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多聞寺(神戸市北区有野町唐櫃)訪問記 on 2018-9-25

2018年09月27日 06時59分59秒 | 神戸情報
2018年9月25日、多聞寺(神戸市北区有野町唐櫃)を訪問(参詣)してきましたので
写真紹介します。

多聞寺(神戸市北区有野町唐櫃)の基本情報

住所:神戸市北区有野町唐櫃3086−1 TEL:078-981-5001
宗派:真言宗 山号:六甲山 御本尊:毘沙門天、吉祥天、善弐師童子
開山:伝 法道仙人  創建年:孝徳天皇の頃(645-654)
中興:長善阿舎利(858)、天安元年(857)温泉寺の住職「円印」という説もあり。
正式名:六甲山吉祥院多聞寺



上の写真は参道(階段)を昇り切ったところに所在する本堂などの伽藍

以下個別に記載していきます。

所在地の地図

上の写真は神鉄六甲駅(無人駅)を降りたところすぐそばに掲示の駅周辺の地図

Goo地図を添付



説明板

上の写真は山門の手前にある説明板。
NHKテレビ大河ドラマ「平清盛」が放映されていた頃に設置か

上の写真は階段を昇り切ったところに掲示の説明板(有野町自治連合会が作成)

山門付近


上の写真は山門付近の遠景


上の写真は平清盛公祈願所と書かれた石碑 大阪 多聞講が設置

治承4年(1180)、平清盛が神戸の福原に都を移した時、都の鬼門(北東)を守る
毘沙門天を探したところ古寺山が鬼門の方角にあたるので、新都の守護寺として
寺領千町歩を与え、伽藍も整備された。
京の鞍馬山に相当する役割を担わそうとしたわけです。
また、鞍馬、八瀬の大原の人々を移り住まわせたと伝えられています。
寿永の乱(源平合戦)の際、源義経の別動隊多田源氏の一族が有馬郡に進出し
背後より福原に攻め入る時に多聞寺に対して道案内を要請したところ拒絶
された為、焼き払われ寺領も没収されたため以降は衰退した。
 
寛正3年(1462)2月23日廃寺になるのを惜しんで現在の地に再建、現在の本堂は
元禄3年(1690)の建立だということです。


上の写真は山門に向かって右手にある石像


上の写真は山門(仁王門)の近景




上の写真は山門の両脇に鎮座の仁王像

羅漢さんの道
山門から階段を少し上ると左手に羅漢さんの道と書かれた羅漢石像が沢山、置かれています。










上の5枚の写真は羅漢石像群です。

竹内油業の供養碑

上の写真は竹内油業の供養碑(本堂伽藍などがある地のすぐ下の右手にあります)
真ん中が供養碑、左手に経営理念が書かれた石碑、右手に社歴乃星と題して供養碑が
建立された趣旨が書かれています。平成4年(1992)10月1日に竹内油業株式会社と
竹内グループ五月会によって建立されたことが判ります。
この日は竹内油業の創立60周年にあたることになります。

また手前に会社の沿革が書かれた碑もありました。
それによると昭和7年(1932)竹内商店という名前で創業したとのこと。
創業者は竹内鶴蔵。

本堂(毘沙門堂)



上の写真は本堂です。
元禄3年(1690)の建立。その後の補修経緯は未調査不明。
昭和45年(1970)に本堂の改修工事が実施されています。


上の写真は本堂前の石塔

大師堂?

上の写真は大師堂? 護摩堂かも知れませんが・・・・
建物の形から神社の形式で拝殿と本殿に相当か?

鐘楼

上の写真は鐘楼の遠景


上の写真は鐘楼の土台の周囲に置かれた地蔵像(石仏)など

手水舎


庫裡


宝篋印塔



上の2枚の写真は宝篋印塔
正面からは上手く撮れませんでした。


上の写真は宝塔の施主が書かれた石碑

かやの大木



上の2枚の写真は市民の木にも指定されている茅(かや)の大木と説明板

虎?の石像


水子地蔵尊


墓地


鎮守末社
 愛染稲荷大明神
 

 愛宕大権現
 

 八幡大菩薩
 

不動明王立像

上の写真は不動明王像


上の写真は不動明王像の前の滝になっている場所です。ここの背後に不動明王像があります

石仏群
多数の石仏群があります。その全部は紹介できませんが代表的なものの写真を添付




ここから下は三十三所巡りの石像








からと小学校発祥の地

上の写真は「からと小学校発祥の地」と書かれた石碑

歌碑

石仏と歌碑の取り合わせが面白いと思い撮ったものです。

海軍出身者の石碑

上の写真は神戸市在住の海軍出身者で神戸中央卸売市場の水産部門の親睦団体である
海櫂会が昭和51年(1976)8月に建立した石碑で国の平和と水産業の発展を祈願されています。
記念植樹も行われたようです。(下の写真)


最寄り駅 神鉄六甲



最後に
毎年2月11日に行われるオトウ「お塔祭」は当番の新旧交代の儀式にもなっており、
古式そのままに、唐櫃村の長老たちは風折烏帽子に直垂(ひたたれ)、塔人は裃(かみしも)
で行事を務め、配膳も昔ながらの献立で、古い習俗を伝えています。
儀式の後、境内では修験者により護摩焚きが行われます。
このお塔祭をはじめ、唐櫃の村を取り仕切るのは四鬼家であった。四鬼家ははるか昔、
役行者の命によって奈良県吉野郡天川村洞川から、この唐櫃に移り住んだといわれ、
唐櫃村と西六甲の山を管理し、同時に六甲修験の山伏達を管理していた。


上記の文はWikipedia及び北神戸歴史の道 野村貴郎著 神戸新聞総合出版センター刊 (2002)
Page140より引用しました。
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