子供へ一首
どのような道をどのように歩くとも
いのちいっぱいに生きればいいぞ
みつを
相田みつを美術館に来ました。
館長の息子さん一人さんが
お父様、みつをさんの話を聴かせてくださいました。
17歳で書を始め、20歳の頃には
書道展で特選を取られる程、
正統派の字を書かれていたそうです。
その後、文も自分の文、字も自分の字
つまり、歌手でいうとシンガーソングライターの様な書家になられたのです。
相田みつをさんは、1954年(昭和29年)30歳の時、故郷の栃木県足利市で、初めて個展を開きました。
が、書は殆ど売れず食う食わず。
60歳で書を集めた本が売れたが、
67歳で脳内出血で急逝されるまで、それ程売れないままだったそうです。
亡くなられた後に、息子さんは遺作集を編集し
5年後に美術館を開館されたそうです。
お父様にかけてもらった言葉で、
心に残っている言葉をお尋ねしたところ、
一人さんに父、相田みつをさんが書いてくれた首を教えてくださいました。
子供へ一首
どのような道をどのように歩くとも
いのちいっぱいに生きればいいぞ
みつを
2020年の相田みつを美術館オリジナルカレンダーの表紙は、これ。
新しい門出をする者には
新しい道がひらける
どのような道をどのように歩くとも
いのちいっぱいに生きればいいぞ
みつを
相田みつを美術館に来ました。
館長の息子さん一人さんが
お父様、みつをさんの話を聴かせてくださいました。
17歳で書を始め、20歳の頃には
書道展で特選を取られる程、
正統派の字を書かれていたそうです。
その後、文も自分の文、字も自分の字
つまり、歌手でいうとシンガーソングライターの様な書家になられたのです。
相田みつをさんは、1954年(昭和29年)30歳の時、故郷の栃木県足利市で、初めて個展を開きました。
が、書は殆ど売れず食う食わず。
60歳で書を集めた本が売れたが、
67歳で脳内出血で急逝されるまで、それ程売れないままだったそうです。
亡くなられた後に、息子さんは遺作集を編集し
5年後に美術館を開館されたそうです。
お父様にかけてもらった言葉で、
心に残っている言葉をお尋ねしたところ、
一人さんに父、相田みつをさんが書いてくれた首を教えてくださいました。
子供へ一首
どのような道をどのように歩くとも
いのちいっぱいに生きればいいぞ
みつを
2020年の相田みつを美術館オリジナルカレンダーの表紙は、これ。
新しい門出をする者には
新しい道がひらける