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奈良県磯城郡田原本町 散策記 on 2018-11-25 その2 秦楽寺

2018年12月19日 06時32分10秒 | 奈良情報
2018年11月25日、秦河勝所縁の秦楽寺(じんらくじ)と唐古・鍵遺跡を見ることが主目的で
奈良県磯城(しき)郡 田原本(たわらもと)町を散策しました。

散策にあたっては近鉄田原本町駅の前にある観光ステーション磯城の里(田原本町観光協会)
で自転車(1日 1,000円)を借りて回りました。時間は9:30~15:50


本日は田原本町散策シリーズの第2回で秦楽寺について写真紹介します。


秦楽寺の基本情報
住所:奈良県磯城郡田原本町秦庄267 TEL:07443-2-2779
宗派:真言律宗 山号:高日山 院号:浄土院 御本尊:千手観音立像
創建:大化3年(647) By 秦河勝  霊場:大和北部霊場 第84番
中興:宝暦9年(1759)忍憧比丘の師の恵海律師が官の許し得て中興
年中行事:1月15日歯竜王会式 4月11日 大護摩会式(宝山寺管長出座)
縁起書:明和3年(1766)書写「秦楽寺縁起」 御住職:林実乗


本堂

本堂には御本尊の千手観音立像の他聖徳太子像、秦河勝像、弘法大師像、不動明王像
大日如来像が安置されています。
秦河勝像の台座には明暦元年(1655)9月14日と多武峯住 藤室法印良盛の銘がある。
御本尊の千手観音立像は百済から聖徳太子におくられたものでこれを秦河勝が賜った。
縁起では天竺の仏工 毘首蠋磨柵の作とあるが調査では平安前期の作と比定。
本堂の瓦は昭和50年(1975)に大屋根修理で葺き替えられています。


上の写真は秦楽寺と書かれた扁額(秦宋仙六十三の筆)

山門

上の写真は山門です。

現地説明板

上の写真は秦楽寺の由緒書き






上の3枚の写真は金春屋敷跡に関する現地説明板。

説明文をそのまま引用紹介します。

田原本歴史遺産  田原本の芸能を訪ねて No.2
 秦楽寺金春屋敷跡   田原本町大字秦楽寺

円満井座猿楽の祖先を秦河勝及び子孫秦氏安を中興の祖と云う伝承の、秦河勝が
創建した秦楽寺の門前に「金春屋敷」の伝承がある。
これは、世阿弥の「花伝書」に「此門前(秦楽寺)ニ金春有ニ屋敷一、其内ニ
天照大神ノ御霊八咫鏡陰ヲ移シ給ト云伝也。」 による。
大和猿楽の一つ円満井座(後の金春流)は興福寺に属し、大和猿楽は奈良時代の
散楽戸以来、平安時代の寺奴の猿楽、春日若宮祭の猿楽などで活躍したと思われる。
猿楽の能は、寺院芸能である呪師や延年、声明などの影響を受け、今様、白拍子等の
民間の芸を吸収しつつ発展していった。 「花伝書」「円満井座法式」は、円満井座
猿楽の祖先を秦河勝に求め、又、「本朝文粋」は、秦河勝の子孫秦氏安を中興の祖と云う。
金春禅竹(応永十二年(1405)~文明三年頃(1470)は、別名を七郎氏信、竹翁、
賢翁禅竹、竹田太夫、金春太夫、禅竹は法名で世阿弥の娘婿。大和猿楽の金春座の中興、
能役者名手と云われ、又、優れた能作者で作品に「芭蕉」「雨月」「玉蔓」「定家」、
著述書に「六輪一露秘 注(文正本)」がある。
なお、田原本町には、この秦楽寺金春屋敷跡の他に、西竹田に金春屋敷跡の伝承がある。
金春禅竹が竹田(西竹田)に構えたので「竹田座」と称したのと、元竹田村(西竹田)から
分村した隣村の大字十六面に 昔、十六の面が天降ったと云う地名口伝があることによる。  
又、村屋坐彌富都比売神社に関わる「楽戸郷」や味間・補厳寺の世阿弥参学の寺、補厳寺へ
世阿弥及び妻・寿椿の供養田寄進と、大和猿楽や能・狂言に関わる 歴史的遺跡が多く
残されている。 今後、これらの歴史遺産を継承・発展をさせていく、住民活動に繋げたい。
平成23年度 No.2 田観72 田原本町観光協会 文責 中西秀和




上の写真は本堂と鐘楼に掲示の説明版で秦楽寺の歴史年表と御本尊の十一面観世音菩薩立像
について詳しく書かれています。
この中に秦河勝の坐像の写真がありますので拡大して再掲します。(下の写真)

秦河勝像の台座には明暦元年(1655年)9月14日と多武峯住 藤室法印良盛の銘がある。

下の写真は秦楽寺公民館の前に掲示の説明板


鐘楼


聖天堂

大聖歓喜天が祀られています。

田原本御佛三十三ケ所巡礼

田原本御佛三十三ケ所巡礼の第22番札所になっています。
(御本尊の十一面観世音菩薩立像)


歯龍王の祠と十三重塔






笠縫神社



上の2枚の写真は笠縫(かさぬい)神社の遠景と近景。
近鉄の駅で笠縫駅があります。

春日神社



上の2枚の写真は春日神社の遠景と近景


上の写真は春日神社の一の鳥居と奥に絵馬堂の遠景

絵馬堂と絵馬





上の3枚の写真は絵馬堂と内部の絵馬。

阿字池



上の2枚の写真は阿字池の遠景です。

秦楽寺の七不思議
弘法大師により掘られた阿字池に関して次のような伝承があります。
1、阿字池はいずれの方向からみても地形の全部が見られず、一すみだけ見えない。
2、阿字池は二百日のかんばつでも水が絶えてかれたことがない。
  弘法大師は大同2年(807)阿字池を掘り周囲に菩提樹の種子を撒いた
3、池中には藻や浮草が生じない。
4、木の葉がうかばない。
5、蛭《ひる》がすまない。
6、蛙が鳴かない。弘法大師が修行中やかましいので封じたという。
 弘法大師が三教指帰を執筆中蛙の声がやかましいので叱ったところその後鳴かなくなった
7、池水が田の水より少し目方が軽い。


秦楽寺城
秦楽寺の縁起によれば中世、「秦河次の子孫が若槻氏と名乗り城を築き二重の環濠を
巡らし、その中に伽藍があって秦楽寺城と称した。天正期元亀元年(1570)松永久秀の
手により破却され、自然の林野に変わり廃れた」と伝えられています。




環濠の名残り?の様な濠が秦楽寺の北側にありました。(上の2枚の写真)
後で調べて判ったことですがこの濠は享保14年(1729)秦楽寺と九品寺の両村から
ため池新設の請願があり従来の内濠と外濠の間の中堤を撤去して一体化した池とした
ことがはんめいしているようです。

唐古・鍵考古学ミュージアムが2010年8月に秦楽寺遺跡の発掘調査結果を
纏めて報告されておりそのpage7に外濠と内濠の範囲を推定されています。
下記サイトを参照
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/1694

秦楽寺公民館


日露戦役紀念碑


田原本町の概要
現在の田原本町は昭和31年(1956)に田原本町、多村、都村、川東村、平野村が合併して
誕生した町で人口は約3万人です。
近鉄田原本町駅の周辺は江戸時代に形成された寺内町と賤ケ岳七本槍として有名な平野権平長泰
が5,000石で田原本を知行しその後、平野氏の子孫が陣屋を築いた陣屋跡を中心として
町並みが形成されています。
また、田原本町は桃太郎伝説の桃太郎の生誕地とする伝承もある町です(法楽寺付近)
古くから太子道、中ツ道、下ツ道(中街道)が通り寺川を利用した水運の物流の集積地
としても栄えました。


上の写真は田原本町寺内町と平野氏の陣屋データを示したものです。
出典:唐古・鍵考古学ミュージアム編 寺内町と陣屋の考古学-近世田原本の成立-(2009)


秦楽寺について詳しいサイトへのリンク:
 http://blog.livedoor.jp/shin1944m/archives/16688567.html
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