルギーを受け
  流体に圧力を与えて送り出したり高所へ上げたりする装置。揚水・排水・圧縮などに
  用いられる。構造から渦巻きポンプ・軸流ポンプ・往復ジェットポンプなどがある


上の写真は裏面下部に書かれた石碑の建設に関わった人物などを記載したもの
      撮影:2017-9-25

次のように記載されています。

建設委員 発起者:村井惣三郎  建設委員長:森本幸三郎
      辻田藤太郎、桝重造、杉田春次、恒藤政市、丹治松之助、小河六平

設計・施工 三浦眞治  石工 橋本嶋之助

小河六平氏は須磨寺の境内に下記の歌碑を残しています。
  「海の色 幾代わりして 梅雨の須磨」

写真などは下記のブログに載せています。
  須磨寺の句碑・歌碑・文学碑




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