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明石市の浜光明寺への訪問記 on 2019-12-8

2019年12月30日 07時13分03秒 | 神戸市以外の兵庫県

2019年12月8日、明石市の浄土宗遍照山光明寺(通称は浜光明寺)を訪問し写真を

撮ってきましたので紹介します。

浜光明寺の基本情報

住所:明石市鍛治屋町5−20  TEL:078-911-3928

宗派:浄土宗 山号:遍照山 御本尊:阿弥陀如来

創建:元亨年間(1321-1324)真誉上人により三木で創建

移築:元和3年(1617)明石藩主小笠原忠真の町割りの際に現在地に移された

    By 三誉源心上人

所在地のGoo地図を添付

 

本堂

上の写真は本堂です。左手の鉄筋の建物は寿光会館。

小笠原忠真の町割り以降、この寺は、歴代藩主の黒印地、つまり公認の安堵地となり、

明石での浄土宗の代表的寺院となった。寛延5年(1751) 現在の本堂を再建するにあたり、

明石城築城の余材を使用したと伝える。戦災を免れた本堂は歴史を感じる威容である。

明治天皇行在所跡(書院)

 

上の2枚の写真は明治天皇行在所跡の建物と現地説明板。

明治18年(1885)8月9日、山陽道御巡幸中の明治天皇が宿泊された場所である。

書院は安永8年(1779)に建築されたものである。

当時の関係遺品は明治天皇行在所跡として明石市文化財に指定されています。

上の写真は明石市指定文化財に指定の絵画「盂蘭盆曼荼羅」の説明パネル

山門

上の写真は山門 瓦が落下の危険があるためロープで立ち入り禁止の区画

上の写真は山門の南側の阿弥陀三尊像

幕末の嘉永7年(1854)の夏から秋にかけて畿内では地震・大風雨・津波が頻発し

多くの犠牲者が出た。その供養のために阿弥陀三尊像が建立されたそうです。

 

観音堂

上の写真は観音堂の遠景

石碑に楠公一族殉国由緒 観世音菩薩とあり堂宇の中には観世音菩薩が安置か?

近くには七福神の石碑が新たに設置されていました。(下の写真)

鐘楼

上の写真は鐘楼と「光明寺の和鐘」の説明板

享保14年(1729)に完成した釣鐘は京都の藤原国次の作である。

にょらいさん

上の写真は光明寺の永代供養墓の「にょらいさん」

墓所

上の写真は墓所の遠景

江戸藩邸で大目付を勤め、脱藩後彰義隊に加わり寛永寺に立て籠り官軍に抵抗した津田柳雪

の墓や大洋漁業を興した日本の水産王の中部幾次郎の墓もあるようです。

再訪時には確認しておこうと思っています。

 

徳本上人の七日間説法

文化7年(1810)の3月19日から25日まで法然上人の600回忌が光明寺で行われました。

念仏行者として知られた徳本上人が、七日間説法を行った。

人々は上人の徳を慕って「南無阿弥陀仏」の六字名号の字をいただき、石碑を作り

本堂の左手に残しています。またこの説法の際に、上人は赤石付近での海難事故が

多いのを嘆かれ「赤石供養」を行った。その後、海難事故は無くなったと伝えられている。

コメント
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