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湊川神社に残る軍艦「筑摩」の後檣を利用した旗竿  on 2019-3-3

2019年12月24日 05時44分48秒 | 神戸情報

湊川神社の摂社である楠本神社の拝殿の右手に本日、写真紹介する旗竿があります。

この旗竿は昭和10年(1935)5月25日に斎行された大楠公御殉節600年祭を記念

して設置されたものです。

旗竿は軍艦「筑摩」の後檣が流用され特務艦「青島」により輸送されました。

川崎造船所艦船工場は設計・加工・建設を担当して湊川神社に設置されました。

上の2枚の写真は二等巡洋艦「筑摩」の後檣を利用した旗竿です。

上の写真は旗竿に取り付けられた説明板です。

国民士気を高揚させるために大楠公(楠木正成)の旗印と伝わる「非理法権天」

と記された大旗が掲揚されたようです。

 

非理法権天についてWikipediaより引用紹介します。

南北朝時代に楠木正成が「非理法権天」の菊水旗を掲げたとする説があるが、
これは瀧川政次郎らの考証により江戸時代に作られた伝承であることが明らかとなっている。
しかし、非理法権天の由来が正成に仮託されたことで尊皇思想に結びつけられ、
その過程で「天」は天子、すなわち天皇であり、全てに超越するという思想が一部(どこ?)に生まれた。 
大東亜戦争前より「非理法権天」は海軍大学校の講義の題材として用いられ、
教官であった寺本武治により「非理法権天の五段弁証法」として説かれた。
この解釈は東京大学の板倉勝美も適切な解釈を為さなかったが、
寺本は楠木正成の哲理を解明していたと伝えられる(実松譲「海軍大学教育」193-194p)
また教科書の中でも使われた。 
大戦末期、天一号作戦の一環として沖縄に向かっていた戦艦大和には、
「非理法権天」が印された幟(大楠公戦闘旗指物)が戦闘旗の下に
掲げられていたといわれる(ヤヌス・シコルスキー「戦艦大和図面集」)。

 

 

 

 

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