東日本大震災2年:女たちの復興/下/子どもの命を守りたい
原発事故・放射能、情報集め 募金で福島に診療所開院
(毎日新聞 2013年03月06日 東京朝刊)
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「子どもの甲状腺がんの発生率は100万人に1人が通説と言われているのに、調査結果は大きく上回った。ヨウ素だのセシウムだのをまき散らされた揚げ句、『原発は関係ない』『安心しろ』と言われても……」
今年2月、福島県は新たに2人の子どもに甲状腺がんが見つかり、7人に疑いがある、と発表した。東京電力福島第1原発事故後、がんが見つかったのは計3人となったが、県は事故との因果関係は考えにくいとする。11年夏、福島市から山形県米沢市へ転居した会社員、柏木容子さん(47)=仮名=は、発表を冷ややかに聞いた。
結婚後約20年、福島市で暮らしていたが、事故が起きるまで原発にほとんど関心がなく、県内にある原発の数も知らなかった。事故後、家族や自分の命が放射性物質の危険にさらされて初めて、ミカン箱四つ分もの放射能関連の本をむさぼり読み、1日3~4時間、パソコンに向かい情報を集めた。知るにつれ、子どもへの影響に不安を感じ、国や県の説明にも矛盾を感じた。11年夏、仕事の都合で福島を離れられない夫を残し、小中学生の子ども2人と米沢市に引っ越した。
昨年の検査で、子ども2人の甲状腺に、「のう胞」(液体がたまった袋状のもの)が見つかった。のう胞自体は危険ではないと説明を受けたが、経過観察が必要だ。「こんな小さな子たちに重荷を背負わせたかと思うとショックだった」。県は2年後の次回調査まで検査は不要というが、子どもたちには半年ごとに自主的に検査を受けさせるつもりだ。
被災地に住む多くの人は、今も被ばくの不安と向き合いながら暮らしている。被災地で暮らす子どもたちの健康を守るために、今後、自分に何ができるのか。柏木さんは少しでも役に立ちたいと、昨年から被災地の親たちで作る「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の活動に加わり、国への申し立てなどに参加する。「将来後悔しないよう、私なりに精いっぱい子どもを守りたい」
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昨年12月、福島市中心部にオープンした「ふくしま共同診療所」。3階建てビルの1階部分約130平方メートルを改装し、二つの診察室や甲状腺検査ができる装置も設けた。
開院に向け奔走したのが、市民グループ「福島診療所建設委員会」。県の甲状腺検査では、子どもにのう胞などが見つかっても大半が2次検査不要と判定され、保護者から「検査結果が分かりにくい」などの声が上がった。こうした不安に応える身近な医療機関を作ろうと、募金活動を開始。わずか1年間で約4000万円を集めた。中心メンバーの一人、佐藤幸子さん(54)は「被災地にとどまる人のためにどんな不安にも寄り添ってくれる診療所を作りたかった」と話す。
福島第1原発から約47キロの川俣町で養鶏場を経営していた佐藤さんは、原発事故で飼っていたニワトリ250羽をすべて処分した。夫は新たな農地を求めて岡山県に移り住み、福島県内にいた4人の子どもも県外に出るなど家族はバラバラになった。佐藤さんも福島市に転居した。仕事、穏やかな老後、故郷−−。すべてが事故で崩れ去った。
開院から3カ月。診療所では県外から駆けつけた医師6人が働く。当面は無給だ。東京都国分寺市の杉井吉彦医師は「放射能の影響は分からないことが多いから長期的に診たいし、被災者の不安を少しでも和らげたい」と話す。
診療所には、これまで県内外から約200人の患者が訪れたが、子どもの甲状腺検査のため来院する親子も多い。
「子どもの命を守りたい」。佐藤さんはこれからも被災地の子どもたちを支えていくつもりだ。【大迫麻記子】