NHKラジオの「きょうは何の日 6月13日」を聴取しましたので内容を紹介します。
・1924年(大正13年) 築地小劇場が落成。土方与志と小山内薫 が開設
日本初の新劇の劇場です。
・1987年(昭和62年) プロ野球広島カープの衣笠選手が連続出場の世界記録を達成(2,131試合)。
過去の世界記録はルー・ゲ―リック の2,130試合
・2000年(平成12年) 北朝鮮と韓国の首脳が初会談
6月15日まで韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記 が会談
・2010年(平成22年)小惑星探査機「はやぶさ」が帰還
2003年5月に打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」 が無事帰還
以上がNHKラジオが報じた「きょうは何の日6月13日」です。
神戸新聞が6月13日は黒田官兵衛とともに羽柴秀吉に仕えた軍司の竹中半兵衛が没っしたと
報道があったので三木市の竹中半兵衛の墓の写真を添付しておきます。
上の写真が竹中 半兵衛重治の墓です。撮影:2013年4月21日
竹中半兵衛は、自分の後任に黒田官兵衛を推挙して、陣中で亡くなりました。
享年36歳 法名は深龍水徹。近くの栄運寺に位牌と「浄源院殿霊誉居士」の墓あり。
燈籠には文化3年(1806)の銘が入っています。
竹中半兵衛は、自分の後任に黒田官兵衛を推挙して、陣中で亡くなりました。
享年36歳 法名は深龍水徹。近くの栄運寺に位牌と「浄源院殿霊誉居士」の墓あり。
燈籠には文化3年(1806)の銘が入っています。
墓内の説明書には次のように書かれています。
三木城攻防戦がたけなわのころ、平井山の陣中に胸を病み、一時は京都に移って療養していた
竹中半兵衛は、進展しない三木合戦の戦況を心配し、京都からカゴにのって平井山本陣に
帰ってきましたが、病魔に勝てず天正7年(1579)6月13日に永歿しました。
臨終の時、秀吉に対して将来の天下人と予言しました。秀吉は人前もはばからず
「お先まっくら」ととりすがったと言われています。
竹中半兵衛は、進展しない三木合戦の戦況を心配し、京都からカゴにのって平井山本陣に
帰ってきましたが、病魔に勝てず天正7年(1579)6月13日に永歿しました。
臨終の時、秀吉に対して将来の天下人と予言しました。秀吉は人前もはばからず
「お先まっくら」ととりすがったと言われています。
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